風に立つライオンになりたかった
嫉妬。とてもやっかないな感情だ。しかし、嫉妬こそが、私たちの「欲しいもの」である。
十五歳の私が、誰よりも何よりも嫉妬した人物。それは、「風に立つライオン」という曲の主人公である。
この曲を知った時の衝撃は、今でも忘れられない。
それは道徳の授業のこと。日直の生徒が教卓の上にカセットデッキを運んできた。その間に先生は、曲の歌詞を書いた紙を配布する。
何をやるのだろうと身構えていると、特にこれといった説明もなく、急にカセットテープを流し始めた。さだまさしさんの歌だった。
この曲の主人公は青年医師。彼の手紙が歌詞になっている。
彼は夢を追うために、恋人を日本に置いて、アフリカに旅立った。それから数年後のこと、恋人から久しぶりに手紙が来る。結婚の報せだった。
手紙を読んだ主人公は、これまで募らせてきた彼女や日本への想い、アフリカの地で生きる自分のいま、生き方を語る。
ラストは、圧巻のAmazing Graceだ。
クラスメイトたちが挙手をして、歌の感想や意見を述べる。主人公と恋人はどんな関係なのか。彼らの想いや生き方をどう思ったか。アフリカの地と日本の現状をどう感じるか。多くの人が主人公の生き方を賞賛していた。自分勝手だ、という女子も一人いたが。
私は皆の感想を聞きながら、とても居心地の悪い気分になった。主人公に対して、嫌悪感を抱いたのである。
なんだこの歌詞は。自己陶酔しやがって。そうやって彼女にかっこよく見られたいだけだろう。もっと言えば、彼女に自分を選ばなかったことを後悔させたいんじゃないのか。未練たらたらじゃないか。情けない奴だ。
そんな主人公を賞賛するクラスメイトたちも、何もわかっていない。言葉の表面的な部分ばかりを見て、主人公の気持ちなんて理解しようとしていないだろう。皆が模範解答みたいな言葉を並べて、本当にうんざりする。
そもそも、この曲で道徳をやろうなんて考えた教師もどうかしている。この歌詞から何を学べと言うのだ。カリキュラムにないのに、自分の好きな歌を授業に持ち込んで、個人的な価値観を押し付けるなよ。
心が落ち着かず、激しく荒れていた。でも、抑えなければならない恥ずかしい感情なのだとも感じる。誰とも共有することができないことが、とても苦しかった。
最後に先生から用紙が配られて、授業の感想を書かなければならなかった。クラスメイトたちが書くであろう言葉を想像して、更に胸がざわざわした。なんて書いたらよいかわからないが、とにかく主人公を肯定するような言葉は、絶対に書きたくないと思った。
「この人生を生きている限り、私たちは皆、風に立つライオンです」
結果、偉そうにこんなことを書いたのを憶えている。
嘘だ。強がりだ。本当はこんなことを思っているはずがない。
私には夢があった。
夢を追うために、この地を離れて上京しようと考えていた。
夢のためなら、自分の幸せを捧げられる。本気でそう信じていた。
だからこそ、この曲の主人公の生き方は、私の理想だったのである。
大切なものを犠牲にしてまで夢を追いかけられる姿に、嫉妬していたのだ。
人の夢や価値観は、変わっていくものである。変わらないことばかりが崇高なのではない。成長や環境の変化、ライフステージなど様々な事柄がいつも絡み合っている。変わるのは自然なことなのだ。だから、過去に理想としていたことを、現在の自分に当てはめることは、少しナンセンスである。
だが敢えて、十五の私から今の私に問いたい。
あの頃に憧れていた、風に立つライオンになれましたか?
風に立つライオンは、まだ心に生きていますか?
先生、素敵な曲を教えてくださってありがとうございました。
今回の記事は、マイトンさんから繋いでいただいたバトンリレー企画でした。
企画で何かを書くということをやったことがなかったので、初チャレンジでした。きっかけをくださって、ありがとうございます。
そしてこのバトンは、ゆーさんに繋ぐことにします。
ゆーさんは、noteでかれこれ一年くらいの付き合いになります。出版の際にも写真を提供していただいたりと、大変お世話になっている方です。
写真も文章も、お人柄も(なんなら歌声も!)とても魅力的な方です。
バトンリレーのルールです。
最後に。マイトンさんやゆーさん、そしてこの企画を考えてくださった、チェーンナーさんとミエハルさんの記事もお読みいただけたら幸いです。
楽しい企画をありがとうございました。
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