温故知新(53)薬師寺 日光・月光菩薩 吉祥天 オリンポス山 イカロス パルミラ ペトラ ルクソール
2023年8月24日の朝日新聞によると、薬師寺境内から見つかったイカロスの陶片は、1938年の生駒山頂から大阪方面に飛び立って滞空時間や高度を競うグライダーの大会「全日本帆走飛行競技大会」の参加章で、37年の大会では金属製のメダルでしたが、同年の日中戦争開戦を機に、金属節約のため陶製に切り替えられたようです。キクラデス諸島では「キクラデスのフライパン」と呼ばれる陶製の鏡のような遺物が見つかっています。薬師寺には、麻布に描かれた日本最古の彩色画である吉祥天女画像(国宝)があります。吉祥天と弁財天は、共に天女であり、新旧七福神の一員ということもあって同一視する見方もあるようです。
江戸時代に再建された講堂の基壇に、末永い建物の無事を祈って埋納された鎮壇具(ちんだんぐ)が見つかって今う。奈良特産の赤膚焼あかはだやきの甕(かめ)と小壺に稲籾いなもみやガラス・水晶が納められていました。仏教だけで行われたのではなく、神祇、陰陽道、道教によっても行われました。真言宗では、瓶(甕)、五宝(金,銀,真珠,瑠璃,水晶または琥珀)、五穀、五薬、五香が埋められ、壇を築く以前の供養を地鎮として瓶のみを埋めたようです。縄文時代には埋甕(うめがめ)という風習があったので、息栖神社の「忍潮井」の瓶(かめ)も富士山を鎮める目的があったと思われます。遮光器土偶が「甕の神」とすると、遮光器土偶も地鎮の目的で埋められたのかもしれません。
薬師寺とオリンポス山を結ぶラインの近くには、饒速日命ゆかりの白庭台、八幡神社(吉川八幡神社)(大阪府豊能郡豊能町)、猪名川不動尊(兵庫県川辺郡猪名川町)、養父神社(兵庫県養父市)、長瀬八幡神社(兵庫県美方郡香美町村)、兵主神社(兵庫県美方郡新温泉町)があります(図1)。
オリンポス山とエルサレムを結ぶラインは、イカロスの伝説のあるイカリア島やロドス島を通ります(図2)。
パルミラ(タドムル)は、シリア砂漠の中央に位置するオアシス都市で、シルクロードの中継点として、紀元前1世紀から紀元3世紀にかけて最も栄えました。邪馬台国の時代とも重なります。パルミラのベール神殿などには、地中海世界に起源をもつ葡萄唐草紋が用いられていますが、奈良の薬師寺にまで伝わっています1)。かつてはオシリスと同じく死と再生の神だったディオニュソスは、ギリシア神話では豊穣とブドウ酒と酩酊の神で、聖樹は葡萄、蔦です。
パルミラとエジプトのルクソールを結ぶラインの近くには、パルミラと入れ替わるように消えた砂漠の都ペトラ1)があります(図3)。紀元前1200年頃から、エドム人たちがペトラ付近に居住していたと考えられていて、紀元前1世紀ごろからは、古代ナバテア人の有力都市として栄えました。ペトラの特徴として、スパイス交易の拠点機能と治水システムがあげられています。紀元1世紀からイスラーム誕生の7世紀までの間、ハウラーン、ペトラ、シナイには、アル・ウッザー女神の神意を伝える巫者がいたことが碑文資料により知られています。ナバテア人はウッザー女神を篤く信仰し、アフロディーテ女神と習合していました。ペトラ博物館にある「ハイヤンの女神」の石板の顔は、箸墓古墳などから見つかった木製仮面と似ているように思われます。水と密接に関係しているウッザー女神はマナート女神及びラート女神とともに、至高神の三人娘のひとりと捉えられていました。これは宗像三女神と似ています。ペトラのエル・カズネにはエジプトのイシス神を象った彫刻も見られます。ルクソール(図3)は、エジプト新王国の時代の都市テーベがあった場所で、ナイル川の東岸にカルナック神殿やルクソール神殿、ナイル川西岸に王家の谷や王妃の谷などがあり、王家の谷にはツタンカーメン王の墓があります。
図3のタドムル(パルミラ)と薬師寺を結ぶラインの近くには、青谷上寺地遺跡、若桜弁天 江嶋神社(鳥取県八頭郡若桜町三倉)、八大龍王権現大野神社(若桜町大野)があります(図4)。薬師寺は、奈良県橿原市にあった本薬師寺から平城京遷都の際に、現在の場所に移築されたとされていましたが、最近の発掘調査により別々に造られたとする説が有力になっています。薬師寺は、弥生時代の投馬国と推定される青谷上寺地遺跡や、豊玉姫命と関係があると推定される八大龍王権現大野神社とレイラインで結ばれていることから、邪馬台国の時代から薬師寺の場所は聖地だったと推定されます。
薬師寺金堂には、薬師如来像の両側に「日光・月光菩薩立像」が安置されています(写真1)。「日光・月光菩薩立像」の体の逆S字状やS字状の曲線は、ミロのヴィーナスやサモトラケのニケと似ているように思われます。このポーズは三曲法というようです。宝冠には、アテナや縄文のビーナスの冠に似た渦巻き模様があります。
「日光・月光菩薩立像」は、豊玉姫命と関係があると推定される大御堂観音寺(普賢寺)(京都府京田辺市)の十一面観音立像とも似ています。崇神天皇の宮(支城)があったと推定される京都市北区西賀茂水垣町と熊野那智大社(和歌山県東牟婁郡那智勝浦町)を結ぶラインの近くに、観音寺(普賢寺)、薬師寺、唐古・鍵遺跡、本薬師寺跡、大峰本宮 天河大辨財天社(奈良県吉野郡天川村)、玉置龍神水(和歌山県新宮市熊野川町)があります(図5)。
文献
1)中村真哉(編) 2023 「Newton別冊 新・ビジュアル 古代遺跡辞典(ニュートンムック)」 ニュートンプレス