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メンタル地獄日記 -僕のメンタル(悪化3)-

ここからは、自殺未遂後と専門学校について書いていこうと思います。


ODの自殺未遂で、脳、身体の血管、全身にケミカルな薬の冷たさが満遍なく行き届いている感覚が、多分死にはしないけれど耐えられなかったので、情けない話、自分で救急車を呼びました。
朦朧とする意識のなか、担架に運ばれている場面と下着を下ろされ尿道にチューブを入れられたのを記憶している(どのタイミングで入れられたか不明)。
ちなみに、死ぬほど辛いといわれている胃洗浄はされませんでした。
たぶん、薬をかなり吐いた事が大きいと思いますね。

翌日の朝、病院の大部屋のベットで異常な程『頭がスッキリ』して起きました。
皮肉なことに今までの人生最高で、当たり前に薬の多量摂取のおかげだったと思います。
ちなみに尿道に入っていたチューブも恥ずかしさで自分で抜きました。
薬で麻痺しているせいか全く何も感じませんでした、羞恥心以外は。
緊急搬送された病院には申し訳のですが、記憶しているのはこのふたつで、その後、病院の人とどういったやりとりをしたかは覚えていなくて…。
その後父が車で来ていて、また自分が自殺を図った部屋に戻され、帰って行った。
当然に叱りも泣きも笑いも怒りもしていなかった。

『自殺』という当たりくじに外れたので、また灰色の世界に戻ってきた僕は「来年度からデザイン専門学校で学び直し、社会で頑張ろう!」という希望だけを胸に残りの半年を開き直って、ゲームして映画観て、漫画読んで、小説読んで、と時間を浪費して過ごしました。

病院も変えて予約しても2〜3時間くらい待たされ、先生も聞いているんだか聞いていないんだか、僕が喋り終わるまで待つという『よくあるメンタルクリニック』にかかり出しました。
でも、薬は毎日100錠とかにはなってないし、まぁ、言ってしまえばメンタルクリニックではよくある普通の医者だったし、それで妥協していた。
それくらい日本の精神医療は遅れていると思う、今現在も。

そして、デザイン学校1年目(2年目)休学という形式を取っていた僕は、張り切って改めてデザイン学校に通い出しました。
ちなみにクラスメイトは大体高卒で入学してきた18歳くらいの子が多く、年齢的には10歳くらい違った。
だからなのか、デザイン専門学校が隠キャ気質なのか、サトリ世代なのか知らないが先生が質問しても「シ〜〜〜ン」の状態に。
それこそ僕まで気まずくなってしまう程に。
ちなみにこの時の僕のテンションは割と大学時代にやっていたフットワーク軽いキャラだった。
自殺未遂から、アホほど自分を甘やかしたので、謎のエネルギーはあった。
躁状態とは違って、意図的な積極的なムードメーカー。
そんな感じだったので、積極的には回答していた、というか当てられていたし、自然とまとめ役にもされた(したかったわけじゃない)。
が、やはり無理はしていたと今になって思います。
大学は楽でしたが、専門学校は2年でビジネススキル、グループワーク、慣れないソフトの使い方、毎日無茶苦茶に出される課題を熟さなくてはならなくて、しんどかった。
夏と冬にはインターンシップにも駆り出された(インターンシップ中も課題付き)。

夏はデスクの隣のお局に何度もキレられたし、何回か自分の身体と見えている景色が50mくらい離れている乖離状態(僕は癲癇の一部だと思っている)な日があったり、冬は口癖が「無茶言っていい?」の社長の息子と組まされ、メンタルがまたしても落ち込んでいった。

両方名前を言ってやりたいくらいだ。
特に社長の息子の方は、インターンが終わったあとに『無礼講の』飲み会を丁度僕のインターン中に入社してきた新入社員さんと3人で開いてくれたが、説教と愚痴と文句だけだった。
法律が許すなら、お局と、社長の息子は殴りたい。


今日はここまでです。
ちょっと汚いシーンもありましたが見逃してやってください。
ここまで読んでくださり、いつもありがとうございます。

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