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5-4. 「家」という異質な器 【ユクスキュル / 大槻香奈考】

器(うつわ)と聞けば、まず思い浮かべるのは椀やグラスような食器や、花瓶などの日用品が多いのではないでしょうか。また器は、「○○が出来るだけの器ではない」「人間の器が大きい(小さい)」など、人間性の深浅の表現にも用いられる、意味の広いことばです。

以前(たしか名古屋のFANBOX感謝祭)、大槻さんのオンライン公開制作の際にこんな会話をしたかと思います。

私:「器は満たすことができるという点が良いですね。」
大槻さん:「そうですね、満たせるというのもありますけど、空にすることも出来るのが良いと思います。」

多少の言葉の違いはあると思いますが、大体このような内容の会話を交わしたことを覚えています。

その後も器について個人的に考えてみたのですが、少し引っかかる点が出てきました。それは、器の中でも「家」というのはとても特殊(または異質)なものなのではないか、ということです。

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↑2点ともに、家作品の展示風景
引用元:https://twitter.com/KanaOhtsuki/status/848052642282479617

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例えばグラスに水が注がれた(器が満たされた)場合、この器を空にする方法はいくつでもあります。飲み干しても良いですし、水をシンクに流すこともできます。「グラスを割ることで空にする」という方法もありますが、それは余程の事態でないと取らない行動だと考えられます。すなわち、食器や日用品に代表される一般的な器は、満たすのも空にするのもとても簡単で、リスクもとても少ないものなのです。

一方で家の場合を考えてみましょう。家という器が満たされるということには「誰かが住んでいる」もしくは「家主は亡くなったが大切に手入れされている」ということが不可欠といっても過言ではないでしょう。そんな家が「空になる」ということは、先に挙げた日用品などの器とは次元の違う出来事が起こっていると考えられます。それは「死」や「破壊(破滅)」そして「忘却」ではないでしょうか。


日本では放置空き家がかなり問題になっていますが、これは役目を終えて天寿を全うしたというよりは、「人間によって殺されてしまった家」のかたちであるように思います。改めて空き家になるまでの過程を考えてみると、「引っ越し」「家人の死(もしくは孤独死)」「被災(避難によるやむを得ない転居)」などが挙げられます。

この中でも「引っ越し」については、一見前向きな出発にも見えるのですが、また戻るつもりで売りに出さずに所持していたものの結局廃墟になってしまったり、古い家が何十年も売れ残っていたりという事例が多く、(一軒家からの引っ越しについては)手放しに喜ばしい出来事だと思えないのが私個人の考えです。

一方で、一度更地にして建て替え、改めて住み始めるというパターンもありますね。この場合、次に現れる家は「全く新しい器」であり、旧居は写真などを残さない限り(ちょうど香奈さんのフォトドローイング作品や御曾祖母さまの家の撮影のように)「忘却」されていってしまいます。また、建て替えの際には旧居の解体工事が欠かせません。「あたらしい家(器)」は、破壊という痛みを経た上に現れるものだと言えるでしょう。

リフォームや増築という場合は、大規模な破壊を必要とせず旧居の面影も残っていることがありますが、その場合は「器の変容」が起きています。元の家とはどうしても違うものになるということは否めません。

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以上のような理由から、器というテーマの中でも家は異質であるように思います。器は器でも、満たすためのエネルギーに対して空にするためのエネルギーが桁外れに違うのです。

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「家03」
引用元:https://twitter.com/kanaohtsuki/status/821197926110113793


たとえ住人が居ても、精神的な部分が空っぽな家もあります。家が空になる時の反動は非常に大きいため、機能不全家族やごみ屋敷などの社会問題として現実に現れてくるように思います。

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