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私は悪くなかった! 呪縛からの解放、心の自由へ

~intermission4 著者の母についてvol.2 及び身内について~

 静沢美純(しずさわ みすみ)です。いつも長編小説「二十年の片想い」をお読みくださり、ありがとうございます。m(_ _)m
 noteデビューしてから、およそ半年が経ちました。小説は現在、プロローグから始まって、第59話まで投稿済みです。
 さて、私は2カ月ほど前、intermission3、小説の中休み記事として、小説とは別に、私の母について書いたものを投稿しました。(タイトル:私はそんなに「悪い子」ですか?) 私の母は、いわゆる「毒親」です。今回は、それについての第2弾、及び、私の身内について、他に、結婚観、精神科への偏見について、などを書きます。どうぞ、おつきあいくださいませ。
m(_ _)m


 「毒親」という言葉を検索してみたところ、えらせんさんとおっしゃる方の、「【危険】これ言ってたら“毒親”確定の口癖5選」という記事を見つけました。
 それによると……
口癖1.
「みっともない、恥ずかしい」
 (あなたは恥ずべき存在)
口癖2.
「そうだと思ったわ」
(あなたのことは何でもお見通し)
口癖3.
「私の言う通りにしなさい!
 親なんだから」
口癖4.
「あなたのためにどれだけお金を
 使ったか」
口癖5.
「親孝行しなさい」

(えらせん様、勝手に引用してすみません💦)

 1は、見た瞬間、笑ってしまいました。まさに私の母!思いっきり毒親だ!本当にそのままです。小さい時から何度も言われました。
「ほら、みんながお前を見ている。恥ずかしい!」
 これは、外へ出かけた時だと思います。具体的にいつ何どきだったかは覚えていませんが、かなりの頻度で言われていました。おかげで私は、学校へ行っても、どこかへ出かけても、人目が怖くて、いつも下を向いて歩いていました。自分の顔、体型、髪型、服装、履いているもの、バッグなどの持ち物、どれかが、あるいは全てが、ヘンなのではないかと不安でした。周りの人に奇異な目で見られているのではないかと、不安でたまりませんでした。
 現在は、私自身も歳を取り、母も高齢です。それでも時々言います。私に対してだけでなく、例えば、プロ野球中継をテレビで見ていて、ひいきの球団の選手が空振り三振などをすると、その選手に向かって(テレビに向かって)
「みっともないから辞めろ!引退しろ!」
 朝の情報番組の女性キャスターや、ゲストの女性コメンテーターの服装にも必ず文句を言います。
「なんて格好してるの!みっともない!」

 2は、具体的な記憶はありませんが、嫌な感覚は覚えています。
「隠したってムダだ。どうせ~なんだろう?お前のことなんて、私は何だってわかってんだよ!」
 みたいなことを、中学時代に言われたことはあります。

3は、
「お母さんの言うこと聞きなさい!」
「どうしてお母さんの言うことが聞けないの!」
 私が大人になってからも言っていて、ちょっと驚いたのを覚えています。大学時代、帰省していた時です。当時、私は車の免許を取りたてで、助手席に母を乗せてどこかへ行った帰りのことです。私が引き続き運転しようとしたら、
「お母さんが運転する。お前になんか任せられない!」
 それに対し、まだ運転したかった私は、ドアを開けて運転席に乗り込もうとしました。そしたら、
「どうしてお母さんの言うことが聞けないの!」
 と来ました。子供に言うならまだしも、私は20歳過ぎてるんだけど……と思ったことを覚えています。結局、帰りは母が運転しました。
 ちなみに行きは、助手席の母があまりにもうるさくて、私は萎縮しながら運転していました。
「危ない!」「ほら、赤信号!」
「ほら、ブレーキ踏まないと!」
「一時停止!停止線で止まる!」
「人が歩いてる!人が歩いてる!」
「きゃっ!何やってんの!もうちょっとでぶつかるところだったじゃないの!」
 エトセトラ……

4は、
「お父さん(夫)の給料の半分を、お前が盗んでいるんだ!」
 これは、私が大学時代に、帰省すると必ず言われた台詞です。私立の四年制大学だったので、国公立に比べて学費がかかること、一人暮らしをしていたので、生活費を仕送りしなければならなかったことを言っています。母は専業主婦です。父の給料だけで全てやりくりしていました。金銭的に大変だったことはわかりますが、それをわざわざ娘に何度も言うものでしょうか?
 私は実際、大学時代は親からの仕送りと奨学金で生活していました。奨学金のほうは、社会人になって働いてから、少しずつ返済していきました。
 ちなみに、私が小学3年生の頃、家を建て替えたのですが、その住宅ローンの話を、子供の時に何度も母から聞かされました。
「家を建てた時のお金が、お父さん(夫)の給料から毎月引かれている」
 そんな話を子供にするでしょうか?

そして5は、
「親不孝だからだ!」
 これは、前の記事にも書きましたが、逆剥け(ささくれ)ができると必ず言われました。小さい時からです。意味不明なので、検索してみたところ、「ささくれは親不孝」と、古くからの言い伝えだったのですね。意味としては、「日々の不摂生や夜更かしによる体調不良から、ささくれができる」そうで、「親の言うことを聞かずに乱れた生活を送ると、ささくれができる要因につながる」んだそうです。
 2歳、3歳の子供に「不摂生」とか「夜更かし」と言われても……
 赤ちゃんの時は確かに、私は夜泣きがひどくて、ほとんど眠らなかったそうです。それが「夜更かし」に当たるのでしょうか?赤ちゃんが母親を困らせてやろうと、悪意を持って泣くとでも言うのでしょうか?
 夜泣きについても調べました。親にとって大きなストレスであることは想像がつきますが、だからといって、赤ちゃんに罪はないと思います。


 ちなみに私自身は、お察しのとおり、子供はおりません。結婚歴もありません。それらを望まなかった一番の理由は、自分の子供を愛せる自信がなかったからです。私が母から浴びせられた数多くの暴力的な言葉を、自分の子供に言ってしまいそうで、子供がかわいそうだからです。私は母とは性格は似ていませんが、血は繋がっています。「虐待は連鎖する」ともよく言われますし。結婚しなかったこと、子供を産まなかったことを、後悔はしていません。
 結婚願望は、20代の頃はあったように思いますが、それは、結婚というものを現実問題として理解しておらず、単なる憧れだったように思います。あるいは、一人でいるのが寂しいから。もしくは、友人たちがみな、当時の「適齢期(20代後半~30代前半)」で結婚し、私一人が取り残され、焦っていたから。「30歳までには!」という、大部分の女性が持っていたであろう固定観念を、当時は私も持っていました。
 私自身が「結婚したい」というより、周りの人たちに流され、固定観念に縛られ、「結婚しなきゃ」と、自分を追い込んでいただけでした。今と違って、結婚は「するべきもの」であり、さらには「女の幸せは結婚」という価値観がまかり通っていました。
 もちろん私は、結婚そのものを否定はしません。良きパートナーと出会い、一緒に生きていきたいと思えれば、それはそれで良いことだと思います。
 ただ、私個人は、お見合いとか、婚活パーティーとか、マッチングアプリとか、そういったものをしたいとは思いません。したこともありません。自然に出会い、惹かれ合い、交際を深め、結婚に至る。もし結婚をするのであれば、私はそんな自然な流れがいいと思います。お見合いだと、初めに結婚ありきで、相手を好きにならなければいけない?、相手を無理やり好きになる?、順番が逆じゃない?、みたいな感じがします。もちろんこれは私個人の見解で、お見合いを否定するわけではありません。
 いずれにせよ、結婚は強制されるものではないと思います。

 この記事のサブタイトルに、「身内について」と書きました。前の記事「私はそんなに“悪い子”ですか?」を、私の身内の何人かに読んでもらいました。(当の母は高齢で、文章を理解する力や、記憶する力がなくなっているので、読ませていません。)
 記事を読んだ身内の反応は……

1.
 記事そのものを「興味ない」と言って読まない。あるいはちょっとは読んだのか、
「それで何?お母さんの悪口言って満足した?」

2.
「あなたの被害妄想でしょう?」
「作り話でしょう?そんな昔の記憶があるはずがない」
「お母さんがこんなことするなんて、あり得ない」
 と、記事の内容そのものを信じない。

3.
「ま、世の中いろいろある」
 そもそも私に無関心。

 他に、実際に言われたわけではありませんが、世間一般が言いそうな台詞が……
「あなたは子育ての苦労を知らないから」
「お母さんの気持ちも理解してあげないと」
「だったら泣き叫ぶ子供を静かにさせてみなさいよ!」
「言うことを聞かない子供に“やさしく諭して”教える?できるものならやってみなさいよ!」
「ちょっと叱っただけで虐待。何でもかんでも虐待。じゃあ、どうすればいいわけ?」
「世の中には、もっと大変な思いをしている人がたくさんいる」
「過去ばかり見ていても何も解決しないよ」
「もっと前向きなことを考えたら?」
 エトセトラ……


 記事の内容を信じてもらえなかったりする理由は、おそらくですが、私の精神科歴だと思われます。つまり、私は「頭がおかしい人」だからです。
 私は地方の田舎に住んでいます。閉鎖的で、様々な偏見に満ちた世界です。精神科に対するものも、そのうちの1つです。特に、私の地元の精神病院は、昔から、
「あの病院に行くと、薬漬けにされる」
「薬で殺される」
 などと、まことしやかに囁かれています。また、その病院の患者というだけで、
「怖い。何かされる。近づいちゃだめ」
「あの人の言うことを信じちゃだめ。頭がおかしいんだから。だって、○○病院の患者よ」
 などと、「お前はもう人間じゃないのだ」、「人間失格だ」みたいな烙印を押されます。
 かく言う私も、28歳当時は、それらの噂から、地元の病院は怖いイメージがあり、別の病院に行きました。
 精神科に行ったきっかけはもちろん、母から受けた言葉の暴力の数々、そして、学校でいじめられていたこと(身体的暴力を伴う)です。私はずっと、それらの辛い過去の記憶を、心の奥に閉じ込めて、思い出さないようにして生きていました。ですが、28歳の時、それらの記憶の数々が、一気にフラッシュバックしたのです。半狂乱というのか、パニック状態というのか、わーーっとなってしまいました。それで精神科へ行き、カウンセリングも受けました。
 精神科に対する偏見は、私の地元のみならず、以前は日本全国にあった、というのか、強まった、というのか……。マスコミが煽ったのです。私が30歳を過ぎてからですが、当時は、殺人事件などが起こると、「犯人はどんな人物なのか」に焦点が当てられ、テレビではアナウンサーなどが、必ずと言っていいほど、「この男(女)は精神科に通院歴があり……」と報じていました。まるで「精神科の患者はみな犯罪者」だと言わんばかりに。


 前の記事を投稿した後によみがえった、まだまだある、母からの虐待的な言葉を、いくつか書きます。


「いい歳して!(恥ずかしい)」
 これは今でもよく言われます。何歳になっても言われます。「○歳になったから、~しなければならない」、あるいは、「~してはいけない」などと決まっているのでしょうか?母自身はそんなに「立派に」人生を歩んできたのでしょうか?
 孔子さんの「論語」によれば……
「子曰く、
吾十有五にして学に志す、
三十にして立つ、
四十にして惑わず、
五十にして天命を知る、
六十にして耳順う、
七十にして心の欲する所に従えども、矩(のり)を踰(こ)えず」
 だそうですが、人間そんなに順調に段階を踏んで、立派に成長していくものでしょうか?


 私は小さい時から、
泣けば「メソメソするな!」
笑えば「ニタニタ笑って気持ち悪い!」
ぼーっとしていると、
「馬鹿面(ばかづら)するな!」
 これでは無表情にならざるを得ません。
 昔はテレビが一家に一台しかなく、見る時は茶の間で、母がいるところで見なければなりませんでした。高校時代だったか、アニメ映画「火垂るの墓(1988年、日本、高畑勲監督、原作は野坂昭如)」を見ました。太平洋戦争末期の、親を亡くした14歳の兄、清太と、4歳の妹、節子の話です。食べるものを求めて必死で生きようとしますが、やがて、節子が餓死。そして清太も……。「かわいそう」などという言葉では全然足りない、心をえぐられるような作品です。
 私は涙が溢れそうになっていたのですが、泣いては母に怒られる、馬鹿にされると思い、必死で堪えていた記憶があります。
 歳を取ると感動しなくなるものなのかと、ずっと思っていました。母から、あの本を読んで感動したとか、この映画を見て感動したとか、一度も聞いたことがありません。


「馬鹿みたい!」
 これは私が30歳を過ぎてからですが、庭の草むしりに精を出していると、
「無理しちゃって馬鹿みたい!」
 祖母が亡くなり涙すると、
「ほら、すぐそうやってパニックになって泣く。馬鹿みたい!」
 夏の甲子園で、試合に負けて悔し涙を流しながら土を拾い集める高校球児たちに向かって(テレビに向かって)、
「メソメソ泣いて馬鹿みたい!」
 私のすること為すこと全てが「馬鹿みたい」だそうですが、特に人間が「泣く」ことに対して、強い嫌悪感を持っているようです。


「我が道を行く、みたいな顔をするな!」
 高校時代によく言われました。「我が道を行く」という言葉の意味を調べると、「自分の意思や考えを強く持ち、時代や世の中の流行、周囲の大多数の意見に流されずに行動できる性格や、他人を気にせず自分の思った通りに行動するさま」だそうです。意外と良い意味なので驚きました。
 しかし、母がちゃんと意味をわかって言っていたとは思えません。おそらく、「お前は他人に無関心で、自分のことばかり考えている」といった意味で使っていたのだろうと思います。
 私は無関心なのではなく、他人が怖かっただけなのですが。


「私は、よその人には親切なの」
 おそらく私が今、「母は毒親なんです」と言っても、周りは誰も信じてくれないと思います。母は昔から、外面(そとづら)はものすごく良いのです。近所の人やお客様には、笑顔で愛想良く接します。私の担任教師には丁重に接します。
 母はよく私のことを、「内弁慶」などと言いましたが、それはそっくりそのまま返せます。
 周りの人たちはこぞって、
「いつもニコニコ笑っていて、いいお母さんだね。お母さんはあんなに明るいのに、どうしてあなたは暗いの?」
「お母さんはあんなに立派な方なのに、どうしてあなたはダメ(人間)なの?」
 と、一様に母を褒め、私を貶しました。
 母が態度を変えるのは、外だけではありません。家の中においても、強い者である父(夫)、私のきょうだい、祖父(舅)には何一つ逆らわず、表面は従っては不平不満を溜め込み、その愚痴を私にぶつけました。実際に父は唯一の稼ぎ手でしたし、頭の良い人なので、
「お父さん(夫)の言うことは、全て正しい」のです。
 逆に、気が弱い私と祖母(姑)には、徹底して攻撃しました。
 祖父は私が大学時代の帰省中に、寝室の布団の中で、いつの間にか亡くなっていたのですが、そんな時でも母は、祖母に向かって
「一緒に部屋にいるのに、なんで気づかなかったの!」
 と大声で責め立てました。
 母が祖母を激しく責め立てるのは、私が子供の時からしょっちゅうでした。私には、母が祖母をいじめているように見えました。ある日、
「あのクソババアをどう思う?」
 と聞かれました。子供だった私は、なぜかこの時は正直に、でも小さな声で、「かわいそう」と答えました。すると、
「かわいそう?ハッ!」
 と、呆れたような、怒りに満ちたような、鼻で笑ったような、すごい言い方をされました。祖母の味方をした私を、母が許すはずがありません。その後の記憶はないのですが、おそらく母は、以前にも増して私を攻撃したと思われます。
 祖母が高齢になり、膝を悪くして手術をして、思うように動けなくなった時も、母は、
「私をいじめたからだ!バチが当たったんだ!ざまあみろ!」
 母によれば、専業主婦の自分に、若い時に外へ出て働かなければならなかった祖母が、「何もしないで、ただ家にいる」と言ったとか。


 ちなみに私のきょうだいは、頭が良く成績優秀、スポーツも出来て、絵や作文の才能もあり、学級委員も務めました。いわゆる「完璧な」人間です。母は私のきょうだいのことは、「大したもんだ」と褒めています。性格も母に似て「強くて優れて」いるので。
 しかしそのきょうだいは、母から「美純のようなダメ人間になるな」と言われて育っているので、私を見下し、馬鹿にします。
 また、先にも書いたように、私が私立大学へ行き、一人暮らしをしていたことで、母は、「美純がお父さん(夫)の給料の半分を盗んでいる」と、私のきょうだいに教えていました。きょうだいは、私に対する恨みや敵対心を募らせていきました。母はよく、
「たった二人だけのきょうだいなんだから、仲良くしなさい!」
 と言いましたが、逆に仲を引き裂いています。子供の頃は一緒におもちゃで遊んだり、スケッチブックに漫画を描いて見せ合ったりしていたのですが。

 前の記事を投稿し終えた時、私は、母からの心理的虐待の事実を全て書き出して、少しすっきりしたというか、心が軽くなったような気がしました。
 ですが今度は、身内の冷ややかな反応に、いささかショックを受けました。次第に、何かもやもやするものが湧き上がってきました。母に対しても、やっぱりまだあるわあるわで、もやもやが大きくなり、眠れない夜が続きました。そこで「もう一回書けばいい」と思い立ち、第2弾として、この記事を投稿しました。
 この2カ月の間、前の記事に共感してくれた友人もいますし、「お母様が過去に行ったことは、虐待であり、犯罪なんですよ」と教えてくださった先輩もいます。今、この場を借りてお礼を申し上げます。本当に、ありがとうございました。
 また、様々なnoteのクリエイターさんの、様々な記事を読みました。心理カウンセラーの方のものが多いです。共通して次のようにおっしゃられていました。
 「自分に自信が持てない」とか、「自分を責めてしまう」のは、幼少期の親子関係に原因があります。無条件で愛情を注がれるべき時期に、無情な扱いを受けては、成長しても、大人になっても、自分を否定する人間になってしまいます。それは致し方のないことです。幼い子供は、親を慕い、親に頼らなければ生きられません。幼い子供に、何ら罪はありません。
 私は本当に、幼い時からずーっと、
「私はダメな子供だ。ダメ人間だ」
「私は欠点の塊のような人間だ。欠陥人間だ」
「私はみんなよりも劣っている」、「非は全て私にある」
 と、つい最近まで、自分を責めに責めて生きてきました。


 自分の性格について、長年悩みました。なぜ私はこんな、
「気が弱い、臆病な性格で、必要なことすら喋れない(挨拶やお礼すら言えない)人間なのだろう?」
 と、長年の謎でもありました。

 「発達障害」かもしれない、と思ったこともあります。でも、それについて調べたり、それを扱ったテレビドラマを見ると(もちろん芝居ですが。子役の子たちが、発達障害の子を演じていました)、ちょっと違うような気がしました。

 「非定型発達」か?とも思いました。当てはまるところもあり、そうでないところもあり、よくわかりません。

「HSP(Highly Sensitive Person:とても敏感な人。いわゆる“繊細さん”)」はどうか?
 これも、当てはまるところと、当てはまらないところがあります。「繊細すぎる」、「神経が細い」などと、周りからは言われます。ですが、「感受性が強い」と言われたことはありません。むしろ逆に、高校時代は、現代国語のテストで、「作者の思いを200字で書け」といった問題がまるでわからず、いつも赤点すれすれでした。担任の国語教師から、
「あなたには感受性ってものがないのよ!」
 と言われました。あなたは機械、あなたはロボット、と言われたみたいで、ものすごくショックでした。
 ですので、HSPかどうかも、よくわかりません。


 いずれにせよ、大もとをたどれば、やはり母親に行き着きます。 
 確かに母からはずっと、
「人見知りの激しいダメ人間」
「全てお前が悪い」
 と言われ続けました。学校でも、
「静沢さんは性格が暗い」
「問題のある性格」
「その性格を治せ」
「その性格、変えたほうがいい」
 などと、ずっと言われ続けました。そして当の私も、ずっとそう思っていました。
 ですが今、それらは全て、「違う!」と、はっきり言えます(「暗い性格」とは、どのような性格をいうのか、よくわかりませんが)。noteの様々な記事を読んだりして、時間が経ってくると、
「私は何も悪くなかったんだ!」
「自分を責める必要など、これっぽちもなかったんだ!」
 ということがわかりました。それは大きな前進です。
 私を見下し、馬鹿にする身内とは、連絡を取ることをやめました。少しすっきりしました。
 今現在は、高齢の両親と暮らしています。無口な父、認知症気味の母を見ていると、
「なぜ、この人たちは結婚したのだろう?」
「なぜ母は、私を産んだのだろう?私のことをそれほどまでに否定するのなら、いっそ殺してしまえばよかったのに」
 などと考えてしまいます。
 前の記事では、「私には怒りの感情がほとんどない」と書きましたが、母に対するこのもやもやした思い、身内に対するこのもやもやした思いは、静かな怒りなのではないか、と思います。また、学校で私をいじめたやつら、見下して馬鹿にしたやつらに対して、もやもやした思いを持つのも、怒りなのかもしれない、と思います。
 母に復讐したいとか、ましてや殺してやりたいとか、そういった凶暴な気持ちはありません。
 同じことを何度も繰り返し言う母。正直、イライラします。一人で意味不明なことを喋って、一人で笑って、一人で文句を言い、一人で歌を歌っている母。2カ月前は、そんな母に対し、少し愛おしむような気持ちがあったのですが、今ではなくなりました。何か喋ってはいちいち同意を求められたりすると、正直、うるさいです。まともに相手をしていては身が持たないので、てきとうに返事をしたり、受け流したり、無視したりしています。



 介護の問題が間近に迫ってきています。気持ち的には、
「そんなの知らんがな!」
「私、この人のシモの世話をしなきゃならんの?」
 です。とはいえ、現実的には介護しなければならないでしょう。
 いくら私が
「この人は毒親なんです!」
「私をこれでもかってぐらい傷つけたこの人を、介護するなんて嫌です!」
 などと叫んだところで、「世間」は認めないでしょう。
「実の娘であるあなたの義務です」
「あなた、働きもせずに家にいるじゃありませんか」(理由はありますが)
 などと言われるでしょう。さらには「監督責任」というものがあるそうですね。
 あまり考えると憂鬱になるので、その時が来たら、その時の流れにまかせようと思います。


 とりあえず今は、素直に「やりたい!」と思ったことは、なるべく実行しています。
 以前は、「~すべき」、「~しなければならない」、「~したほうがいい」というのが、私の行動の基準でしたが、今は、「~したい」を優先しています。
 少しずつではありますが、母の呪縛から、脱却している感覚があります。
 例えば、掃除ひとつ取っても、以前は、曜日を決めて行い、やる時は隅々まできれいに(そうしないと「怒られる」から)していました。することをやめて、気が向いた時に、てきとうにやる、ことにしました。実際に私は、神経質なほどのきれい好き、というわけではありません。少しぐらい汚れていても、ホコリがあっても、死にはしないと思います。基本的に、面倒くさがり、なのです。祖母も掃除をしない人でしたし。
 また、時間を気にしすぎることもやめました。もちろん、外に働きに出るとか、人との待ち合わせとか、そういった場合は時間を守らなければなりませんが、家にいてまで時間に追われたくありません。
「あら、もう○時!ごはんの支度しなきゃ!忙しい忙しい!」
 イライラモード全開で家事をしていた母。
「今何時だと思ってんの!」
 これもよく言っていました。
 母は基本的に、せかせかと、忙(せわ)しげに動きます。今ではだいぶ動作は遅くなりました。とはいえ、「気揉み症」とでも言うのでしょうか、性格が変わったわけではないので、ものすごく早い時間から食事の支度を始めたりします。「気が揉める気が揉める!」
 これも母の口癖です。
 私も今はもちろん料理をしますが、母は昔から、私が台所に立つことを許さない人でした。
「お前なんかに(料理が)できるわけがない!」
「どいて!邪魔!お母さん(自分)がやったほうが早い!」
 と言って。
 ですので今も、母が何か料理をし始めたら、そのままお任せすることにしています。
 とにかく私は、母に振り回されず、惑わされず、自分のペースで行こうと思っています。時間は「ある程度」守って。


 そして今、この歳になってやっと、母の、身内の「呪縛」から、解き放たれようとしています。
 年季が入っている分、時間はかかるかもしれませんが、
 「焦らず、少しずつ、ゆっくり」
 心を軽くしていこうと思います。

 長い長い記事を、最後までお読みくださり、本当にありがとうございました。m(_ _)m





 
 






















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