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全国民必見の社会風刺ドラマ「今ここにある危機とぼくの好感度について」

「今ぼく」は名門国立大「帝都大学」という架空の大学を舞台に、日本社会の様々なブラックな現実を切り取って痛烈に風刺したブラックコメディで、202年に観たドラマのベストワン。

第1話

第2話

第3話

第4話

第5話

「社会派」と呼ばれる映画やドラマがほぼ絶滅状態の昨今、ブラックコメディの手法で果敢に社会風刺に挑んだNHK、さすがに「腐っても鯛」です。民放局だったら、大口企業広告を取り仕切る電通担当者からの「こんな社会批判の企画は、スポンサー様の御理解が得られませんよ。」との一言で速攻でボツになっていた事でしょうね。

物語は、つい先日終了した同じNHKドラマ「白い濁流」(こちらも大学薬学部と医薬品業界の闇に挑んだ意欲作)と同じポスドク問題から始まります。

主人公は、元イケメン人気TVキャスターから大学の広報課に転職した神崎真( 松坂桃李 )。彼はこれまで保身と自分の好感度を保つことだけで世渡りしてきたどこにでもいるような小市民。主人公と言っても、難事件を次々に解決していくスーパーヒーローなどでは決してないのです。

この神崎を狂言回しにポスドク問題、大学教授の論文不正問題、大学の危機管理問題、国立大学法人化の害悪、外部に知られては困る不都合な事実の隠蔽などの大学を取り巻くブラックな事件を通して、日本の社会が陥っている深刻な危機へと物語が次第に深化して行く脚本展開が見事です。

同時に好感度だけを気にする事なかれ主義者の神崎が、様々な危機に直面し、広報課員として対処して行く中でどのように成長していく(あるいは、していかないか)のかもひとつの見どころです。

第1回、教授の論文不正を告発したポスドク木嶋みのり(実は神崎の元カノ)は、不正を告発した動機について神崎に次のように言います。

「私は日本の科学研究にあるべき姿にもどってほしいだけだよ。資金、資金、資金てお金のことばっかりに必死になってあまりにもいびつに歪んでしまって、このまんまじゃダメだってみんな分かってる。だけど誰にも止められない。(中略)病気が重たくて死にかけてるなら、まずそれを認めるしかないじゃん。どんなに嫌でも病名を知らなければ治療だって始まらないじゃん。」

「私は昔から好きな人にまともに相手にされるような女じゃなかった。でも研究さえしてたら楽しくて夢中になれた。世界は私の相手をしてくれる、本気で、真剣に、正直に。だから研究の喜びを取り戻したい、自分に、現場に、それだけだよ。」

この台詞は政府が導入した国立大学の学校法人化によって、大学の研究そのものが大きく歪んでしまったことに対する批判ですね。

明らかに失敗だった国立大学の学校法人化によって公費による大学運営予算が大幅に減額されましたが、「今ぼく」はその失敗による弊害を忖度なしに真正面から描いているのです。この辺りの展開は、NHKが2018年に放映して映画化もされた『ワンダーウォール〜京都発地域ドラマ〜』の拡大発展版のような印象です。脚本を書いたのも同じ人ですから。

国家予算全体から見れば微々たる額でしかない国立大学運営費交付金の削減と大学間の競争による民間資金の導入活用を促すために、政府は国立大学の学校法人化を推し進めました。しかし、対応できたのは潤沢な資金が集まる東大などごく一部で、学校法人化されてから日本の国立大学全体の研究水準は目に見えて低下し始めます。

時間がかかるのにいつ成果が出るか分からない地道な基礎研究(政府から見れば、要するに「非効率・非採算部門」)よりも大学・官庁・民間企業(産官学共同体)にとってすぐにカネになる研究が最優先となり、大学経営者は経費削減(ポスドク問題の根本原因)と金集めに日夜追われるようになりました。

また、安倍政権が実施した「学校教育法」の「改正」によって学長に権限が集中。それまでの教授会を中心とした学内の民主的運営が形骸化。補助金等の研究予算獲得のためには文科省の意向に従わざるを得なくなり、大学自治も有名無実化。

同じNHKドラマ『白い濁流』でも描かれていたように研究業績よりも文科省や企業から研究費を引っ張って来られる教授が、実力者として学内で幅を利かすようになりました。
                                  これでは、落ち着いた地道な研究なんかできっこありませんよね。潤沢な教育研究費を出している欧米諸国や中国に「ポスドク問題」など存在しません。

「今ぼく」は政治に翻弄されて疲弊する日本の国立大学の腐った実態を描いてはいますが、それだけに留まらず、国立大学を切り口に日本の政治社会状況の有り様を風刺しているのがこのドラマの真骨頂。

具体例として、第3話と4話を少し覗いてみましょう。

第3話では、学生たちが企画したイベント内容が偏向しているとネットが大炎上。イベント会場の爆破予告まであったことから、急遽大学総長が記者会見を行うことになります。

担当になった神崎が事前に記者会見用の原稿を作成するのですが、それは何も言っていないに等しい全く中身のないものでした。                                            彼は総長をはじめ居並ぶ大学理事たちに次のように説明します。

「リスクマネジメントで大切なのは、1に清潔感、2に笑顔、そして、意味のある事を言わないの三つです。記者会見に中身なんかいらない、ただやることに意味があるのです。記者たちからの質問に対しては、何を聞かれても『大学の責務は学生の安全を守ること。』とだけ答えてください。」  

「嫌われる原因はいつも意味です。公に向けた言葉にはいつも意味を最小限に控えることにこそ、日本に置ける正しいリスクマネジメントだと広報課は考えます!」 

この描写が何を風刺しているのか、もうお分かりですね。

質問されてもまともに答えずに無視したり、「ごはん論法」ではぐらかしたりする、更問いを禁止する、それでも更問いされた場合はスルーするか同じ中身のない答弁を繰り返す、限られた質問時間を浪費させるために関係ないことを喋り続けたり、聞かれてもいない思い出話を延々と垂れ流したりする、何を聞かれても「安全安心な五輪を開催する。」としか言わない・・・

ドラマの中で描かれていたリスクマネジメントの要諦を国会質問や記者会見、党首討論などの公の場で忠実に実行していたのが、総理大臣をはじめとする日本政府の要人たちでした。

日本の総理「記者会見」の問題点は、こちらに詳しく書いています。賞味期限切れの記事ではありますが。                                

続く第4話では大学周辺の住民に害虫に刺されたことによる深刻な健康被害が続出、帝都大学の「稀少生物研究センター」から実験用の病原性(デング熱)をもった蚊が外部に流出した可能性がある事との関係が疑われます。

折しも、大学の隣接地では「次世代科学技術博覧会」が予定されていたため、大学理事会と報告を受けた市長は目的を達成するために不都合な事実の隠蔽を画策します。

第4話の執筆は2020年3月だそうですから、この話が日本政府の新型コロナ感染対策を風刺していることは明らかです。

昨年の1月~3月、東京五輪の予定通りの開催と4月に予定されていた習近平中国国家主席来日実現のために日本政府がPCR検査を厳しく抑制して、蔓延状況の矮小化に努めていたのは紛れもない事実ですから。

ところが、昨年の3月24日に政府が五輪の1年延期を発表したとたん、翌日には、それまで感染者数を過少報告などで感染拡大の隠蔽に努めていた小池都知事が緊急会見を開き、「感染者の爆発的な増加(オーバーシュート)の重大局面にある」と爆弾発言。

それと同時にそれまで鳴りを潜めていた厚労省がやマスコミが突然「大変な状況!」と一斉に大騒ぎを始め、感染者数もそれまでとは打って変わってうなぎ上りに増加して行ったのは、皆様ご存じの通り。

初期に行われていたPCR検査の抑制方針はその後も全く変更されず、そのまま現在も続いている状態。PCR検査は、目に見えない新型コロナの存在を「可視化」する強力な武器であるにも関わらずです。これは旧日本がそうであったように、現代戦をレーダーなしで戦えと言っているのに等しい暴挙以外の何物でもありません。

以上のエピソードの他にも、毎回心を打たれる素晴らしい台詞が山のように散りばめられていました。以下は、その内のほんの一部です。

「大学としては不正を正確に把握したうえで、適切に隠蔽したい。」

「理事たちも理事たちの立場かあったりして。」
「でも、あの人たちは自分のこと弱いなんて思ってないよ。権力持ってるから強いと思ってる。強いから間違う訳ないと思ってる。」

「俺に総長は無理だって、学者に大学経営何て~。」
「ここはお前のような奴こそ踏ん張らんと、大学なんぞよってたかってすぐ政府と企業の専用研究所にされてしまうんやな。」
「えっ、それってだめなことなんですか?」
「ダメダメダメ!あかんのや。」

「要するにこの世界と言うのは人間の想像を遥かに超えて複雑であり、将来どの研究が人間の役に立ったり、危機を救うかなんて絶対予測できへん。けど、国も企業もそんなことよりもっとすぐ金になるような研究を大学にさせたがるし、いつ役に立つか分からん研究は無駄無駄言うてどんどん消えていく。ぶっちゃけ、これは相当やばいことやと学者はみんな思うとんのやな。世間が思うてくれんのや。」

学生「その人たちを見殺しにするんですよね、たかがイベント(科学技術博)のために。」
神崎「やめようよ、若いからってそうやって本当のことズケズケ言うの。 たかがじゃなくで、そこには沢山のお金と関わった人たちの未来がかかっている。」
学生「でも、そのためには何人かは犠牲になってもいいってことなんですか?クソじゃないですか、こんな社会。こんなの超クソなんじゃないですかねえ。」
神崎「だからそうだよ。クソだよ。今気づいた?世の中ってそういうもんなの。負け組は負けるしかないし、少数派は多数派の犠牲になるしかない。だから、だから好感度なの。君らばかにしてるけどさ、このクソ社会に出てみろよ、俺みたいに何のとりえもない奴は片っ端から忖度しまくってこびへつらいまくって好感度上げるしか生き残る方法ないんだから。愛なんか何の役にも立ちゃしないんだから。」

ドラマに出て来る「デング熱と科学技術博」の関係は、明らかに「新型コロナと東京五輪」のアナロジー。現実の世界では政府による感染の矮小化とPCR検査の抑制、コロナパンデミック下での開催強行などによって、多くの感染者が自宅に放置されて亡くなりました。一部の団体や関係企業だけを大儲けさせるために多くの国民の命を犠牲にする東京五輪は、まさしく「クソ」そのものでした。

キング牧師も「最大の悲劇は悪人の暴挙ではなく、善人の沈黙である。」と言っています。

帝都大総長「確かに競争は熾烈です。しかし、だからこそ我々がこのまま生き残っていけるとは私にはどうしても思えないのです。なぜなら我々は腐っているからです。皆さん、もうお気づきでしょう。我々は組織として腐敗しきっています。不都合な事実を隠蔽し、虚偽でその場をしのぎ、それを黙認し合う。なにより深刻なのはそんなことを繰り返すうちに我々はお互いを信じあうことも敬い合うも出来なくなっている。お互いの敬意も信頼も枯れ果てた組織に熾烈な競争に勝ち残っていく力などありません。もし、本当にそれを望むなら我々は生まれ変わるしかない。当面深い傷を負うとしても真の現実に立ち向かう力、そして、それを乗り越える力、そういう本当の力を一から培っていかなくてはならない。たった今から、おそらく長く厳しい戦いになる。これはその第一歩です。」

最終回での大学総長のこの演説は、第1話で神崎の元カノのポスドクが同じ意味の事を言っていた事と重なります。これは決して大学だけに限定された問題ではなく、「政治的にも道義的にも腐敗し切った日本」という国そのものが抱える深刻な病理を指摘しているのだと解釈できます。

今の日本は、今すぐにでも大手術が必要なほど悪性の病気が進行した重病人なのに、当の本人がその事に気付いていないか、気づいているのに病気などなかったかのように必死で隠蔽している状態なのですから。

バブルが崩壊して以来、この30年の日本のあまりにも無残な衰退と没落ぶりを見れば分かるように、根本的な大手術を回避して十年一日のごとくこのまま同じことを続けていれば、腐敗は破局に向けて加速度的に進行して行くしかない。

富の一極集中化が進むにつれて国民の大多数は窮乏化し、人間らしい生活も出来なくなって人心やモラルも荒廃。国民が貧しくなって経済成長できないから企業もどんどん劣化して国際競争力も失われる悪循環。人口減少を待つまでもなく、このままでは遅かれ早かれ日本と言う国は滅びるしかない。

以上のように、「今ぼく」はコメディの形式を借りつつも実はとてもシリアスで深刻な警鐘を日本国民に投げかけた稀有なドラマでした。

脚本は渡辺あや。これまでにも映画『ジョゼと虎と魚たち』 、ドラマ『ワンダーウォール〜京都発地域ドラマ〜』(後に映画化) 、ドラマ『火の魚』、朝ドラ『カーネーション』、『ロング・グッドバイ』、『ストレンジャー〜上海の芥川龍之介〜 』などの傑作を書いています。

NHKでの仕事が多いですが、現在、政治問題を扱った最新作『エルピス—希望、あるいは災い—』が民放で放送中です。

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