夢枕獏『月神祭』 豪傑王子の冒険譚 夢枕流ヒロイックファンタジー
現在映画『陰陽師0』が公開されている夢枕獏の『陰陽師』シリーズ――その遠い遠い源流といえるかもしれない初期作品群を一冊に収録したのが、この『月神祭』です。古代インドを舞台に、豪傑アーモン王子とおいぼれ仙人ヴァシタが、各地で様々な怪異と出会うシリーズ、最初の刊行時には「印度怪鬼譚」と冠されていた、ヒロイックファンタジーの名品です。
古代インドのとある王国の王子にして、人並み優れた巨躯を持つアーモン王子。象にも勝る怪力と、いかなる魔物も恐れぬ豪胆さを持つ彼の唯一の大敵は退屈――暇を持て余しては危険な冒険に首を突っ込み、幼い頃からのお付きの老仙人・ヴァシタにため息をつかせるのが、彼の日常であります。
今日も、処刑されて首を晒された盗賊が夜な夜な怪異を為し、王城でも指折りの戦士までもが惨殺されたと聞いたアーモンは、その首を肴に酒盛りをすると言い出して……
という「人の首の鬼になりたる」に始まる本書は、短編集『月の王』と長編『妖樹』を合わせた、長短合わせ六つの物語が収録されています。
恐るべき力を示す盗賊の首が秘めていた、哀しい真実を描く、上記の「人の首の鬼になりたる」
旅の途中、追手に追われる赤子を連れた女や、異様な風貌の元罪人と出会ったアーモン主従が、妖が人を食らうという村に入り込む「夜叉の女の闇に哭きたる」
前話に登場した、右半身が醜く焼けただれた元罪人・アザドが、何故か自分を執拗に付け狙う傀儡師が操る傀儡と、壮絶な戦いを繰り広げる「傀儡師」
人の尻に食らい付いて取り憑き、次々と宿主を変える魔物・黒尾精が出没する村に行きあったアーモン主従が、魔物退治に乗り出す「夜より這い出でて血を啜りたる」
雪山(ヒマヴァット)を目指して旅する途中、閉ざされた空間の中の村に迷い込み、曰く有りげな四人の男や人に化けた魔物と出会ったアーモン主従。村から脱出しようとする主従の前に、この村を支配する異様な美女が現れる長編『妖樹』
人語を解する獣たちが棲むという山に向かったアーモン主従が、四人の男女と共に大雨で洞窟に閉じ込められた末に怪異と遭遇する「月の王」
これらの物語は、アザドが主人公でアーモン主従が登場しない番外編的な「傀儡師」を除けば、いずれもヴァシタの一人称で語られる連作であります。
いずれも物語はシンプルといえばシンプル、退屈しのぎに出かけた先で、なりゆきで恐るべき魔物と対峙することとなったアーモンが、魔物と激闘を繰り広げる――というのが基本パターンなのですが、しかしキャラクター設定と情景描写の妙で読ませるのは、実に作者らしいというべきでしょう。
(ちなみに番外編の「傀儡師」も、アザドの独特のキャラを活かしつつ、日夜襲い来る敵との死闘を描いた名品です)
特にアーモンは、勇者というよりも豪傑――人並み外れた力を持ちながらもどこか呑気で、そして粗雑なようでいて心優しく情に厚いという、夢枕獏の得意とするキャラの一典型、というより原型といってよいキャラクター。本書に付された紹介等では、(『闇狩り師』の)「九十九乱蔵の原型キャラ」と記されていますが、それも納得です。
そしてそんなアーモンの大暴れを、彼を幼い頃から慈しみ、今なお「ぼっちゃま」と呼ぶヴァシタの視点から、時に驚嘆、時に慨嘆混じりに描くのが何とも可笑しく、客観的に見ればかなり殺伐とした物語のドギツさを和らげているといるのも、巧みに感じます。
また、ほとんどの物語が、酒を酌み交わしているうちに、アーモンが一方的に盛り上がり、「いこう」とそういうことになってしまうのは、ある意味『陰陽師』の原型といえないこともありません。
それに加えてもう一つ気付かされるのは、上で触れたように、基本的に殺伐とした――血と暴力と魔物とエロスという、パルプファンタジー的な世界観を本作は受け継いでいるという点です。
なるほどアーモンのキャラクターは「らしい」といえばらしいのですが、しかし、彼らが足を踏み入れる土地の情景など、天然自然の描写を詩情豊かに描くことによって(そしてもちろん古代インドという舞台設定によって)、独自の世界観を生み出しているのは、本作の一番の発明というべきでしょう。
まだ今のようにヒロイックファンタジーが一般的でなかった時代に、それを如何に日本に移植してみせるか――そんな試行錯誤の跡が窺われる佳品、日本でのヒロイックファンタジーの受容史の一ページに刻まれるべき作品です。
(そしてそれを本当に日本を舞台に移植してしまったのが、石川賢の漫画版なのですが……)