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時代の変遷と淘汰について思ふ、お盆帰省
今年が最後の夏帰省になるかもしれない。
自分の仕事と子供の予定がない週に、今年の夏は帰省をねじ込んだ。
戻ったら、またすぐに仕事と子供は夏期講習が始まる。
子供の受験が近づくにつれて、故郷は遠くなる。
親が高齢なので、いつ実家が解かれるかも分からない。
私の実家は、地方。
福岡から3〜4時間かけて帰る。
合理的思考な私の母は昔から食事にすごく手をかけるタイプではなく、きっと私もそれを引き継いだのだが、帰省すると適当に買ってきたものを食卓に並べたり、外食に連れて行ったりしてくれる。
今日は、山の中にある人気のお店に連れて行ってくれた。
帰省の度に行くので要領は得ていて、朝から店頭で予約を取ってくれたので開店時間に無事に並ばずに入れた。
お盆シーズン。
私たち家族連れ客以外は、おそらく親戚一同なプチ団体客ばかり。
お店を出る頃には、順番待ちで外がかなり賑わっていた。
実家は親戚で集まることは既に無くなっている。
母が団体客を眺めながら言う。
「昔はこんなお店もオードブルも惣菜もなかったから、おばあちゃんちで皆集まって、女性(嫁)たちはずっと台所。おばあちゃんはまた手の込んだの作るし、汗かきながら。後片付けもあるし、大変だった…」
私も幼少の頃の記憶を手繰り寄せる。
「そうそう、男たちは飲んでるだけ。おばあちゃんは古い台所で腰曲げてね」
小さい私はきっと、台所で母の所に行って女性たちの作業の邪魔をしていたんだろうな。
男性ばかりと年の離れた従兄弟たちがいた畳の居間の食卓よりも、ゴキブリが出そうな暗い台所の方の記憶が強い。
母は実家ですらそんな台所仕事を当然のように手伝っていたんだろうけど、本当は嫌だったんだろうな。
積極的に台所に立って当たり前な時代。
今はいい時代だな。
今は別の大変さはあるけど、少なくともジェンダーギャップは小さくはなってきてるんだと思う。
記憶は美化されることも多くて、
例えば前述の古いキッチンの風景は、古き日本のお盆のいち風景みたいに懐かしさを感じさせる。
けど、当人たちは腰に負担をかけながら、得意でもなんでもないことを暗黙の了解でしていただけ。
なんて。古き良きなのか分からない記憶を思い起こしたところで。
昭和のいち風景の町の残形を拝みに、帰省して世界遺産・軍艦島(端島)まで行ってきました。
あそこは労働者たちが地下に降りるところ、あそこがアパート、あそこが学校、あそこは神社、あそこはスーパー…と丁寧なガイドを拝聴してきました。
在りし日の家族や労働者たちの営みはもう感じられない状態で、少しずつ確実に朽ちていっていて。
昭和末期に生まれた私が軍艦島に感じたのは、ノスタルジーではなく、昭和の高度成長期が屍化する寂しさ。
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その町の人々が炭鉱に石炭に日本の未来への希望や期待を乗せて、労働者たちはあくせく働いていたあの時代。
協力し合って助け合って、1つの運命共同体のようだった軍艦島。
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時代も人々の意識も少しずつ確実に変遷して、これからも家族の形態とか集団意識とか上書きされていくんだろうな。
この故郷の田舎町も、お盆にお墓で爆竹を鳴らす習慣が消えてきている。
親戚が集まる習慣も、もしかするとお祭りも。どのくらい先まで残っていくのだろうか。
自分はここを出た人間なので言うのはなんだが、故郷の過疎化が心配です。
_終わり
↓10月期TBSの日曜劇場は、軍艦島が舞台です。