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台形の面積の求め方で人生が変わった話

 前回、高校の国語の授業について綴ったが、実はバリバリの理系人間である。
 数学が得意で、今でも何か計算することがあると、頭の中で数字が立体的に浮かび上がってくる。

 私が今の性格になったのは、小学五年生のときの算数の授業がきっかけである。
 すべては台形の面積の求め方を発表したことから始まった。

 台形の面積と言えば、(上底+下底)×高さ÷2という公式がある。
 しかし、当時の意地悪な担任の教師は、この公式を使わずに解を求めなさいと指示してきた。
 私はすぐにわかった。
 辺と辺を延長して結び、三角形を作るのだ。すると二つの三角形ができる。台形を含む大きな三角形と、台形を除く小さな三角形である。大きな三角形から小さな三角形を引けば台形の面積は簡単に求めることができる。
 今思えば本当に単純なことなのだけど、当時のクラスメイトは誰もわからないようで静まり返っていた。
 内向的で目立つことも好きではなかった私は、発表しようか迷ったが、勇気を出して挙手をした。高鳴る鼓動を感じながら、黒板の前に立つ。手に汗を握り、震える声でこの方法を皆に説明した。
 それを聞いていた、教師が目を丸くしている。
「これは、すごい!」
 教師は誰も答えられないものと思っていたのか、私のこの回答に非常に驚いたようである。
「みんな、席から立って。三鶴さんに拍手しましょう」
 と呼びかけ、盛大な拍手を浴びることとなった。

 こんなに他人から褒められたのは生まれて初めてだった。
 あまりにも嬉しくて、心の芯からじわっと自己効力感が湧いた。それからの私は予習復習を必死でこなすようになった。またあの快感を味わいたい。そして、難しい問題の答えを再び発表する。これを繰り返し、優等生への階段を駆け上がっていった。
 が、その副作用も大きなものであった。「できる自分」でないと、許せないのだ。

 ある日、友人が突然、後ろからボールを投げてきたことがある。あまりに急のことだったので受け取れず、当たってしまうと、こう言われた。

「反応鈍いね」

 えっ? なんだって? 新たな私の欠点が露呈されてしまったのか。友人の言葉を反芻し、自宅に帰るとすぐに辞書を開いた。「反応」「反射神経」「鈍い」……。言葉の意味を理解した上で、どうやったら改善できるか考える。そうでないと、「できる自分」でいられなくなる気がしたからである。一週間以上はこの言葉が頭から離れることはなかった。

 冬になると、帰宅後に炬燵に潜り込んで悩みの数を数え、それぞれの悩みの解決策を考える習慣ができてしまった。解決策を導き出せるまで炬燵から顔を出さない。
 ダイエットをしたのもこの時期である。自宅ではもちろんのこと、友人の家へ遊びに行ってお菓子を出してもらっても我慢して手を付けず、間食は完全に断った。食事も少なめにしてもらい、一口における噛む回数を決めて、その回数になったら飲み込んだ。成長すべきこの年齢で体重は大きく減少した。太っていたわけではなかったのに。
 そうやって完璧な人間になることを自分に課していた。

 この小学五年生から、勉強や運動が急激にできるようになり、自己主張もできるようになった。だが、その反動も大きなもので、大人になってからも、このとき身に着いた「完璧主義」と「神経質」な性格は手放すことができないでいる。
 それによって強迫性障害になるなど、何度も苦しめられてきたけれど、今ではもう特性と捉えて、うまく付き合っていこうという考えに至っている。

 台形の面積の求め方から、こんなに性格や人生を変えられるなんて……人間って、つくづくおもしろい生き物である。

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