くじらびと 命をつなぐ命
以前ご紹介に預かった映画『くじらびと』を、京都シネマで観てきました。
鑑賞のきっかけを下さった、前回ご紹介させて頂いた記事を合わせて、再度掲載させていただきます。
『くじらびと』2021年公開日本映画。石川梵監督プロデューサー。ドキュメンタリー映画。代々鯨漁で生計を立るインドネシアのラマレラ村。人々の穏やかな日常と漁の過酷さを自然の雄大さと共に映像におさめた作品。
物々交換で生活する小さな村では、年間10頭の鯨がとれれば村全員が暮らしていけると言う。男達はよく日に焼け、シワが深く刻まれた顔は強く優しい。女達、子供たちの笑顔が絶えない、いい村だ。海はエメラルドの宝石のように輝く。
特に印象深いのはやはり、鯨漁の場面。
銛を撃たれた鯨は身をよじり、暴れ回る。あたりは真っ赤な血の海。巨大な体を旋回させて銛を振り払おうとする。舟に体当たりをする。大きく波を受ける舟は波に呑まれるのではないかと思う程に船体を揺する。鯨の断末魔、くじらびとの必死の応戦。
くじらびとの顔は、アーネストヘミングウェイの『老人と海』の老人のように見えたし、くじらびとと鯨の戦いは、ハーマン メルヴィルの『白鯨』の鯨モビィーディックと漁師の激しい戦いにも見えた。そして、狩られる鯨とくじらびとにブッダの『薩埵(さつた)王子』を思い出した。
『薩埵(さつた)王子』…釈迦の前世の王子が、飢えた虎とその7匹の子虎のために、自らの命を捧げて虎の命を救うお話…。誰かの命が誰かの命の糧となる自然の摂理と慈悲の心を説かれた話。
村民の生活を守るために命を懸けて漁をするくじらびとと、必死に生にしがみつきながらも最後には目を閉じて命を捧げる鯨にその話が重なった。
私達はスーパーに行けばパッキングされたお肉を買うだけなので、こんなにも生と生がぶつかり合う場面は目にしない。だけど、きっと同じように血を流した違う生き物の命の上に生かされて、今があるのだ。それを目の前で見ている気分になった。
浜に上がった鯨は村民総出で解体作業をする。まるでお祭りのように食べ物を授かった悦びに満ちている。ありがたみに溢れている。
村人は山々に宿る精霊、海の神様に祈り、またキリストにも祈る。みのりを授けられるように祈り、授けられたみのりに感謝してまた祈る。
普段ともすると忘れがちな命の食物連鎖を思い出させて頂けた映画だった。
美しい海の映像や、波の音だけでも充分癒される。だけど、銛1つで鯨漁をする勇者は一見の価値あり。私達日本人も同様にして鯨漁をしてきた歴史があるし、私の幼き頃には日常的に食卓には鯨が上がっていた記憶がある。今よりももっと身近な食材だった鯨。私達のご先祖様もラマレラ村のくじらびとのように勇敢だったに違いない。
映画を観ての感想は人それぞれなので是非、海と海に生きる人々の姿を映画館の大きなスクリーンで観て頂きたい。
ちなみに京都シネマはスクリーンが小さめ。私は後ろから2列目で鑑賞したけれど、海の映画を観るならもう少し前でも良かったかも…と後悔した。
京都シネマは他にも興味をそそる映画のポスターが沢山貼ってあった。なかなか面白いセレクトにワクワク感が止まらない。また行きたいと思う映画館だった。
また、機会があれば『老人と海』『白鯨』もどうぞ。