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古代出雲はキリスト教国になっていた!

古代出雲で巨大神殿の跡と思われる巨大な柱跡が発見されたのは2000~2001年にかけてでした。

出雲の神殿柱

 出雲大社拝殿の地下室拡張工事を行うにあたり、事前調査が行われました。その際に、境内の八足門の前から巨大柱が出土しました。鎌倉時代に建立されたと思われる本殿を支えたと考えられる巨大柱です。それぞれの木は直径が1・4mほどで、3本括ると直径約3mにも及ぶ規模になります。この発見により、出雲大社が高層神殿であった可能性を高めることになりました。この柱構造は、高さが48mあったとされた神殿の存在を裏付けるものとなりました。いくつもの巨大神殿の想像図がありますが、一例として下記に示します。

出雲巨大神殿想像図

 では少しずつなぜキリスト教国になっていたかを説明して行く。
 4世紀頃から7世紀頃までの朝鮮半島の国々の様子を下図に示す。

4~7世紀頃の東アジア

この頃、朝鮮半島は、三国(高句麗、百済、新羅)と他に政治的には新羅の傘下にある『伽耶』と言う国があった。
 『伽耶』と言う国名を調べると、
 ★【耶】は、実は『蘇教』の耶でもある。耶蘇教とはキリスト教のこと
である。
 では、
 ★【伽】の意味は何であろうか?これは『そばにいて話す』、御伽噺(お
  とぎばなし)などのようである。
 以上は、物証とは言い難いが、実は
 ★『出雲』に出土する【武具・甲冑】はほぼ『伽耶』に出土するものと同 
  じである。これらは、他の朝鮮半島の国からの出土例が稀であり、『伽
  耶』からの出土数は非常に多い。
一方、新羅の国は、古代ローマと密接に関係しユダヤ教の風習が見られる国である。【羅】とは、古代ローマ国の中国表記でもある。
 上記の地図を見ても、朝鮮半島南部にある『伽耶』からは、対馬海流に乗ればアクセスは容易に行えそうである。
 なお、出雲では『四隅突出型墳丘慕』が築造されている(下図、宝島社 日本の古代史)。

出雲の古墳

古螺良の古墳について形状としては四隅突出型ではあるが、基本的には四隅は古墳構築上に工事用に斜面が必要だったためであろう。高さも5m近くあり、工事のためには土砂運搬や上り下りに使われた斜面通路であると考えれば、合理的な形状と言える。
 これは方墳であり、キリスト教徒の墓室が四角であることによるものかもしれない。
 さて出雲に造られた巨大な構造物は、世界を見ると、類似なものが存在する。
 実は下記に示すのは、最古(紀元前604〜562年)とおもわれる「バベルの塔」の碑文(石に彫りつけられた文章)。 シェーンコレクションが所有する黒い石に刻まれた石碑は、2500年前に新バビロニアを支配したネブカドネザル2世と、ジッグラト(メソポタミア文明の聖塔)が描かれているものである。

紀元前のバベルの塔が描かれた碑文石

よく知られたバベルの塔は、90m以上あったとも言われるが、上図右のバベルの塔には、最上段に『神殿』が設けられるなど、出雲の巨大構造物と同じ造りである。

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