寛容で柔軟でふわふわなのが、未来へ向けて肝要
今期のドラマがひと通り終わりました。
ドラマや映画は出演者より脚本重視の私。
もちろん観ている中で「この俳優さんすごい!」と思ったことも多々あるのですが、反対にいくら推しや好きな俳優さんが出ていても、面白くなさそうと思ったら観ない。
今期は割と好きなドラマが多かったので、正直見逃しや録画を観るのに時間が足りませんでした。
寛容になりましょう
その観ていたドラマの1つ。
「不適切にもほどがある!」
タイムスリップを通して、令和と昭和の価値観やコンプライアンスなどの違いを抽出した面白いドラマでした。
このドラマはその回の要旨をミュージカルにして論じるのが恒例でしたが、最終話のミュージカルシーンで出てきた言葉に
「寛容が肝要」と出てきました。
実は私が過去にnoteに書いていた記事タイトルに同様の表現があり、
「クドカンと私の頭の中、おんなじじゃん!!」
と、恐れ多くも1人脳内で盛り上がっていた私。
↑ 私の記事は主には自分自身に対する寛容さについてですが、対外的な対応についても少し言及しています。
こころの視野がせまくなると、ひとに対して自分の価値観を押し付けようとしたり、失敗や順調ではないことを許せなくなったりあせったり。
私は寛容さにプラスして柔軟性を持つことも肝要かなと思います。
ドラマの話に戻します。
コンプラが高すぎる割に、ひとに寛容ではなくなっている現代と、
コンプラが低くて尊厳や平等性に疎かった昭和時代。
どちらの時代も他人に対する不寛容さが一部のひとを悲しませたりトラブルを招いたりする。
このドラマでも、最後に伝えたかったメッセージは
「もうちょっと立ち止まって、物事を広く優しく見ましょう」ということでした。
ドラマ内で昭和がああだとか令和がああだとか、どちらの不適切さも浮き彫りに出つつ、
さあでもこの不適切さは結局どうすれば改善できるのか?
ただのどっちの時代もあったね~どっちも良し悪しだね~で終わるつもりなのか?
という私の疑問を最終話で回収してくれてホッとしました。
そして、最後まで愛のある登場人物たちでした。
伏線回収も完璧ではなく、ドラマでも出てきたように緩い感じで良かったです。
未来を託すために、「ちくちく」ではなく「ふわふわ」を
こどもの絵本にもあります。
「ちくちくとふわふわ」
小さなこどもたちが学んでいることを、大のおとなたちが見落としている。
未来を託すこどもたちに、現在のおとなたちが「ちくちく」しあっているモノゴトを見せていいのかな。
「ふわふわ」した言葉や気持ちをたくさん表現して、世の中の空気を柔らかくしないと。
SNSの使い方も陰なる中傷も、他人への無関心も過干渉も、分類・区別することも、その態度も、こどもはその方法をおとなたちから間接的に取り込んでいる。
こどもは親の背中を見て育つと言いますが、ドラマを観てそんな反省も私の中で生まれたのでした。
↑ 面白いことに、絵本の作者へのインタビューにも「寛容さ」という言葉がありました。
主人公やわたしたちが往く2050年代は、どんな世の中になっているのでしょうか。
今よりも寛容で優しく、より良い時代になっていますように。
たのむから、経済的な景気は良くなってくれ~!
あとひとつ言わせて
このドラマを作ったTV局や制作会社、関連企業が、
ただ脚本通りにドラマをつくっておしまいではなく、クドカンさんが言及した業界あるあるにきちんと向き合ってくれることを願います。
_終わり
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