【検証】公園で将棋を指していれば師匠ができるのではないか
皆さん、師匠が欲しくはないだろうか?
私は欲しい。
初めはただの飲んだくれだったり、適当なことを言ったり、雑用ばかりやらせてきたりと不信感しか感じられない。しかし、本当は凄い経歴や力を持った人物で次第に尊敬していく。そして、最後には「もっと教えたいことが山ほどあった・・・・・・」と残し死んでしまう。
そんな師匠が欲しくてたまらない。
今回、私は師匠を探すことにした。
もちろん、誰でもいいというわけではない。
ここで私の求める師匠の条件を共有したい。
〈理想の師匠〉
・お年寄りであればあるほど良い
・1人称が「わし」
・私のことを「若いの」「若造」「小僧」と呼ぶ
・酒飲みでいつも酔っ払っている
・「弟子は取らん」というが、過去に弟子を失った過去があることが原因
・私を自分の若いころに重ねがち
こんな人間、現実にいるのだろうか?
挙げようと思えばキリがないことに気付いたので、高望みはしない。
少しでも師匠要素があれば弟子入りする。
さて、ではどのように師匠と出会うか。
私はお年寄りが好きな将棋に目を向けた。
ステレオタイプかもしれないが、お年寄りは将棋が好きなイメージがある。
もし、若い子が公園で1人寂しく将棋を指しているのを見たら、お年寄りは声をかけずにはいられないだろう。
それでは手順を説明しよう。
<手順>
1.お年寄りの通行が多そうな公園を見つける
2.一人で将棋を指す
3.お年寄りに声をかけられる
4.弟子入りする
5.師匠ができる
まるでワザップに書かれた文章のようになってしまったが、シンプルでいて完璧な方法だ。
私に師匠ができるのは時間の問題かもしれない。
1. お年寄りの通行が多そうな公園を見つける
一番重要な部分なので慎重に選びたい。
私は公園を8個ほど巡り、A公園に決めた。
A公園は遊具が何もない公園である。
公園内にあるのは木でできた机と椅子4脚と屋根のみ。
お年寄りが休憩するのにもってこいの公園だ。
また、この公園は道路に面しており、道路から公園全体を見渡せる。なので、公園に入らずとも将棋を指している私を見つけることができる。
師匠を見つけてくださいといわんばかりの公園。
幼き頃は遊具もない公園をなぜ作るのかと疑問に思っていたが、10年の時を経て解ることになるとは。
2. 一人で将棋を指す
あとは一人で将棋を指すのみ。
家に将棋盤がなかったので、友人に借りた。
ちなみに、私は将棋を全くしたことがない。
駒の動かし方を知っている程度だ。
調べてみると詰将棋というものがあることを知った。この状況でどう動かすのが正解かという小テストのようなものでそれを解いてみることにした。詰将棋はなかなか難しい。
これで悩んでいれば「この駒をこうじゃ」と師匠が声をかけてくるだろう。
勝利は目前だ。
〈検証開始〉
目の前の道路をお年寄りが通るたびに気持ちが高ぶる。
しかし、誰も声をかけてはこない。
10時から始めて3時間が経過した。視線は感じるので、しっかりと私は見えているはずだ。
しかし、誰一人として声をかけてくることはなかった。
昼飯をとりに帰り、14時から再開して2時間経ったが、ただ詰将棋を解く時間だけが流れた
私の計算では、早期の段階でお年寄りが声をかけてくるはずだったが、そう簡単に師匠ができるわけではないようだ。
さすがに1日で辞めるのは悲しいので、数日続けることにする。
私は帰宅し、作戦を練り直した。
◇
〈2日目〉
前回、なぜ師匠ができなかったか。
私はスマホで詰将棋の問題を探して解いていたことが駄目だと考えた。
スマホを触っていたので待ち合わせをしていると思われたのだろう。
私は古本屋に走り、将棋の入門書を買った。
(400円で購入)
これで将棋を勉強していることも私が初心者だということもすぐ分かる。
自分の改善能力に驚きを隠せない。
前回同様、10時~13時、14時~16時まで将棋を指すことにした。
今日は幼稚園終わりの子どもたちが元気にこの公園を走りまわっていた。子どもたちが元気に走り回る中、一人の成人男性が詰将棋を解いている異様な光景がそこには広がっていただろう。子どもたちのお母さんからは不審な目で見られている気がしたが、くじけるわけにはいかない。
健闘むなしく、誰からも声をかけられなかった。
〈3日目〉
9時~10時 何もなし
16時~17時 何もなし
今日は雨が降っていたので期待はあまりしていなかった。雨の日に出会うというのも乙なものだが、現実はそう甘くない。
(雨の中の将棋。湿気とか大丈夫だろうか?)
<4日目>
8時~10時 何もなし
午前中は何も起きず、14時から再開した。
今日も現れないかと思ったその時、
「いす座ってもいい?」
とおばあちゃんが声をかけてきた。
「もちろんです」と私は答えた。
心臓の鼓動が早くなるのを感じた。
頭の中ではおじいちゃん師匠を想像していたが、おあばちゃん師匠というのも面白い。おばあちゃんは私の対面に座って手帳を開いている。
沈黙が流れる。
道路を走る車の音がやけにうるさく聞こえた。
おばあちゃんは手帳を見つめるだけで私の方を見向きもしない。
「最近、将棋を始めたんですけど、おばあちゃんは将棋指せますか?」
私は勝負に出た。
世間話などはいらない。
おばあちゃんは私に将棋を教えたくて椅子に座ったはずだ。
さあ、師匠ができる世紀の瞬間だ。
「うーん、やったことないの」
おばあちゃんは優しいほほ笑みを見せた。
この人は私の師匠ではなかった。
数分後、おばあちゃんは「またね」と言って立ち去って行った。
おばあちゃんは休憩に座りに来た、ただのおばあちゃんだったのだ。
この日は、これ以上の出会いはないとだろうと諦めて帰宅した。
<5日目>
14時過ぎに小学校低学年くらいの少年が2人きた。
少年の1人に「しょうぎだ!」と言われ、
「そうだよ!詳しいね!」と返したが、少年たちは既に通り過ぎていて、追いかけっこをしていた。
少年は目の前に入ったものを口にしただけで、私に声をかけてきたわけではなかったようだ。
公園は少年たちの遊び場と化したので、私は家に帰ることにした。
しかし、2日連続でイベントが起きている。
良い傾向だ。
<6日目>
10時~12時 何もなし
22時~23時 何もなし
初めて遅い時間帯にやってみた。
悲しいだけだった。
二度と夜の公園で詰将棋をしないことを誓った
(暗くて入門書も読めない。夜と歩)
<7日目>
突然だが、本日を最終日とする。
私の考えでは、序盤に師匠ができるというイベントは早ければ早い方が良い。遅くなればなるほど、師匠との出会いが美しくなくなってしまう。
それだけは避けたい。
企画を始めて7日目の今日こそが最終日にふさわしいだろう。
最終日といってもやることは変わらない。
ただ将棋を指して待つのみだ。
10時~13時 14時~16時
最終日だからといってドラマが起こるわけもなく、この日も師匠が現れることはなかった。
鞄にしまう将棋盤が悲しそうな顔を見せた。
結局、この将棋盤で誰かと対戦することはなかったのだ。
私は優しく将棋盤を撫でた。
<結果>
公園で将棋を指していても師匠はできなかった。
そもそも、話しかけてきたのは将棋を知らないおばあちゃんのみである。
A公園が駄目なのか、将棋を選んだこと原因か、私の住んでいる地域が良くないのか、はたまた知らない人に話しかけるのが憚られる時代が問題なのかは分からない。改善点はあるだろうが、可能性がないわけではないだろう。
私は師匠ができると本気で考えていたので、この結果は残念で仕方がない。
公園で師匠と出会うというビジョンは完全に見えなくなってしまった。
私に残ったのは、少しばかりの将棋の知識と蚊に刺された跡だけだった。
※後日、初心者の友人と一局指してみた。
7日間で少し自信のついた私だったが、詰将棋しかしてこなかったので序盤の動き方も戦法も分からず、初心者同士の泥仕合となった。
かろうじて勝利したが、特に将棋の腕は上がっていなかったようだ。
(経験者に見られたら笑われそうな盤面)
<最後に>
勘違いされては困るが、私は師匠の存在を諦めていない。
将棋が駄目だっただけで他の分野なら師匠ができるかもしれないからだ。
分野の数だけ師匠がいることを決して忘れてはならない。
この企画は師匠作りの第一歩に過ぎないのだ。
待っていてください、未来の師匠。
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