5-2. 空の殻(からのから)の持つ可能性を探る 【ユクスキュル / 大槻香奈考】
課題図書の読了後、ユクスキュルの理論をもっと知りたくなり別の著作を手に取りました。その中で面白い記述を見つけました。
理事は私(ユクスキュル)にうなずいてこう言った。「みごとなものですね。これは明らかに、意味の担い手の出現によって引き起こされる生の二つの場面ではないでしょうか。ところで、ヤドカリ(ヨツスジヤドカリ)についてはどうですか。ヤドカリは、タコやイカを寄せ付けないように刺胞発射装置を用いるヤドカリイソギンチャクをその渦巻き状の殻の上に乗せていますが、古い殻が狭くなりすぎたので宿を替えるとき、どのように振舞うのでしょうか」
私は、空の殻に出くわしたときのヤドカリの注目すべき振舞いを説明してみた。つまり、ヤドカリは最初、殻の尖端まで行き、その足で殻の大きさを測りながら囲み、その後、殻の内部を調べ、できるだけ早くその巻き付け尾部を新しい殻の中へ収めるために、そのはさみであらゆる不純物を取り除く、ということだ。
――『生命の劇場(講談社学術文庫)』
偶然か必然か、2015年8月の個展タイトルである「空の殻(からのから)」という言葉が現れたことに、驚きを隠せませんでした(そもそも大槻さん自身が既読だったのかもしれないのですが…)。
『空の殻』
引用元:https://twitter.com/KanaOhtsuki/status/680709769946992640?s=20
ヤドカリの宿(家)として機能する巻貝と蛹は、一見別物のように見えますが比較してみると不思議な符号が現れてくるように思います。
巻貝はあくまで借り物(仮のもの)です。ヤドカリは一生同じ貝に棲み続けるのではなく、自らの成長に合わせて空の殻を見つけ出して中に潜り込んで(殻を埋めて)いきます。生きている間に何度もそれを繰り返すのです。さながら「逆蛹化」とも言える現象のように感じます。
個展「空の殻(からのから)」のステートメントにはこうした言葉が書かれています。
「しかしいま、私が日本で感じている漠然とした空虚さは、例えるなら空っぽの蛹の中にいるような感覚なのだ。希望の象徴と思っていた蛹の中身が空っぽだったことに、なんとなく気づいてしまったのである
震災から4年経ってみえてきたのは、日本はきっと確固たる「アイデンティティ」(蛹の中身)を、戦後ずっと探し求めているという事だった。
――『空の殻(からのから)』ステートメントより http://ohtsuki.blog102.fc2.com/blog-entry-734.html 」
たしかに、日本は確固としたアイデンティティを持ちにくい国だと言えるでしょう。戦後急激に欧米化が進みましたが、それは外側の話であることがほどんどで、内面の変化が追い付いているわけではありません。
自己主張をして対立するよりは空気を読んで和を乱さないようにする、そんな日本人的な素地はなかなか変わらないのではないでしょうか。海外では子どものころから個人主義を重んじて育てられますが、日本人で本来的な個人主義を実践できる人はそれほど多くはないように思います。
しかしそれが必ずしも悪いことだとは言えず、「日本で生きていくにはその方が丁度良い」ということもあるのではないかと考えています。むしろ田舎になるほど「漠然としているけれどなんとなく連帯感がある」「新しいものにも惹かれるけれど変わり(目立ち)過ぎたくはない」などの、昔ながらの日本の「あの感じ」やしきたりなどが残っていることも多いと思います。
個人的には常に成長や自己研鑽を重ねていくことの方に共感しますが、「そのままでいい」こともあれば、「無理をしてまで変わろうとすることで逆に不具合が現れる」場合もあると思うのです。
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そこで、空の殻に新たな意味を探り、蛹の在り方にバリエーションと選択肢を持たせてみるのはどうだろうかと考えました。「ちょうどよささがし」のようなものですね。
卵のような「生命や希望の詰まった蛹」もあれば、必要な時に借りて安らげる「宿のように空きのある蛹」もあり、どちらも同時に存在していて それでいい。しかし自分に不釣り合い(大きすぎても小さすぎても)な宿に留まり続けることは難しく、心身に不具合が現れる場合もあります。
ですから、時が来たならば小さなことからでも行動を起こす(自分に合った次の宿を探すor生まれ変わるための蛹化をする)必要があることも注記しておく必要があるでしょう。宿としての蛹は、あくまでも借り物(仮のもの)なのです。
例えるならば、常日頃から厳しい修行の道を歩む修行僧と、日常生活の中で念仏を唱えることで信仰に触れる一般市民が共存していて、折に触れては一般市民も精進のため行動を起こす(しかし修行僧ほどストイックではない)…といったイメージでしょうか。
パンデミックにより世界中がこれまでと違った在り方を問われている今、蛹に秘められた別の可能性を模索してみるのも一つの「在り方」と言えるかもしれません。
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