皆もれなく歳はとる
亡くなった母が、入院する直前の2週間ほどを我が家で面倒をみていた時、ある日母から言われた。「みとんは、よく(世話を)してくれるけど、怒るから怖い」
その時の私は何を言ってるんだ、と。私が用意した食事を食べずにアンパンが食べたいと言うのでコンビニに走り、私が用意した綿毛布は「重い」と言うのでわざわざホームセンターで軽い毛布を買って帰ったら今度は「足に纏わりついて気持ち悪い」と言う。いつからこんなにわがままな人になってしまったのかと、私の方は辟易していたというのに。そんなだから、そりゃちょっとキツい言い方をしたこともあったでしょうよ。「怖い」と言われて私は傷ついた。母がトボけたことを聞いてきたり、何度も同じ説明をしなきゃいけなかったりすると、歳を取ったらしょうがない、歳を取ったせいだと諦めて、「何をボケたことを言っているの?」なんて平気で返していた。何でもかんでも歳を取ったせいにしていた。私には決して弱いところを見せない、母親としてのプライドをずっと守っていた人が、人生の最期になって初めて娘(私)に甘えてくれていたのに。
確かに忘れていることも多いし、出来なくなってしまったことも増えたけど、一度覚えたことは体の、記憶の、奥底に眠っているだけだから、時にそれは“世の中の道理”とか“人間の良心(礼儀)”というカタチで現れて、妙に説得力をもって、思いもよらぬ誰かを驚かせたり救ったりすることもある。経験値だ。全く知らないのと、知ってたけど忘れてる、そこが子どもとの違いだ。だから生きていてわからないことに遭遇すると母に聞けば大抵のことは分かる。そういうもんだった。
ここに、認知症を患っているカケイさんというおとしよりがいる。カケイさん自身が語るカケイさんの一生。
ミシンと金魚/永井みみ
カケイさんの独白だけでテンポよく進んでいく。認知症のせいか、話はあっちこっち行ったり来たり。でもそれが心地良い。お喋りなんてそんなもんじゃない?喋ってるうちにいろんなことを考えたり思い出したりして頭の中は忙しくて、そっちを先に喋りたくなったりして、それでまた「何の話、してたっけ?」なんて、そんなこと、私だってよくあるし。喋ってる内容はなかなか壮絶なんだけど、カケイさんが喋るとそこにはおかしみもあって、可愛さもあって、読んでいる私は笑顔だった。そういえばカケイさんは、うちの母と同じことを言ってた。
人生、良いことと悪いことは同じ数だけあるって母もいつも言ってた。
だから辛くても、次にまた良いことがあるんじゃないかって、頑張ることが出来たのかな。晩年はひとり暮らしだったけど、息子のお嫁さんは文句を言いながらもお世話してくれてたし、ヘルパーさんやデイサービスの職員さんは優しかったし、何よりアコギなお兄さんが実はカケイさんのことをちゃんと思ってくれてたってことをこの歳になって初めて、お兄さんの奥さんから聞かされる。お兄さんはカケイさんにも理不尽なふるまいをしていたから、だからそのお兄さんがホントはカケイさんの幸せをちゃんと考えてくれてたんだってわかって、私は少しだけホッとした。それを知らないまま人生が終わらなくて良かったじゃん。でもホントは、カケイさんの人生はカケイさんのもので、それを哀しいとか辛かっただろうとか思うのは私の傲慢だ。
今までとしよりをとしより扱いしてきたけど、本当のところは、としよりは私たちが思うよりもいろんなことを考えちゃんとわかってるのかも知れない。いちいち口に出さないけど頭の中じゃちゃんとわかってて、周りがイメージするとしよりを演じて、おバカさんなふりをしてくれてるだけなのかも知れない。そうすれば周りが皆、安心するから。歳を取ったらしょうがないねって、歳を取るってそういうことだよねって諦められて安心するから。だけど、だからあやまります、としより扱いしてごめんなさい。だって、皆いつかとしよりになるんだから。もれなくとしよりになるんだから。歳を取ることは怖くない。
気づかせてくれた母と、カケイさんにお礼を言いたい。
ありがとうごじゃいました!
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