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いい塩梅にブレンドする力

先日、中村淳彦さんのvoicyを聞いていましたら、中学受験で中高一貫校に行ったりそのまま付属の大学に行ったりしてもロクなことにならない、というようなことを仰っていました。中村さんのお子さんの周りにいる付属上がりの子は付属上がりでつるんでいたのだとか。

なるほど、確かにそういう面はあるだろうなーと思いました。だからと言って不安になったり、「ひどいことを言う人だ」みたいな怒りが湧いたりということはありません。

早いうちに受験を終わらせて、のびのびとした環境で興味を引き出す子育てをしましょう、というような、受験塾で言われていることにもそうだよなーと思います。まだまだ昭和的な学校教育や受験が行われていて大丈夫かな?と思うことがあるのも確かです。

だからと言って公教育は悲観的なことばかりなんてことはなく、受験が終わればすべて自由なんてこともありませんから、不安に思うこともありません。

発信者は「こう思う」をズバリ言う必要があります。誇張して聞こえるくらいがちょうど良さそうです。「この意見はこの方面の人には失礼に聞こえるかもしれませんが…」とか「この意見に反対の人もいると思いますが…」と言って全方面に嫌われないようにすれば、誰からも見てもらえません。

放送の後半で中村さんが仰った「中学、高校、大学というような、人生の節目節目で自分で考えて決めていくことが大事だと思う」ということが、とても大切なのではと思いました。

聞く人に必要なのは「情報(発信者)を選び取る力」よりも「いい塩梅力」「ブレンド力」なんじゃなかろうか。

「この人の意見のここがいいな、40%取り入れよう」「この人は好きだけどこの意見に関しては賛成できない、話半分で聞いておこう。でも好き」みたいな。

その時の自分や相手の体調や気分、自分と相手との相性によって、同じことをしても結果は全く異なります。生活はナマモノなのよ(いつかどこかで聞いた言葉)

100%の信念を持って行動することの方が少ないです。こっちのほうが良さそうだ、とか、悩みに悩んでこっちに決めた、ということの方が多いと思います。

私の意見を代弁してくれた!と思うような発信との出会いは危険だと思っています。全く同じことを考えている人はいませんし、置かれている立場や境遇もそれぞれ違います。

そんな時は「代弁してくれる人なんかいないのに、見つけたと錯覚するほど疲れている」と考えて、お風呂にでも入ってゆっくり寝るのがいいんじゃないでしょうか。

そんなわけで、だいたい適当な感じで参りたいと思います。本日もお読みくださりありがとうございました!

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