おひさまの下でできる、つまみぐいの幸せ。
秋の三大味覚と言われる、「芋・栗・南瓜」。蒸してそのまま食べたり、おかずとして煮たり焼いたり。はたまた、お菓子にもなるのだから、芋・栗・南瓜が秘めたる底力は、改めて本当にスゴいと言わざるを得ない。
だが、子どものころは、どれも食べたい! と思えるほど魅力的なものではなかった。すべて畑や山で普通に採れるものゆえ、わたしにとってはまったく珍しくもなかったのが大きな理由。田舎という土地柄、ケーキだのプリンだのこじゃれた形に姿を変えて食卓にのぼる機会もなかったため、煮物、もしくはそのまま蒸されて登場するのが常。さえない茶色い食べ物にずっとつきまとっていたのは、おばあちゃんが好きそうな印象。
けれど、世の中にスイーツブームが到来したり、それからは、あか抜けずにいた芋・栗・南瓜が、素敵なドレスをまとっているかのように、立派なお菓子になった姿を見かけるようになったりして、自分の中にあったイメージはどんどん変わっていった。もうダサいなんて言わせないわよ、くらいの圧をかけてくるじゃないか。
30代に入ってからだろうか。すっかりハマったのは、おしゃれなケーキや風流な和菓子でもない。子どものころに一番おばあちゃんっぽいと思い敬遠していた「干し芋」だ。買って食べるのが当たり前になってはいたけれど、それなりに値が張るもの。毎日のように手を出せるわけではないからこそ、ますます魅力的に映った。
この時期になると、ネットで売られている干し芋の口コミを読みあさったり、メディアからの情報を得たりしながら、吟味した品々をお取り寄せし、今年のナンバーワンを決めるのが、ひそかな楽しみ。
だが、先日、今年のナンバーワンはあっさり決まった。それは、自家製の干し芋だ。本当はそれなりのお金を払って買わなくても、蒸して外で天日干しにすればよいだけの手軽な食べ物。だが、車の排気ガスなどが気になり、現在住んでいるマンションのベランダで芋を干そうという気にはとてもならない。けれど、田舎は空気が澄んでいるからこそ、できるのだ。
この季節に帰省したのはおそらく20年ぶりくらいなので、実家で干し芋を作っているなんて初めて知った。快晴の日、親が台所から蒸したさつま芋を持ち、いそいそと庭へ出て行くので、何事かと思いきや干し芋を作るのだと言う。
数時間後、外に出てみると、いい感じで水分が抜けて干し芋ができ上がっていた。目の前にあるものをそのままかぷっと食べられるのは、なんたる幸せ。芋の甘みも去ることながら、雲ひとつ浮かんでいない真っ青な空の下でのつまみ食いに、さらなる幸福感を味わえた。
いずれ自分で一から作ってみたいと思っているけれど、面倒くさがりやなわたしに、果たしてそんな日は本当にくるのであろうか。自家製とはいえ、親が作ってくれたもの。結局は人様が作ってくれたほうが、おいしさをじわじわかみしめられるのかもしれない。