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鬼刑事vs名探偵の推理合戦!? 柴田錬三郎『柴錬 大岡政談』

 「大岡政談」といえば、八代将軍・徳川吉宗の時代に江戸町奉行を務めた大岡越前守忠相の名裁きを描いた物語群ですが、本作はその名を借りて、作者らしい伝奇物語を展開した作品です。忠相の懐刀である与力・石子伴作と、謎の素浪人・蝋燭ざむらいが、怪事件を前に推理の火花を散らします。

 盂蘭盆会の前夜、密かに駕籠で千両箱を運ぶ遠州屋の者たちの前に現れた、墨衣に一本歯の下駄を履き、六尺の宝杖を手にした荒法師。その姿を見咎めて捕らえようとした南町奉行所の同心を一蹴すると、荒法師は「娘は、明後日、そうぎの水のほとりに、返してやるわ!」の言葉とともに闇に消えるのでした。

 その荒法師が、先月まで京楽を荒らし回った怪盗「闇法師」と睨んだ南町奉行の与力筆頭・石子伴作は、手がかりを求めて変装姿で市井に潜むうち、奇妙な出来事に引き寄せられ、近衛流気学指南を掲げる家にたどり着きます。
 そこで待っていたのは、禁裏で長らく長橋局を務めた後、出府して気学の看板を掲げた美女・宮川徳。易占や迷信を毛嫌いするリアリストである伴作は徳に反感を覚えたものの、彼女は蝋燭に描かれた白面の浪人――お蝋燭殿なる人物の導きと嘯き、伴作に「そうぎの水」の手がかりを与えます。

 そこから遠州屋の娘が囚われた場所を突き止め、駆けつけた伴作。しかしそこは、娘を無傷で救出するにはあまりに難しい場所でした。
 立ち尽くす伴作の前に現れたのは、あの蝋燭に描かれた浪人――京の陰陽博士の嫡子として生まれながら五年前に出奔した阿部清方。彼が示す意外の妙手とは……


 この第一話「鶴の巣騒動」に描かれるように、本作は石子伴作と阿部清方の二人を探偵役として展開する物語です。

 石子伴作は、講談などの「大岡政談」もので忠相の部下として登場し、実質的に事件を追う役割を担う「実在の」キャラクター。しかし本作では八の字眉に眇眼、おまけに獅子鼻という、およそ風采の上がらない姿ながら、鋭い観察眼と長年の勘、そして地道な調査で事件を解き明かす人物として描かれます。
 一方、阿部清方はその対極に位置する白面の美青年――あの阿部(安倍)家の嫡流で、幼少期から天才の名を欲しいままにしながらも、全てを捨てて飄然と江戸に現れた一種の怪人物。頭も冴えれば腕も立ち、美女に慕われても冷淡にあしらう、いかにも柴錬作品の主人公然としたキャラクターです。

 本作は、この鬼刑事というべき伴作と名探偵というべき清方が、闇法師こと元比叡山の荒法師(清方とは腐れ縁の関係でもある)・東光坊らが引き起こす事件に対して推理合戦を繰り広げるのが基本フォーマットとなります。
 描かれる事件は、いずれも「鬼面人を驚かす」ようなものなのは、これも実に作者らしいところですが、それに対し、どちらもリアリストながら対照的なキャラクターである二人が異なるアプローチで迫る――といっても名探偵側が相手の足りぬところを指摘しつつ、易々と事件を解くというのは、探偵ものの定番スタイルというべきかもしれません。

 さて、本作は清方と東光坊の過去を描く発端篇に続き、短編三話から構成されていますが――正直に申し上げると、作者の作品にしては、物足りない印象が残ります。

 その理由の一つは、二人探偵制があまりうまくいっていない点が、やはりあるのでしょう。
 というのも、柴錬作品的にはどう考えても蝋燭ざむらいこと清方が主人公であって、伴作の方はその引き立て役に過ぎません。しかしスタイル的に清方の登場がピンポイントに限定されている上に(ただし、こうした構造自体は、探偵ものにはしばしばあるケースではあります)、闇法師もメインキャラクターとして動くために、焦点がぼやけた感があります。

 そんな中で、キャラクターや展開での主に性的な方面での(これも一種の鬼面人を驚かすの類ですが)生臭さばかりが目立つ感があり――それもまたらしさではあるとはいえ、いかに柴錬といえど、噛み合わないとこうなるのだなと思わされたのは、大ファンとしては残念なところです。
 結果として本作はこの一作のみで終わっており、あまりスッキリしない形での終わりとなっています。ファンとしては残念ですが、それもやむなし、と言わざるを得ません。

 ちなみに本作は、元々は『私説大岡政談』と題されていたものが、講談社文庫収録時に改題されたものです。集英社文庫では、『赤い影法師』の続編である『南国群狼伝』とカップリングだった――といえば思い当たる方もいるのではないでしょうか。


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