一か月、本を買わない約束
「一ヶ月間、本の新規購入を一緒に控えてみませんか?」
先日、職場のドクターからこんな提案を受けた。彼女は相当な読書家で、暇さえあれば電子書籍を読んでいる。会議中でさえも読んでいる。そのため、スタッフから呆れられるが、お構いなしに読み続ける。
月にどれほど本を購入しているのか不明だが、かなりの数であることは想像に難くない。
私も負けず劣らずの読書家である。毎日十冊以上の本を同時進行で読み進めている。さすがに仕事中に読むことはせず、昼休みと深夜のみが読書タイム。至福のひと時である。
この時間をより濃厚なものにしたくて、気になる本は即購入する癖が身についてしまった。毎月、三十~五十冊は購入している。もう何年も本の買い物依存から抜け出すことができない。
そのため、読める量と買う量の比率がおかしな状態になり、積読が凄まじいことになってしまっている。数千冊と言っても大袈裟ではない。
私の狭い書斎にはぎっしりと本が並んでいる。そこに収まりきることができず、デスクの上にも本の山が幾つも堆く積み上がっている。それはまるで都心のビル群のようであり、小さな都市が出来上がっている。サグラダファミリアの如く、いつまでも開発は終わることがない。ビルの高さはどんどん高くなり、その数も増えてきている。
いつか床にまで広がる巨大都市が出来上がりそうな勢いだ。無数の小人も住んでいそうな気配がある。
このままこの生活を続けていれば書斎どころではない、家中が本の屋敷になってしまうだろう。もう既に階段にも数百冊置いている。
妻は呆れ果て、子どもは二宮金次郎の銅像を見かけると「パパみたい」と言う始末だ。
電子書籍にすればいいのでは? と思う人もいるだろうが、紙だからこそ本は魅力的なのだ。電子書籍と違って紙の本には年齢も命もある。有限である儚さに愛着が湧くではないか。
そして何より、本は最高の自己投資であると信じている。
そんな私の状況をナースステーションでドクターと話したところ、冒頭の提案が挙がった。
「一ヶ月間、本の新規購入を一緒に控えてみませんか?」
決して言われたくない言葉だ。繊細なところを針で刺されたように痛い。
「ごめんなさい、無理です」
と伝えたが、
「実は、私もなんです……」
と、白衣からスマホを取り出し、電子書籍のライブラリの一部を見せてくれた。なるほど、確かにこれは私と同じ匂いがする。また、彼女が電子書籍を購入しているのは、もう既に家に本が置けないほど積読しているからであり、末期状態なのだと教えてくれた。
本当の危機に迫っている人間がこんな近くにいたとは思ってもみなかった。私もこんな日が来てしまうのではないか。それは絶対に阻止したい。
本が好きなことと、本に支配されてしまうことの違いを、ようやく認めることができた。
そして、勇気を出してその提案を受け入れることにした。
さて、本当に一か月、本を購入せずに生活できるだろうか。
都市の開発が止まったまま、小人たちも固唾を呑んで、この様子を見守っているはずだ。
何だか落ち着かない。とりあえず、本でも読もう。