言葉について学ぶことは「武器を磨く」ことでもある
文章の勉強をしていてつくづく思うのは「あぁ、こんな言葉の使い方をすれば刺さるんだな」ということ。
同じ言葉でも「文章のどこに置くか」によって、刺さり方は異なってくる。
どんな形容詞を使うかによっても。
文章の書き方によって、相手の感じ方をコントロールできる。そんな気がする。
だから気をつけよう。
私は言葉という武器(刀)を手に入れた。それを磨いて切れ味を鋭くして、より深く相手を傷つけることだってできるのだ。
悪意によって文章を作りこみ、より攻撃力の高い刃(やいば)にすることもできるのだ。
それは絶対にやってはいけない。それは言葉の役割ではない。
頑張れ。その3文字が行く手を照らしてくれたことがあった。10年近く会えない人からの言葉だ。どこに住んでいるのかも知らない。LINEだけで繋がっている人。
それでも、その言葉は時間と距離を超えて、私の胸に飛び込んできた。今も私の心を照らすお守りのような言葉。
優しくて温かくて強い。
もし言葉に人格があるなら、言葉はきっと、そんな人になりたいのだと思う。
三田綾子
よろしければサポートお願いします! 頂いたサポートは、文章を書く時の資料代として、ありがたく使います!