心に平和を
十数年前に白血病で亡くなった友達が、当時のSNS、mixiで「僕の夢は世界平和です。」と冒頭に書かれた日記を読んで衝撃を受けたことがあります。
時代も変わり、SNSが主流の世の中になり、個人の発言力が上がって、感じることを自由に話せる時代になったけれど、当時の私は、そんなことを漠然と願ってはいても、公の場で口に出すなんて到底できない!と思った覚えがあります。
それと同時に彼の勇気に感動し、私の中には今でも彼の言葉が残っているし、彼の生き方に影響を受けています。
肉体はいつか滅ぶけれど、言葉は人に乗り移りながら長年生き続けますね。仏陀の言葉は2500年も生き続け、今日も救われている人がたくさんいます。
死と隣り合わせだった彼は、亡くなるまで、自分は人のために何ができるかと模索していました。いろんなことにチャレンジして。
その影響か、いつも私の中には「死ぬ時後悔しないようにやり切って死のう!」という想いがあるのですが、なかなか新しいことを始めるのは勇気がいるので、何となく始めたいなと思っていたnoteもやっと本日初投稿。
きっかけは、今日友人と電話で会話していたのですが、彼女は前からイラストを描けるようになりたいと言っていて、学んだり教材を買ってみたり、準備をするもののなかなか描き始められない、という話をしていました。
「なんで描けないんだろうね?」と質問すると、子供の頃、自分が描いた絵を見た先生にバカにされた、という会話。
何を言われたか、どんな絵を描いたか、詳細は覚えていなくてもその時の傷が彼女の心の中に残っていて、その恐れのエネルギーがチャレンジを足止めしているのかもしれません。
ただ、どんな経験をしても、いくら怖くても、やってみる経験をすることでしかその壁はぶっ壊せない。
どうしたら彼女がチャレンジして、彼女の人生がもっと豊かになるかな?と思ったら、自分がチャレンジしよーと思って、今これを書いてます。
「人は自分の鏡」というけれど、事柄は違っても、彼女の悩みは私の悩みでもあって、自分自身が変われば人は変わる、らしい。
それを忘れてしまうと、必死に人を変えよう変えようとしてしまいます。
でも、その後に思うのです。
「あ、そっか。私なんだ。私が変えたらいいんだったー。」って。
そんなことをまた気づかせてくれた、彼女に感謝。
私は、人の反応が気になるからか、自分の言いたいことを文章にするのに抵抗があるのですが、その壁を壊すとまた新たな世界が広がるかも。
わたしの変化で、彼女もチャレンジしてもらえたらいいなと願います。
「世界平和」って一個人ができるもんじゃないと思っていたけれど、最近それも夢じゃないんだなって思うようになりました。
「人は自分の鏡」であり、「世界は自分の内側の鏡」だとしたら、自分の中を平和にするだけで良いから。
みんながそれに気づいて、ただただ自分の中を平和にする実践をしていたら、争いなんて起こらないのでしょうね。
イライラしたり、ムカついたり、悲しくなったり、いろんなネガティブな感情もたくさん体験しながら、心を育て、平和に向かうプロセスが人生なのかなと感じたり。
そう考えたら、イライラ、ムカムカも、平和への大事な要素。
人生探求って楽しいですね。
感じたことをつらつら書いて、よくわからない文章だけどそのうち上手くなるかな?
明日も素晴らしい1日になりますように。