なんだかんだリズムはだいじ。
最近、世の中は結婚ブームである。色んなニュースがあるけれど、おめでたいニュースは目立ちやすいから覚えているだけなのかな。
芸能人やら有名人やらもそうだし、高校の同級生やらもいつの間にか赤ん坊を抱いた写真をインスタのプロフィール画像に設定して、指輪や赤ちゃんの絵文字の隣に8桁くらいの数字を打ち込んでいる。
漫画家の鳥飼茜さんが結婚したというのを聞いて、ミーハーな私は早速話題の日記を読んだ。
偏食で冒険をしないタチのため、素晴らしい文章に触れる機会が、ワンテンポ以上遅い。すごく素敵な日記で、なんだか胸のそこにすとんと落ちた。この言葉はここにあるべくしてあるのだな、みたいな。そんな言葉たちで、とある一日の出来事が綴られていた。
キラキラしたプロポーズとかじゃなく、もっと日常的で温かい。勢いだけのプロポーズ話を頭が痛くなるほど聞いた私は、なんだかやっと息がつけた気がした。そうそう、私は「結婚」のこういう話が読みたかったし、聞きたかった。何度も深く深く頷くくらい。
そのあとに、川上未映子さんの『きみは赤ちゃん』が読みたくなった。トークショーに足を運んで、私は川上さんの魅力にとりつかれてしまい、そのままの勢いで読んだエッセイである。
当時は単行本が出る直前で、赤ちゃんが生まれるまでをつづった連載が文春のサイトで全て読めたのだ。帰宅したのが22時くらい、私はそのまま勢いに任せて全部読み切った。出産の場面なんて、大変だった。産んだ経験は一度もないのだけど、お腹が痛くてねじ切れそうだったから。我ながらバカだなぁと思うけれど、『春琴抄』を読んで目が痛くなったこともあるので、私は基本的に影響が受けやすいんだと思う。
鳥飼さんの日記は、なんだか川上さんのエッセイと似ているなぁと思ったのだ。なにが?と言われると、たぶんリズム。
川上さんの文章は読んでいて気持ちがいい。穏やかに流れ込んできて、あら?と思っていると読み終わっちゃう。かしこに散りばめられている可愛い言葉も好き。リズムが出来上がっていて、私はそれに乗っけてもらう感じ。おじゃましますね、っていう感覚が心地いいのだ。
鳥飼さんの日記もすごくリズムが一定で読みやすい。読んでいるときの感覚が、川上さんのエッセイと似ていて、私のなかの感覚が呼び起こされたのかもしれない。
文章ってやっぱりリズムだなぁと思う。どんなに素敵な内容でも、立派なことを言っていても、リズムが合わなければ私は読めない。
苦しくて息ができないので読みません、と本を閉じたことは何度もある。そんな馬鹿な、と思うかもしれないけど、私は新規開拓をするときは3ページくらい心地よく読めるかを確かめてから買う。苦しくなって、結局読まないというのは勿体ないから。
本当に興味がある分野や勉強のために読まなければならないものは歯を食いしばって読むけれど、頭に入ってこないからエア音読をする。口も動かしながら文字を追うと、いくらかスムーズに内容が入る、気がする。
文章は読むのも書くのもやっぱり“感覚”だと思う。私たち、それぞれが話すスピードが違うように、一つの事象から受け取るものが違うように、文章を読むときも感覚はその個性がフルに活用される。
だから、私があの子の好きな本が好きになれないのも、あの子が私の薦めた本を読まないのも、やっぱり仕方がないことなのだろう。
読んだ後に、面白かった!と言われたら、どや顔で「そうだろう」と頷くところなんだけど。