「このマンガがすごい!」の理由を探る -『マイ・ブロークン・マリコ』平庫ワカ
「このマンガがすごい!」の選書について、なにがどうすごいのかを深掘りしてみる本シリーズ。
今回は、商業デビュー作ながら、映画化まで達成した大ヒット作、平庫ワカさんの『マイ•ブロークン・マリコ』を取り上げます。
近親相姦、ネグレクト、DV。不幸な半生から自殺を選んだ親友マリコを追う、OLシイノの物語。
世界の残酷さを描くこのストーリーが、なぜ多くの人から支持されたのか。
その理由を考えていきます。
あらすじ
試し読みはこちら
『マイ・ブロークン・マリコ』、ヒットの理由
このマンガがすごい!2021オンナ編第4位、第24回文化庁メディア芸術祭マンガ部門新人賞など、数々の評価を受けた本作。
一読してみて、これぜったいヒットするよなぁと感じさせられます。
面白すぎる。美しすぎる。
数ページごとに場面が移る展開の速さ。エロスとタナトスの強烈なモチーフ。分かりやすく表情豊かなキャラクター表現。
どれも一級品です。アンハッピーな世界観も、過酷な世相に合っていると感じます。
そうした要素に加え、本作がこうも私たちの心を掴むのは、そのテーマの卓越もあるでしょう。
『マイ・ブロークン・マリコ』は何の物語だったのか?
失われたものへ
本作が語られる際、女性を巡る暴力がよく取り上げられます。
その一面も、現代を舞台とするこのマンガの大事な要素です。が、私がよりプッシュして語りたいと思うのは、「喪失に対する弔い」というテーマ。
それが、これ以上なく上手く描かれていると感じます。
「親友」とは何か?
マリコはシイノの親友でした。相手と一緒にいる時だけは、素直な自分でいれた。喜びや希望を声に出せた。
過酷な世界の中にあって、お互いだけが生きる楽しさとしてありました。
私たち人間は、関係する人によって人格が切り替わります。娘に対する私と、上司に対する私は違う。
親友とは、「最も好きな自分を引き出してくれる友人」のことです。
だからこそ、親友の喪失は痛切です。
マリコを失うとは、彼女と二度と触れ合えなくなるということ。それは、素直に真摯に他人と向き合える自分を失うということ。朗らかに笑い合えた自分を、永遠に失うということです。
人は、10年やちょっと生きれば、必ずそうした喪失を経験します。かけがえのない自分でいれる瞬間や関係性を、失い続けている。
私たちは自分の喪失の大きさを、失ってはじめて気づき、どうしようもなく受け入れ、忘れていきます。肉親、友人、尊敬する著名人、かつての夢。
どうしようもなく、抗い難く。
しかし、シイノは違いました。
突然の親友の訃報を、黙ってやり過ごすことなく、真正面から対峙した。
喪われた親友の尊厳のため、ありし日の想いのため、日常を投げ打ってマリコの弔いへと向かいます。
シイノの弔い旅に、同じ喪失を経験している私たちは、自分を重ねます。
二度と帰らない日々への諦め、もっとよくできたのではないかという反省。その尽きぬ想いを、シイノは私たちを代表して、精一杯に弔おうとしてくれる。
シイノとマリコの関係がどれだけ強かったか、シイノがどれだけ必死に弔おうとしているのか。それを読者に感じさせるディレクションが、本作は抜群に上手い。
だから、この物語は私たちの心を打つのだと思います。
私たち読者は、シイノに降りかかる理不尽に憤り、彼女の悔恨に共に涙し、その贖罪の完遂を願います。
私にとっての『マイ・ブロークン・マリコ』は、"そういう"話です。
失われたものへの弔いと、贖罪の話。
だからこそ、この物語は、残酷な反面、私たちを癒してくれる。前を向かせてくれる。
「イーサカ」から考える、平庫ワールド
単行本『マイ・ブロークン・マリコ』には、「マイ・ブロークン・マリコ」の他に、「イーサカ」という短編が収録されています。
この章では「イーサカ」のテーマを振り返り、本作の卓越を更に深掘りしてみます。
なんと「イーサカ」、こちらで無料公開されています。太っ腹。
公開終了したときのために、以下にあらすじを記します。
「イーサカ」と「マイ・ブロークン・マリコ」。2つの物語は、時代設定も場面設定も主人公の属性も(ついでに画風も)、大きく異なっています。続けて読んだ際に、「いきなりなんだこの話は?」と訝しい気持ちになったことを思い出します。
一見異なる物語ですが、立ち止まり振り返ると、2つは同じバイブスを孕んでいることに気が付きます。
それは「人生は苦難の旅路なのだ」という感覚。諦観でもあり達観でもある。そして、「苦難の人生でも、それでも愛そう」という感覚。
人生は過酷です。
誰もが憧れるものは、いつだって競争で、勝者は一握り。
人生は不平等で理不尽で残酷です。それが、私たちの生きる世界の真理だと思います。
でも、それだけじゃない。
人生は残酷だけど、一筋の光があり、愛すべき瞬間がある。
そういう世界観を、平庫ワカさんの物語は肯定してくれるように感じます。
「あなたはひとりではない」
『マイ・ブロークン・マリコ』の主人公たちは、過酷な環境で育ち、冷めた心で人生を生きています。
世界は彼らを容赦なく打ちのめす。
だけど、彼らは最後まで人間性を失わない。
シイノは愛した友のため、自らを投げ打ち最後の弔いを果たそうとした。
タイラーはダントン(イーサカ)を利用するのではなく救おうとした。
「マイ・ブロークン・マリコ」と、「イーサカ」の構造は概ね同じです。
理不尽さに抗う主人公が懸命にもがき、その末に、小さな、だけれどかけがえのない"報われ"に叶う。
タイラーは言います。「この世にはな、俺やお前の居場所は無えんだ」。
自分を生きるに値する人間だと思っていない人間が、タイラーです。
しかし物語の最後、ダントン(イーサカ)は砂漠にタイラーの名前を刻みます。ダントン(イーサカ)の心には、タイラーは刻まれていた。
世界のどこにも居場所がないと感じていた男に、最後に、小さな居場所があてがわれる。「イーサカ」はそういう物語でした。
「マイ・ブロークン・マリコ」と「イーサカ」は同じ、「世界に居場所を見つけられない人」を扱っています。
この作品は、そうした人に向けた、トリビュートとも受け取れる。この2つの物語では、「世界に居場所を見つけられない人」が、別のある人の視点において、大切に想われてあることを描いています。
「マイ・ブロークン・マリコ」では、マリコがそれを知ることは、残念ながら、もう永遠にありません。「イーサカ」でも、タイラーがダントン(イーサカ)の思いを知ることはないでしょう。
でも、生き延びたタイラーは、もし奇跡が起これば、知ることがあるかもしれない。タイラーは死んでいないし、私たち読者はイーサカの思いを知っているのだから。
その点で、私は「イーサカ」により多くの希望を見ます。
「マイ・ブロークン・マリコ」「イーサカ」。2つの物語では、最後まで世界は残酷で、主人公たちは孤独でした。でも、それだけじゃない。
平庫ワールドは、過酷な世界で生きる私たちに、一筋の希望と、あるべき人間性の美しさを投げかけてくれるように思います。
それを、僅か200ページで伝えてくれる。
やっぱり「このマンガはすごい!」
******
最後までご覧いただきありがとうございました!
毎回、自分の大好きな作品をあげているのですが、今作もめちゃくちゃに好きです。
正直買いです。
こういう厳しさと美しさが同居している作品は癖なので、他にもあれば是非是非教えていただきたいです。
藤本タツキ, コーエン兄弟, ポール・トーマス・アンダーソン, Steve Bugとか、同じバイブスを感じます。いずれもめっちゃ好き。
こういう物語は、ガンバッテ前を向いて生きよう!という気持ちにさせてくれます。そういう前向きな心情って、生きるうえでの大切な栄養素です。
またこうした作品と出会いたいなと心底思います。
これからも毎週水曜日、世界を広げるための記事を書いていきます。
よければイイネ・フォローも!
シェア、コメントもお気軽に🤲
どうぞ、また次回!