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新婚の孤独


大きな不満や不安、危機感が無くてもこの世は寂しいものだなぁ、という話をします。


この頃気づきました。自分自身を心の底から理解し、寄り添ってくれる人なんていないと。

ずっと、そんな人がどこかにいて、見つけられたら将来の伴侶になるものだと思い込んでいました。
だからこそ好意を持って近づいてくる異性のことは希望をもって迎え、居酒屋で少しだけ込み入った話をして、理解された気がしていました。


「ヤリモク」「ワンナイト」の概念が案外身近に転がっていると知ったのは、少し後の話です。


今思えば浅はかですね。“理解者”は異性とは限りませんし、それが恋愛の形をしているとも限らない。そして、理解してくれる人が必ずしも寄り添ってくれるとも限らない。


話は飛躍しますが、現在いわゆる新婚さんです。
そんな幸せ真っ盛りな奴が触れるテーマではないかもしれませんが、結婚したことによる環境の変化で、感情は揺れ動くんですね。


まず、今のところ倫理を踏み外したいと思うことがないため、正直に既婚である旨を伝えるので、言い寄ってくる異性が皆無です。友達とも比較的ライトな話題でワイワイすることが多いので、夫以外と深い話をすることがなくなりました。

それに、夫はそこまで対話を好まず、どちらかというと察して察されてを心地よく思うタイプです。

私は本音を言うととことん話し合いたいですが、人生の中でそういったタイプに出会った経験が極端に少ないので、そもそも絶対数が少ないのだろうと思いました。

過去に1度だけ議論好きとお付き合いしましたが、お互い主張があまりに平行線で苦しかったことから、タイプが合うだけでは一緒にいられないと思いました。
双方冷静だから喧嘩にはならなくとも、お互い簡単に主張を曲げないから一生意見が合わない。


そんな経験から、“理解してくれる人”と“寄り添ってくれる人”は似ているようで大きく違うし、両立はとことん難しいと知りました。
そして”これは相手のある話なんだ“と当たり前のことをいまさら実感しました。

自分が理解者を見つけたと思っていても、相手はそうではないなんてパターンも往々にしてあるんですね。


それに、どちらを取るかと問われれば、生活を共にする上で大切なのは後者です。
「理解していても寄り添わない」よりは
「よく分からないけど寄り添いたい」の方が、毎日心穏やかに過ごせます。

きっと夫のすべては理解できていませんし、夫も私のこともすべて理解しているとは思えませんが、いまのところその点では、お互いのことを思いやって暮らせているのかなと思うところです。

独身時代は、夫婦になれば一心同体の仲間ができるものだと思っていましたが、やっぱり伴侶ができても孤独なところは孤独です。

ただ、その孤独な部分がなければ、今度は「息が詰まる」とか「精神的に自由でない」なんて言い出すのが私であり、人間なんだろうな、と思います。


たとえ交際期間が長くても、新婚ってやっぱり相手の感情が分からなくてもどかしくなったり、つい顔色を伺って地雷を探ったりするものです。

これは私の壮大な妥協の記録と読まれるかもしれないし、遠回しな惚気だと捉えられるかもしれないけれど、ただの日記です。

受け取られ方を想像するとキリがありませんが、私も人生の新たなステージでいっぱいいっぱいで、日々こんなことを考えたり、考えずに酒に逃げたりしています。


一貫しないのが人間らしいよね、と言い訳をしながら、今日もグラスを傾けるのでした。



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