邪馬台国と卑弥呼…魏志倭人伝は実に正確だった 10.正確に読む:『水行十日陸行一月』その4 なぜ方角が無い?
『水行十日陸行一月』と邪馬(やば)台国から卑弥呼の都する所までの必要期間が記されています。
前回までで、作者『陳寿』は、卑弥呼の都する所には至っていないことが分かる根拠があります。
それは、
★行くべき方向が記されていない
事実です。
邪馬台国までの行程の記述では、必ず、進んだ方向が記載されています。
例えば、
「…南投馬國水行二十日…」
と言う具合です。
しかし、
「…南至邪馬台國女王之所都水行十日陸行一月…」
とあるように、行くべき(行った)方向が記載されていないのです。
これから分かるように、作者『陳寿』は、実際に行った訳では無いので方向までは記述できなかった・・と言うのが実態だった訳です。
以上、倭人伝の記述からも多くの隠れた情報を読み取ることが出来るのですが、これまでの研究者や歴史家の多くは一体何を論考しようとしたのでしょう?
二百年以上に亘って日本の国中で、ああでも無い、こうでも無い…と多くの書物も書かれてきましたが、
『所詮、想像力も推理力も無い人達』
が繰り返してきた不毛の議論は、今こそ清算すべき時なのでしょう。