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家から徒歩1分、神が揃う山があります

家から徒歩1分くらいのところに、『神揃山』という小さな山がある。かみそろいやま。山、という名前はついているけれども、体感的には丘という方が近いように思う、近所の裏山、みたいな距離感の場所。

「『かみそろいやま』って、すごい名前だよね。だって神が揃うんだよ」

あそびに来た知人からの言葉に、言われてみれば確かに、と思った。

3歳の時に引っ越してきてから30年弱、『神揃山』という名前をこれといって気にしたことはなかった。ときどき散歩する場所で、1年に1回『国府祭』というお祭りの神事が執り行われる場所で、甥っ子たちとときどきドングリを拾いに行ったりする場所。そのくらいの距離感。

『国府祭』というお祭りは、毎年5月5日に行われるお祭りで、『神揃山』ともうひとつ祭事が行われる『馬場公園』の間の300mほど道路に屋台がずらりと並び、びっくりするくらいたくさんの人が押し寄せ、周辺の道路にはゴミが散乱する、『国府祭』の日はできれば外出したくない、そんなイメージしか持っていなかった。

(桜の頃の馬場公園。どこにでもあるような、普通の公園)
(馬場公園と神揃山の間の道。ここに屋台と人がずらりと並ぶ)

数年間、実家を離れて暮らしていたのを、一昨年の秋に帰ってきた。『国府祭』は新型コロナウイルス感染症の影響で規模を縮小して神事のみが執り行われていたけれど、2023年は4年ぶりに制限なく本来の形で執り行われるとのこと。

自宅から徒歩1分のところに、千年以上前から続くお祭りの祭事場がある。10代、20代の頃にはあまり気にならなかったけれど、30代になった今、少し気になってきた。5月5日の神事は予定があり今年は見れないけれど、前日は時間がある。少し歩いてみよう。

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そもそも『国府祭』とは。こうのまち、と読み、相模の国(現在の神奈川県)の神社六社が集うお祭り。

六社というのは、
・一之宮:寒川神社(寒川町)
・二之宮:川勾神社(二宮町)
・三之宮:比々多神社(伊勢原市)
・四之宮:前鳥神社(平塚市)
・一国一社:平塚八幡宮(平塚市)
・総社:六所神社(大磯町)

はじまりは奈良・平安時代、時は大化の改新後。都から地方統治のために国司と呼ばれる役人がそれぞれの任国に派遣されるとき、任国各地の神社に参拝するというお務めがあったそう。

しかしすべての神社を回るのは結構大変。そこで平安時代になって国府の近くに総社を設け、そこに各神社の御分霊(ごぶんれい)を祀ることで、巡回を省くことが制度化されたとか。国司が参拝するのではなく、神様がこちらに来てね、っていう話。

六社のお神輿が神揃山に集合し、様々な神事が執り行われる。『座問答』という神事は有名どころのひとつ。

相模国になる前、このあたりは大磯を境に東が相武(さがむ)国、西が磯長(しなが)国で、相武(さがむ)国の一之宮である川勾神社と、磯長(しなが)国の一之宮である寒川神社が、どちらが相模国の一之宮になるかという話し合いが行われたそう。その様子を伝えるのが『座問答』という神事。

神様が座る場所を虎の毛皮で見立て、三回ずつ前に進めることで問答の様子を表し、最後まで決着はつかず、三之宮の比々多神社が「いづれ明年まで」と仲裁に入って終わるという、独特な神事。

ちなみに、現在は一之宮が寒川神社、二之宮が川勾神社になっているけれど、いつ決まったのだろう。いつか誰かに聞いてみよう。

六所神社ホームページより)
六所神社ホームページより)
六所神社ホームページより)
六所神社ホームページより)


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『神揃山』を散歩していて、いつも不思議に思っていたことがある。神揃山は3方向、正確には4つの入口から登ることができる。道路に面した細い1本道が3ヶ所と、反対の住宅地側に面した間口の広い入口。広いほうにはなぜか木の階段が3つ並んでいて、それがいつも不思議だった。

歩行者用に整備されている木の階段、少し離れたところにもう一ヶ所、とかならまだわかるけれど、すぐ隣に、並んで3つ。

今日歩いてみて、謎が解けた。

(平塚八幡宮の神輿が通る道)
(その隣、前鳥神社の神輿が通る道)
(その隣、寒川神社の神輿が通る道)

それぞれ、各神社のお神輿が通る道だった。

(道路側の細い道、こちらは比々多神社)
(道路側のもう1本の道、川勾神社)

祭事が執り行われる場所には、竹と注連縄が。

(それぞれの神様の神体石)
(配置図。なぜこの配置か、などはわかっていないそう)
(神揃山の広場全景。当日はここに大勢の人が祭事を見に訪れます)

『国府祭』を調べていて、それぞれの神社からお神輿が歩いてここまで来るのか、と思ったけれど、現代はさすがにバス移動のよう。

ちなみに昔はそれぞれの神社から神輿を担いで歩いて来ていたようで、比々多神社の神輿は神揃山まで一直線で進み、神輿行列に踏まれた田畑は実りがよかったとか。

比々多神社のホームページに、当日のタイムスケジュールが載っていて興味深く拝見。「化粧塚(けしょうづか)着」というのがあり、化粧塚ってどこだろうと思う。大磯学園前はわかるけれど、その近くに史跡的なのあったかな。

(比々多神社ホームページより
http://www.hibita.jp/event/kounomachi.shtml

神揃山を降りて、馬場公園(逢親場祭場)方面へ。普段は砂利の駐車場になっている場所に神域が。「化粧塚」の文字。比々多神社のものは見つからなかったけれど、おそらく国府祭のときに臨時でつくられているようだということがわかり、少しスッキリ。

(ここから50メートルほど進むと、神揃山)
(お神輿を担ぐ前に腹ごしらえをするという、珍しい神事がここで執り行われるよう)

馬場公園(逢親場祭場)を抜けて、南に進むと、六所神社の化粧塚発見。化粧塚というのは、お神輿の待機場所のようなものなのだろうか。祭場に入る前に整える場所、的な。

ちなみに『国府祭』は県の無形民俗文化財に指定されていて、うまくいけば国の登録無形民俗文化財に登録されるとかされないとか。

1000年以上続くお祭りが綿々と受け継がれてきた地にいま暮らしている。人混みは苦手だけれど、来年は祭事を感じてみようと思う。

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