三澤研究室

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  • 山田宏一と観る林摶秋映画

    台湾の演劇映画人である林摶秋(りん・でんしゅう、1920-1998年)が1959-1965年に製作した台湾語映画4作品がデジタル修復され、台湾でDVD-BOXとして発売されました。ここでは、映画評論家の山田宏一さんをお迎えして、溢れ出る映画的記憶と共に林摶秋作品を語っていただきました。全4回の連載です。 山田宏一(やまだ こういち)プロフィール:1938年、ジャカルタ生まれ。東京外国語大学フランス語科卒業。映画評論家。『トリュフォー ある映画的人生』(平凡社ライブラリー 2002)、『美女と犯罪―― 映画的なあまりに映画的な』増補版(ワイズ出版、2001)、『映画的な、あまりに映画的な――日本映画について私が学んだ二、三の事柄(Ⅰ・Ⅱ)』(ワイズ出版、2015)『ヒッチコック 映画読本』(平凡社、2016)、『ハワード・ホークス 映画読本』(国書刊行会、2016)など、著書多数。

最近の記事

「人生別離足る」、侯孝賢の映画がある。

三澤真美恵 十数年ぶりに『HHH:侯孝賢(原題:HHH un portrait de Hou Hsiao-hsien)』(オリヴィエ・アサイヤス監督、1997年)を観て、少年時代を過ごした街で幼馴染と再会して急にビー玉遊びを始め、朱天文との会話で「なんだよ、(脚本は)俺のためじゃないのかよ!」と拗ねる侯孝賢の、体温が感じられるような画面に見入った。 H(染色体の形を連想させる)が3つ並んだタイトルに続くのは、自伝的作品『童年往事 時の流れ』(1985年)の冒頭場面。「この

    • 緻密な闇の設計図を玩味する

      --『牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件』の歴史的背景  三澤真美恵 この闇は幾層にも折り重なっている。少女を刺殺した少年の心の闇。ありきたりの日常とみえる生活の裏側に拷問や暗殺が貼り付いた戒厳令下台湾社会の闇。アメリカとソ連がイデオロギーをめぐって対立し、核戦争の恐怖が世界を緊張させていた冷戦の闇。  デジタル・リマスターによって蘇った映像は、幾層にも重なる闇をひとつの作品のなかに結晶化させた、楊徳昌(エドワード・ヤン)監督の緻密な設計図を鮮明に浮かび上がらせている。

      • 故郷に起きた「真実の物語」を保存する

        ――ペマ・ツェテン監督『静かなるマニ石』論 三澤真美恵 『静かなるマニ石』予告編 The Silent Holly Stones Official Trailer 臙脂色の袈裟をはためかせ、少年が駆けていく。懐に大切そうに『西遊記』のVCDを抱えて。チベットの乾いた風のなか、黄色い砂埃が足元に舞い立つ。彼の浮き立つ心持ちのように。 チベット仏教の少年僧がVCDの『西遊記』に心を奪われる正月休みの四日間を描いた映画『静かなるマニ石』(二〇〇六年、カラー三五ミリフィルム、

        • 山田宏一と観る林摶秋映画

          主要参考資料 黃仁主編『白克導演紀念文集暨遺作選輯』亞太圖書、2003年 キン・フー、山田宏一・宇田川幸洋『キン・フー武侠電影作法』草思社、1997年 フランソワ・トリュフォー(山田宏一・蓮實重彦訳)『映画術 ヒッチコック/トリュフォー』晶文社、1990年 マキノ雅弘『映画渡世(天の巻・地の巻)』平凡社、1977) 伊藤整ほか編『新潮日本文学小辞典』新潮社、1968年 井上梅次監督・高岩肇脚色『第六の容疑者』脚本(決定稿)宝塚映画、1960年 黄仁(1994)『

        「人生別離足る」、侯孝賢の映画がある。

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        • 山田宏一と観る林摶秋映画
          5本

        記事

          ニューシネマ以前の台湾における映画状況――植民地期から戒厳時期まで

          三澤真美恵 はじめに日本で「台湾映画」といえば、ニューシネマ以後の監督や作品について言及されることが多い。だが、ニューシネマの登場以前、戒厳時期にも、そしてまた植民地期にさえも、台湾には相応の映画活動が存在した。本稿では、そうしたニューシネマ以前の台湾における映画状況について、「我々の映画」をキーワードして概説してみたい。なお、本稿では、植民地時期(一八九五〜一九四五年)および中華民国(中国国民党政府)による接収(一九四五年〜)から長期戒厳令解除(〜一九八七年)までを扱う。

          ニューシネマ以前の台湾における映画状況――植民地期から戒厳時期まで

          山田宏一と観る林摶秋映画(第四回)

          『六個嫌疑犯(Six Suspects)』(1965年、108分) 山田 いよいよ『六個嫌疑犯』ですね。これが最後の作品になってしまったようですが……。 -- 完成したにもかかわらず、林摶秋はこの映画の出来に満足できず、未公開のままお蔵入りにしてしまったという、いわく付きの作品です。冒頭の長い字幕には以下のようにあります。 「本作はニュースタイルで撮影された探偵推理映画で、物語はフィクションである。内容は入り組んで奇怪である。警世の教育的意義もある。善悪の報いや悪事のか

          山田宏一と観る林摶秋映画(第四回)

          山田宏一と観る林摶秋映画(第三回)

          『五月十三傷心夜』(1965年) ―― 今回は、『五月十三傷心夜(May 13th, Night of Sorrow)』(1965年、97分)について、お話をおうかがいします。未完成の『後台』(1960年)や未上映の『六個嫌疑犯』(1965年)を含めた林摶秋の6本の監督作のうちの5作目で、製薬会社「信東薬厰」が出資して自社を舞台にした映画を製作するよう林摶秋に依頼したものだそうです。刊行予定の『林摶秋全集』には、この映画の手書き脚本も収められる予定なのですが、「信東製薬の為

          山田宏一と観る林摶秋映画(第三回)

          山田宏一と観る林摶秋映画(第二回)

          『丈夫的秘密』(1960年) ―― 山田さんは、林摶秋の『丈夫的秘密 The Husband’s Secret(台湾語 DVDタイトル)』(1960年、100分)をご覧になって、どんな印象をもたれましたか? 山田 この作品はDVDでは、もう一つ『錯戀』という題名が付いてますね。これは別題ですか? 副題ですか? あるいは改題ですか? -- 1960年に製作公開されたときのタイトルが『錯戀』で、『丈夫的秘密』は配給会社の要請で短く編集し直した際のタイトルだそうです(《Fa電

          山田宏一と観る林摶秋映画(第二回)

          山田宏一と観る林摶秋映画(第一回)

          林摶秋(りん・でんしゅう)監督作品DVD-BOX -- 今回、ぜひとも山田さんにお話をうかがいたいのは、台湾映画人・林摶秋(りん・でんしゅう、1920-1998年)の台湾語映画について、です。林摶秋は戦前の日本の舞台芸能集団というか、軽演劇の活動の場だったムーランルージュ新宿座の仕事にかかわった人で(日本では通りやすさから「林博秋 りん・はくしゅう」と名乗っていた時期もあります)、1942年には東宝という映画会社に貸し出されてマキノ正博監督の『待って居た男』(1942年)や

          山田宏一と観る林摶秋映画(第一回)