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🇬🇧大学院留学で「何者か」になりたかった私
「イギリスで大学院留学してました」
会社の内定式で自己紹介をしたり、長らく会ってなかった人とcatch upをした際にこの言葉を言うと、大抵びっくりされます。
あまりする人がいないのと私のバックグラウンド(齢24、女、地方出身)も鑑みてだろうけど。
でも、5年前の私が知ったらびっくりするだろうなとは思います。
さて、今回は卒業した今、大学院留学を通して何者かになりたかった過去の私を振り返ります。
「何者」かになりたかった私
大学院に出願すると決めたとき、「イギリスの大学院で勉強すること」は、なんだかすごいことであって、将来のキャリアに多大なる影響を与えるだろうな、、と漠然と考えていました。
そう、「何者か」*になりたかったのです。
*漠然としているのでここでは、
何者:今の自分とは違う、レベルが上のすごい人。というような定義とします
大学3年の春頃から就職か進学かを迷い始め、新卒でイギリスの修士課程に進むことになったのですが、当時の私はおそらく自信がなかったのでしょう。
ちょうどコロナ禍で学生生活を送っていたこともあり、学生生活をうまく満喫できずにいました。そして、自分が何をしたいか血迷っていました。
出版社に入りたいと思って編集インターンを某有名ビジネス誌を扱う会社でやってやっぱ違うと思ったり、やはり国際協力だ!と思いNGOでインターンするもリモートと無給でやる気が全くなくなり、すぐ辞めたり。。
最後は直感で「就活」をしたくないと思い、進学に振り切りました。
そこからはIELTSの勉強や進学先の願書づくりなどに精を出し、無事合格。合格通知をもらった半年後に入学することになるのですが、人間色々惑わされるものですね。
いざ入学、となるとネイティブについていけるかなどの不安に苛まれていました。自分の性質がENFPとHSPなのもあって、正直気苦労に悩まされる人生を送っています(あれやこれやと思考を巡らせて疲れてしまうんです)。
英語力に自信がないまま渡航したため、実際にディスカッションでは大変苦労するはめになりました。。
話を「何者かになりたかった私」に戻しますが、いざ入学すると一年間の修士課程というハードスケジュールの関係で、在英中は目の前のことをやることで必死でした。渡航前の自分の理想像なんて、知るか!!という感じ。
ダサくてもいい、できなくてもいい。。自分の不甲斐なさを受け入れる一年間でもありました。おかげで、「何者かになりたい」なんて願望をそういえば持ってたな、、と卒業してから数週間経って思い出したほどになりました。
実際、「何者か」になれたのか?
一年間の留学を通して、もちろん専攻分野に関する最新の知見を得ることができましたし、新たな関心分野を見つけることができたのはアカデミックにおいて大きな喜びでした。また、気の知れたコースメイトと知り合い、海外の人ともここまで仲良くなれるんだ、という英語や自分の持つ愛嬌などの効力感を実感できたのも大きな収穫です。そして、誰に対しても物おじしない姿勢を持つことができました。英語で喧嘩したり、クレームを言ったり。。
これらのことは人生できっと役に立つでしょう。留学する前の私にしてみれば、十分「何者(すごい人)」かになっているかもしれません。
またキャリアに関して、春から新社会人となる現在において、これからうん10年と続くキャリア構築の過程で大学院の経歴がどこまで影響を及ぼすかは未知の領域ですが、ポテンシャルがあるのではと思っています。
そして先ほどお話しした通り、「何者かになりたい」というような思想を持つことなんてナンセンスと思うことができるようになったのは、大きな成長かもしれません。
前提を疑え
資本主義社会の文脈がはびこるこの日本において、「勝ち組」「負け組」「〇〇ランキング」というような、他者と自分を比較せざるを得ない概念にぶち当たることが生きてるうちで多いように感じます。
今日も大学図書館で経済誌のダイヤモンドの表紙に「勝ち組年収」「負け組年収」というような言葉が踊っていたのを目にしました。刺激のある言葉であるため、私も思わず手に取ってパラパラと見てみたのですが、まあ、ネガティブになってしまいました。年収が高ければ人生優勝、みたいに見えたからです。
私の進路はいわゆる「人気」とされる業界の職種で、倍率もすごく高かったと内定式の時に言われました。けれど、就活自体ボロボロでやっとかっとそこも受かった感があるし、そして留学中に就活をしていたため、準備万端なコンディションで多くの企業を検討し、受けたわけではありませんでした。そのため、現在若干内定ブルー気味です。ダイヤモンドのような記事を見るたび、「もっといろんな大手を調べてアプライすればよかった」「もっと頑張れたんじゃないか」。こんな考えが頭をよぎります。
ただ、当時の自分には精一杯の頑張りだったことは確かです。
加えて私の所感として、人と比べる材料の多い日本社会こそが、私を「何者かにならないと」という強迫感を生み出していたのだと考察します。
情報をシャットアウトすればいい。これは返答として合っているようで、合っていません。だって、電車の広告や道ゆく街並みの看板、SNSのフィードなど、ネガティブにならざるを得ない言葉が散らばっているんだもの。
だから、これからの人生でも日本で生きていると、「何者かにならないと」という焦燥感をまた感じてしまう気がしています。自己肯定感がなくなるような、そんな感じです。
しかし、それではキリがありません。いつか心身が摩耗してしまうと危機感を感じています。私はこうして俯瞰的に見ることができていますが、そうではない場合はうつ病などを発症してしまう恐れがあるでしょう。
さいごに
必死にエッセイや修士論文を出して、就活した一年間を振り返ると、走り終えた後のような感覚があります。100m競走を想像してみれば理解しやすいと思いますが、走っている間のきついことや緊迫感などは、走り終えたあとはスッキリ感だったり、「終わったー!」という感じでいっぱいですよね。そんな感じです。
そのため、正直自分が何者になったのか、自分でも正確には理解しきれていないと思います。周りからは「タフになったね」とか、「変わったよね」と言われるので、自分よりも周囲の人の方がわかっているかもしれません。
出願時に思い描いていた「何者か」になれたかは分かりませんが(まだまだ20代前半、発展途上ですよね)、その時その時の自分の最適解だと感じることに向かって生きてきたため、その漠然とした過去の想いに必ずしも応えないといけないことはないと考えています。
また、この話は数年時が経ったときに追加で書くかもしれません。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。