帰り道はおどりブロッコリー
「あ! おどりブロッコリー、あったー!
ちの君、はい、一本どうぞ!」
「……ありがと」
そうせい君は道端の草を2本引き抜くと、我が息子ちのに一本わけてくれた。恥ずかしがりで無愛想なちのがお礼を言っているのが新鮮だった。
二人は下校仲間の新一年生。
30分近い通学路を一緒にとことこ帰ってくる。
二人とも手には小さな花束。
同じ花が2本咲いていたら1本ずつ分けっこしているのが可愛い。
シロツメクサ、ハルジオン、ハナカタバミ、アカバナユウゲショウ、チガヤなどなど。
可憐な春の野草が握りしめられて、私が合流する頃にはぐったりしている。
車通りの多い道が心配で、私は毎日途中まで迎えに行っている。往復で小一時間かかるので面倒ではあるが、迎えは楽しい。
友達といる息子の自然な笑顔が見られるから。
*
小学校に入学して1ヶ月ほど。
新生活に慣れてきたものの、まだ学校では心を閉ざしている。それでも隣の席の子と友達になれたそうで、かろうじて嫌がらずに登校してくれている。
「学校で何が一番楽しい?」と聞いたら、
「帰る時。帰りたいから、行くんだ!」
後ろ向きな発言にも聞こえるが、納得。
帰り道、楽しいもんね。
楽しいことが思いついただけでよかった。まずはそれでいい。
*
「先生っ! のどが渇いたので、カルピスを買ってくださいっ!」
学校が始まって三日目。先生も下校に付き添ってくれていた時のこと、自販機を通り過ぎる際、そうせい君が爽やかに叫んだ。
ハキハキした発声と、片手をピッと高らかに挙げた物おじしない姿勢。
「先生」が「宣誓」に聞こえた。体育祭の最初に凛々しく叫ぶやつ。
「そうせいさん、それは無理だわ、ごめんねぇ」
と優しく返す先生に
「やっぱりそうかぁ」
とそうせい君は無邪気に微笑んでいて、そのあっけらかんとした子供らしさが好ましかった。
ふわっとした茶色の短髪と眉毛。くりっとしたよく光る瞳。芝犬のような愛らしさ。
そうせい君はその日の別れ際、
「ぼく、ちのくんとおともだちになれて、ほんとによかったなぁ」
と、なんのてらいもなく言った。
「のどが渇いた」と同じくらい自然だった。
いつもへの字な息子の口角が、ふわっとあがった。
ほおが上気した。
多分、私も。
「自分がしゃべらなきゃいいんだ。その方がうまくいくんだ」
年中の頃、息子は突然言い出した。
何があったのかはどうしても話してくれなかった。
なにかが、あったのだと思う。
実際に、外ではほとんど話さず過ごしている。参観会に行くたび空虚な目の我が子を見る。家の中でだけ、おしゃべりでお調子者。
そんなちのが帰り道、友達と無邪気にしゃべっている。笑っている。
それを横で見ていて、私まで幸せになっている。
***
「ちの、これはヒメコバンソウ。
コバンソウってあるでしょ、小判みたいな形の。それよりずっと小さい小判だからヒメコバンソウっていうの。
植物の名前の付け方で、小さいものを「ヒメ」っていう時があるんだよ」
私は植物が好きだ。ちのも興味を持ってくれるので、ついつい詳しく語ってしまう。父親は虫が好きなので、同じく虫についての雑学を述べる。
ちのは年のわりにかなり植物や虫に詳しい方だと思う。
学校が始まって1週間くらい経ったころ。
そうせい君は植物も虫も今まで興味がなかったようだが、よく息子に付き合ってくれる。
息子のまねして、おっかなびっくりてんとう虫を手にのせた。
なんでも素直に挑戦するそうせい君の伸びやかさが気持ちいい。
ところが、
「げ、やだ!てんとう虫が黄色いおしっこした!」
てんとう虫に黄色い汁を出され、怯んでしまった。
そこで息子が
「それはおしっこじゃないよ、てんとう虫の血なんだって。鳥とかに食べられないように出して、苦くって〜」とあれこれ語り出した。
手についた汁を嫌がってる子にそんな話してもなぁと気を揉んでしまう。
そうせい君は「ふうん」と相槌をうってくれたが
「どうしよ、この黄色いおしっこ」
と、ズボンで拭いながら相変わらずおしっこと言っていた。
そうせいくんと別れ道でさよならしたあと、
「おしっこじゃないんだけどなぁ。だれもわかってくれない。虫博士のゆうた君だけだったなぁ」と息子はしゅんとしてつぶやいていた。
自分の好きな分野で、間違った知識がはびこるのに嫌悪感があるのは私もよくわかる。伝わらないもどかしさも。
でも、友達と遊ぶ時にあまりそこに固執してもなぁ……と悩ましい気持ちになった。
「ちのも全然知らないこと、色々あるでしょ。車とか恐竜とかさ。そういうの、詳しい子に急にいっぱい言われてもわかんないじゃん」
「ああ、まあね、たしかにね」
ちのは神妙に相槌をうつ。
(微妙に上からな口調が私そっくりで恥ずかしい)
「みんなそれぞれ好きなことや詳しいことがあるしさ、逆に知らないこともあるのが当たり前だし。
教えてって言われてから色々話した方がいいかもね」
「そっかぁ、まあそうかもね」
「そうせい君が興味もってくれてさ、一緒にお花摘んだりさ、虫捕まえたらできるだけでさ、すっごくうれしいよね」
ツツジの低木から伸び出たカラスノエンドウを引き抜き、放り投げ、突然ダッシュで走りながら、笑ってちのは叫んだ。
「うん!」
*
それから数日後。
そうせい君は風にそよぐヒメコバンソウに興味をもった。
「なんかこの草おもしろい。ブロッコリーに似てる。ブロッコリーぐさ。
あ! おどりブロッコリー!」
「ヒメコバンソウって言うんだけど……うん、いいね! おどりブロッコリー!」
めずらしく素直に受け入れた息子に成長を感じた。
それから二人は毎日おどりブロッコリーを摘む。
休日にこの草を見かけた時も、あ、おどりブロッコリーだ!と親子で呼んでしまった。完全に定着。
語呂が良くて声に出して言いたくなる。
軽やかに揺れる姿を見るたび、おどりブロッコリーってほんとにぴったりな名前だなぁと感心してしまう。
いや、どんな名であってもよかったのかもしれない。
私と息子の大好きな、そうせい君が名付けてくれた名前なら。
*
1ヶ月経った。
「ほら、ふざけてないで行くよ〜!」
けらけら笑って進まない子供らを促しながら、先陣を歩く。日差しがきつくてげっそりする。
おどりブロッコリーがよく生えている場に目をやると、淡い黄緑だったその草は、枯れかけて黄土色になっていた。
ああ、もう、時季もおわりか……。
思い入れができた分、さみしく感じた。
急に走ってこちらに追いついたそうせい君が、それを見つけて叫んだ。
「あーーー! おどりブロッコリーがーーー!!
ちの君! 早く来て!!」
呼ばれた息子はでっかいランドセルと水筒をがたごと揺らしながら走ってくる。重そうだけど目が輝いている。
「みて、ちの君!
色違いだよ!
おどりブロッコリーの色違いがでたーー!!」
「やった! 色違い! レアだーーー!!」
ちのは間髪入れずに子供っぽく叫び返した。驚いた。
少し前なら「それは枯れてきて色が変わっただけだよ」と冷めた口調で言っていただろう息子が、まるで無邪気にはしゃいでいる。
そうせい君と共に、両手におどりブロッコリーを持って踊っている。
5月の風に繊細になびく。
柔らかく光るものをまとっている。
儚げでありつつしなやかに強いこの草を、
私は生涯、おどりブロッコリーと呼ぶだろう。
子供達が忘れても。
また少し、私の子は大人になった。
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