『人魚の眠る家』
東野圭吾のベストセラーを映画化した作品は
篠原涼子と西島秀俊主演の
映画
ヒューマンミステリーだ
何年か前に小説で読んでいたが映画をまだ観ていなかった
今日は雪降る休日ということもありAmazonプライムで
2本目の映画だ
流石
東野圭吾といえる作品だ
東野圭吾の小説は今まで読んだ中で外れた事がない
小説も映画も引き込まれて
わたしを離さない
2人の子どもを持つ播磨薫子と夫・和昌
娘の瑞穂がプールで溺れ、
愛する娘の悲劇に直面した夫婦
究極の選択を迫られた両親の苦悩を重々しく表現する
回復の見込みがないと診断され、深く眠り続ける娘
脳死を宣言され
果たして自分の娘は
生きているのか
死んでしまったのか
その事実の受け止め方の違いが
次第に運命の歯車を狂わせていく二人
薫子のおかしな行動が目立って来るとともに
それを敏感に感じ取る家族
ついに爆発する
息子の誕生日のイベント
この後の家族のやり取りは
涙が出てきて止まらなかった
機械で動かされているだけの娘は
本当に生きているのか
日本の脳死判定のあり方を問う場面は考えさせられる
脳死とは何か
尊厳死とは何か
この物語も
臓器提供の問題を突きつけて来る
脳死で提供した心臓は新しい命となり生き続ける
心臓の停止が人の死であれば
生き続ける心臓は死んでいないことになる
前に「わたしを離さないで」に触れたときは
臓器提供カードにはサインしないでおこうと思ったけど
今回最初に伏線を貼ってあったサッカー少年が
心臓移植で普通の生活を取り戻したシーンを見ると
やっぱり提供は意味のあることなのかと思う
どこまでが良くて
どの辺まで超えると
ダメになるのか
答えの出ない悶々とした
永遠のテーマである