山田宏一と観る林摶秋映画(第三回)

『五月十三傷心夜』スチル写真。左端がヒロインで姉役の張清清。右側3人は主人公の姉妹が住む部屋の大家一家。所蔵:林嘉義、デジタルデータ所蔵:國家電影及視聽文化中心CC BY-NC-ND 3.0 TW)、公開:台湾TFAI開放博物館。

『五月十三傷心夜』(1965年)

―― 今回は、『五月十三傷心夜(May 13th, Night of Sorrow)』(1965年、97分)について、お話をおうかがいします。未完成の『後台』(1960年)や未上映の『六個嫌疑犯』(1965年)を含めた林摶秋の6本の監督作のうちの5作目で、製薬会社「信東薬厰」が出資して自社を舞台にした映画を製作するよう林摶秋に依頼したものだそうです。刊行予定の『林摶秋全集』には、この映画の手書き脚本も収められる予定なのですが、「信東製薬の為に/林摶秋作 シナリオ 『青春の条件(女性の条件)』/1964年5月28日稿」とあります。「戦後の台湾で、企業イメージを娯楽映画に取り込んで成功した最も早期の例」(TFAIデジタル博物館)とも言われています。ご覧になった印象はいかがでしたか?

山田 『五月十三傷心夜』を観て、失礼な言い方になるかも知れませんが、これが『丈夫的秘密』を作ったのと同じ監督かと驚き、その素晴らしさに心打たれました。『丈夫的秘密』が1960年、『五月十三傷心夜』が1965年。その間に何があったのだろうと思うくらいでした(笑)。

『玉峯影業影訊』 NO.101。林摶秋の映画会社が発行していたニュースレター。4頁目(右側)に次回作『六個嫌疑犯』の広告も見える。所蔵:國家電影及視聽文化中心(CC BY-NC-SA 3.0 TW)、公開:臺灣影視聽數位博物館。
『玉峯影業影訊』 NO.101の裏見開き(2-3頁)。姉妹のスチル写真と劇中歌が掲載されている。所蔵:國家電影及視聽文化中心(CC BY-NC-SA 3.0 TW)、公開:臺灣影視聽數位博物館。

『嵐の孤児』(1921年)につながる映画的記憶

―― それはお話をお聞きするのが楽しみです! 『丈夫的秘密』(1960年)から『五月十三傷心夜』(1965年)に至るまでには、林摶秋にも並々ならぬ苦労があったようです。TFAI(国家電影及視聴文化中心)の資料(デジタル博物館「林摶秋監督特集」)によれば、『丈夫的秘密』公開の翌年には台湾語映画市場が低迷し、『五月十三傷心夜』を製作するまでに、林摶秋の創設した映画会社(玉峯影業)は製作休止、役者もスタッフも解散して、スタジオも外部に貸し出すような苦境に陥っていたと言います。

山田 映画を撮りまくっていたかと思いきや、何があったのだろうどころではなかったんですね。本当に大変な事が起こっていたんですね。家財を投げ打って無謀な計画に身を挺して破産していたとは! しかし、たぶん借金も返さなければならないために、どんな注文も引き受けていたに違いないと思うけれども、単なる注文映画とは思えない、そんな苦労など微塵も感じさせない見事な出来ですね。何でも注文を受けて、さりげなく、さらりと見事に撮り上げているという感じ。マキノ正博(雅弘)調で(笑)。おそらく、自らの企画・製作ができない間も映画を研究し続けていたんでしょうね、脚本を書いたりして。才能に磨きをかけて技術的にも力をつけ、洗練されたスタイルを生み出したように思います。やはり、才能があったというべきでしょうね。映画は、突然、母親の死で二人の娘、姉の淑恵と小さな妹の淑清が残され、姉(張清清)は母との約束を守って、妹(陳雲卿)を自分の子供のように愛して育てるという孤児たちの姉妹愛を描いたメロドラマと言えば、それまでですが、その展開の早さに驚き、歌謡ドラマ風に調子よく簡潔でドラマチックな映画的(!)表現に驚嘆しました。つまり、日本の歌謡曲のような叙情的な歌で筋を運ぶとか、そんな、日本映画にも(日本映画だけでなく、アメリカ映画でもフランス映画でもイタリア映画でも、どこの映画でも)よくあるパターンではあるけれども、感傷的に堕さずに単純で軽快で素晴らしい映画的リズムでね。それに、姉妹の関係がまるでリリアン・ギッシュとドロシー・ギッシュの姉妹を描いたグリフィスの映画みたいでしょう。グリフィスのごく初期の『見えざる敵』(1916年)とか、もっとオーバーに言えば、『嵐の孤児』(1921年)のような。

『五月十三傷心夜』新聞広告(『聯合報』1965年5月11日)。「別タイトル:女性的條件」、「中文字幕あり」の説明がある。 所蔵:國家電影及視聽文化中心(CC BY-NC-SA 3.0 TW)、公開:台湾TFAI開放博物館。

――『嵐の孤児』! アメリカ映画の父と言われるサイレントの巨匠が、フランス革命を背景に孤児の姉妹二人を描いた大作ですね。確かに、『五月十三傷心夜』で姉妹が頬を寄せ合って涙する場面など、ギッシュ姉妹を思わせます。それに、妹の入社面接のために姉が洋服を作ってやる場面など、『嵐の孤児』で目の見えないルイーズ(ドロシー・ギッシュ)のためにアンリエット(リリアン・ギッシュ)が、まるで母親のように愛情を込めて服を縫ってやる場面と重なると言えば重なるような……。

山田 そうなんですよ。グリフィスの『嵐の孤児』を引き合いに出したのは、実は、林摶秋が東宝で助監督についたマキノ正博は、1942年の『待って居た男』、『婦系圖』の後、というか続けて(早撮りの監督ですからね)1943年に『嵐の孤児』を翻案した『阿片戦争』(『嵐の孤児』のリリアン・ギッシュとドロシー・ギッシュの姉妹の役を原節子と高峰秀子が演じて)を撮っているんですね。田中純一郎の『日本映画発達史』(中央公論、1976年)には、「ヒットしたが、邪劇」とありますけど。

―― 邪劇?

山田 すごい、というか、ひどい表現ですよね(笑)。邪劇なんてね(笑)。ドラマとしては邪道ということでしょう、ゲテモノあつかいですよね。でも、当時、助監督時代の黒澤明が実質的に脚本を書いたとのことですから。グリフィスの『嵐の孤児』のフランス革命のさなかの姉妹を英国と清朝中国との戦争下にもってくるなど、なかなかいい構成なんですね。

「マキノ調」の継承

―― デコちゃん(高峰秀子)の可憐さも活かされて、戦火のさなか民衆が逃げまどう場面などは、すごい迫力ですよね。エキストラもたくさん使って。

山田 戦時中でエキストラも人手不足で、たとえば中国人兵士の役を演じるその他大勢組なんかには、両手に陣笠を持たせ、俯瞰気味に撮影して二倍、三倍の人数に見せたというマキノ流の人海戦術(笑)。マキノ流の「いただき」ぶりもすごくて、『嵐の孤児』の模倣どころか、映画の尺数(長さ)も決められていて服部良一の音楽も先にできていたので、それに合わせなければならず、もう封切り日が迫っていて新しく撮るシーンのアイデアもなく時間もなく、たまたまそのとき映画館で見た2本のアメリカ映画、『ベンガルの槍騎兵』(ヘンリー・ハサウェイ監督、1935年)というスペクタクル映画のワンシーンを冒頭に、『スエズ』(アラン・ドワン監督、1939年)というパニック映画のラストをそのままラストシーンに「使えるぞ」ということで、上映後のプリントからちょん切って使ってしまったそうです!!

―― ええっ! そうなんですか?! にわかには信じがたい話ですね(笑)。

山田 マキノ監督ご本人は「これが服部さんの音楽にピッタリ合うんですねえ」とケロリとして回想していました。間に合わせもここまで来ると天才的トリックで、邪劇と言われても仕方がないですかね(笑)。

―― たしかに、仕方ないかもしれません(笑)。

山田 あきれましたね(笑)。まったく「間に合わせ」の名手、娯楽映画の大巨匠ですよ。『婦系圖』も撮影中に突然、前後編にしろと命じられて(つまり、1本の映画を2本にしろという会社命令で)NGにしたシーンも復活させて長くしたそうです!! この素晴らしい「いい加減ぶり」も、小津安二郎や溝口健二のような完全主義者のやることではないですね。

―― 肝の据わった、素晴らしい「いい加減ぶり」ですね(笑)。

山田 まったく(笑)。林摶秋は『阿片戦争』の助監督にはついていないし、『五月十三傷心夜』は『阿片戦争』のような戦争スペクタクルではもちろんないけれども、台湾に帰る前にたぶん企画は知っていて、それは、まるで映画史的な伝承というか感染というか(笑)、つまりは映画的伝染のようなものとして、少なくともヒントにして二人の姉妹、二人の孤児の運命のドラマを描いたに違いないと思われるのです。そう思いたい(笑)。

―― たとえ偶然にせよ、興奮すべき偶然ですね!

山田 偶然の必然ですよ! などと言うと、こっちもいい加減ということになってしまうかもしれないけれど(笑)。たとえ無自覚の偶然であっても、映画は映画を引き継いでいるという必然と言うか……。いずれにしても、林摶秋の『五月十三傷心夜』の姉妹には、たぶん、『嵐の孤児』から『阿片戦争』につながる映画的記憶のようなものがあると確信します。いや、確信したいと思います(笑)。

―― なるほど!! 実に刺激的な「映画的記憶」、「偶然の必然」です。そう言われると、『五月十三傷心夜』で張清清が演じる姉のキャラクターの造型も、芸者上りであるために妻として表に出られない立場にいる『婦系圖』の山田五十鈴を彷彿とさせる部分があります。キャバレーの歌手をしながら苦労して妹を育て、学校にも入れてあげたのに、製薬会社の就職試験を受けることになった妹には「面接で姉さんの職業を聞かれたらどうしよう」なんて言われてしまい、一途に尽くしている相手が自分のことを恥だと感じていることに気付かされる場面。『婦系圖』の、文字を知らない山田五十鈴が一所懸命に半紙に文字を書いて練習しているところに不意に来客があって、あわてて身を隠す場面の切なさ。二つの役柄に相通じるものを感じます。

山田 絶対に相通じていますよね! 『婦系圖』は、現在VHSで残っている版はほとんど真っ黒なひどい画面ですが、しかし、ボーッとした画面のなかから傑作と言いたいくらいの雰囲気が伝わってきて、ラストシーン、長谷川一夫の書生が山田五十鈴の幽霊と対話するシーンの素晴らしさは、まさに泉鏡花の原作の感じでゾーッとしながらも感動しました。『婦系圖』の山田五十鈴は芸者、『五月十三傷心夜』の張清清はキャバレーの歌手、尽くす相手こそ違うけれども、一途な、美しくいじらしい献身ぶりです。

――台湾では、戦後になっても、貧しい農家や漁村では兄弟姉妹の年長者は生活のために働いて就学できないことも多く、末っ子だけに教育を受けさせるケースも多かったそうです(洪郁如『誰の日本時代』法政大学出版局、2021年)。そのうえ、これは日本でも同様と思いますが、少ない就学機会も女子ではなく男子が優先されたそうです。ですから、この映画『五月十三傷心夜』の役柄と同様に大学卒だった陳雲卿は少数派だったことになります。むしろ、『五月十三傷心夜』の張清清が置かれた不遇な立場にこそ、多くの女性が共感し涙しただろうなと想像します。

山田 そうでしょうね。だからこそ、ヒットしたんでしょうね。

―― そう思います。他方、『五月十三傷心夜』で陳雲卿が演じる妹は、『嵐の孤児』のドロシー・ギッシュや『阿片戦争』の高峰秀子が演じる健気な盲目の妹とは違って、負けん気が強くて活発です。

山田 やさしい母のような姉に甘えすぎて、親の心子知らずではありませんが、姉の真の心が見えない、その意味で盲目の妹なんですね。

―― まさに! 心の盲目というわけですね。うーん、なるほどー。山田さんの分析をお聞きして、これはもう確実に『嵐の孤児』から『阿片戦争』につながると、私も確信します!

山田 確信することにしましょう(笑)! 今はもう、なかなか見られない美しい映画です。姉妹が同じ一人の男性を愛してしまうという、よくあるとはいえドラマチックなサスペンスのはじまりになる最初のデートのシーンは、これもかつての、というのも今は失われ、少なくとも忘れられかけている日本映画の叙情的なムードのある場面で、日本の童謡「夕焼け小焼け」(中村雨紅作詞、草川信作曲)が印象的に歌われますね。「夕焼け小焼けで日が暮れて……お手てつないで、みな帰ろう……」。夜の海辺で「まあるいお月さま」が水面に映って、張清清が「私の心もお月さまのよう」とつぶやく。

――歌詞に導かれるようにして、男はちゃっかり女と手をつなぐ(笑)。童謡のリズムにあわせて、つないだ手を子供のようにゆすって歩きながら、二人ともちょっとはにかんだ幸せそうな笑顔で。

山田 気恥ずかしくも、すごくいいシーンですよね。その思い出のメロディーをのちに女がひとりピアノで弾いたりして……。いい感じですよね。

ヒッチコックを思わせる回想場面

――前半は叙情的ですよね。殺人事件まで起こってしまう後半とはまったく違って。

山田 五月十三日の祭りのシーンがドラマの分岐点になるんですね。息抜きというか、後半の急テンポの展開につづく寸前のドラマチックのゆとりのような。

―― 自分の慕う男(張藩陽)が姉の恋人だったと知って自暴自棄になった妹が、姉にフラれた金持ちの中年男に誘拐され、殺人事件に巻き込まれるところなどは、ものすごい急展開で。現場に駆けつけた姉が、妹をかばうために罪を認めて法廷に立つあたりも、『嵐の孤児』の手に汗握る裁判場面を彷彿とさせる緊迫感があります!

山田 サスペンスが盛り上がってね。殺された男の情婦だった女(嫉妬でヒロインをリンチにかける)が「殺した真犯人は自分だ」と法廷で名乗り出て、殺人の模様が回想(フラッシュバック)で描かれるところの手際の良さ(ほとんど俯瞰のワンカットで一挙に殺人の手口を説明する)。ここもオーバーに言えば、いざという時にはカットを割らずに俯瞰のワンカットで全体を見せてしまうヒッチコックのようなうまい手口ですよね。

―― ヒッチコック!! 林摶秋の映画について、山田さんの口からヒッチコックの名前が出るとは、嬉しい驚きです。でも、確かにヒッチコックばりの不吉な不安定な感じのする俯瞰ショットでしたね。ちょっと斜めに角度のついた俯瞰ショットなんですよね。林摶秋は、当時の台湾語映画の監督としては珍しく、撮影台本をクランクイン前に完成させて、キャメラ位置や役者の立ち位置まで書き込んでいたそうで、キャメラマン泣かせの監督だったみたいです(笑)。他の監督との仕事に慣れたキャメラマンからは、監督の要求が多くてキャメラをあちこちに動かさなくちゃいけないから「林摶秋監督との仕事は特に面倒だった」(石婉舜『林摶秋』154頁)といわれてます(笑)。ただ、現存する脚本には、殺人や裁判の場面はないので(脚本では、妹がホテルに連れ込まれる寸前で救い出される展開)、観客受けを狙って、後から付け加えられた場面のようです。

山田 観客受けを狙って後から付け加えたにしても、妥協とは思えない、見事な映画的展開で、むしろ決断は大正解、大成功だったのではないでしょうか。俯瞰で部屋全体をとらえたまま、女がナイフで男を殺して血にまみれた手を洗うところなども、サスペンスを持続させ、高めるために、ありきたりにカットを割ってアップで見せたりせずに曇りガラスに映る影だけでさりげなく、しかも正確に見せるとか、手が込んでいて演出の手際の良さが素晴らしいと思います。

女たちの仁義

―― 真犯人の女性も、殺人犯ではあるけれど、男に騙された被害者でもあって、完璧な悪女とは思えないんですよね。知らぬ顔して逃げられるはずなのに、法廷に現れて姉妹を救う、その凛とした風情、潔さに胸を打たれます。『丈夫的秘密』もそうでしたが、林摶秋映画には女性同士のシスターフッドみたいなものが感じられます。

山田 シスターフッド……女たちの仁義ですね。男たちの仁義、兄弟仁義(ブラザーフッド)というやつは裏切り防止のために制定された掟のようなものですからね。男たちは野心や利害のために裏切りますからね(笑)。林摶秋の映画の女たちのシスターフッドは心意気なんですね。『五月十三傷心夜』の真犯人の女性も、妹を救うために罪を背負う姉の覚悟、その心意気、姉妹愛に心打たれ、共感して、法廷に出てくるんですね。それも、悪びれず、堂々とね。

―― ちょっと吊り目で、化粧も濃いめで、リンチを命じたりする怖い女なんですけどね(笑)。いまの山田さんの分析で、彼女がなぜ告白するに至るのか納得できました。

山田 男の卑劣さにさんざん苦しんで泣かされた体験のある女なんですよね。

―― 男に泣かされる女という意味では『丈夫的秘密』の張美瑤の役柄と同じですが全然メソメソしない。雰囲気が真逆なところが、ひねりが効いていますよね。

歌と踊りの場面

山田 『五月十三傷心夜』は、あらためて見て、目をみはるシーンがいろいろあって、驚かされました。キャバレーの歌や踊りのシーンなんかも、気分を出していて、すごくいいでしょう。

―― 姉(役名は淑恵)の張清清が歌手「麗娜」としてキャバレー「バギオ」の舞台に登場する場面は、1960年に大ヒットした香港のミュージカル映画『野玫瑰之戀[野バラの恋]』(英語題名:The Wild, Wild Rose、王天林監督)を連想させますね。『野玫瑰之戀』はビゼーの『カルメン』とスタンバーグの『嘆きの天使』(1930年)を下敷きにしつつも、歌姫・葛蘭(グレース・チャン)の魅力を全開にした名作ですが、『五月十三傷心夜』の場合、キャバレーの歌手というのは、あくまで設定上の背景にすぎません。とはいえ、冒頭のタイトルバックでは扇情的な踊りを披露するダンサーも登場します。主題歌の使い方や、ゴーゴーダンスを踊る客たちなども含め、1960年代の空気を感じさせます。この時期には小林旭や石原裕次郎、美空ひばりなども、台湾で人気を博していたそうです……。

山田 そうですか。たしかに……。無国籍アクションなどと呼ばれた当時の日活映画を想起させました。もちろん『五月十三傷心夜』はアクション映画ではありませんが、キャバレーのシーンなどはそっくりで……と言っても、キャバレーはどこでも同じようなものでしょうけれども(笑)。日本映画を学んで、いつの間にか日本映画に追いつき、日本映画を追い抜いたというのが、正直なところ、私の偽らざる感じですね(笑)。

-- グリフィスやヒッチコックを彷彿とさせる場面が次々に登場するくらいですから(笑)。それと、これは映画ファンの見方からすると邪道かもしれませんが、妹の陳雲卿が慕っている主任(実は姉の恋人)をお祭りに案内する場面は、実際の街中を役者に歩かせて、お祭り行列と一緒に撮影したりしていて、文化人類学的な記録としても面白いんじゃないかと思ったりしました。

山田 イタリアのネオリアリズモの作品みたいに……。ロベルト・ロッセリーニ監督の『イタリア旅行』(1953年)なんかをちょっと想起させるような。

―― そのなかに、さりげなく、と言っても事情を知って見るとわざとらしくもありますが(笑)、人混みに疲れた二人が薬局でこの映画のスポンサーである信東薬厰のマークがついたオロナミンCみたいな飲み物を「冷たくて美味しいわ!」と言って飲む場面もあります(笑)。

山田 いや、黒いサングラスの陳雲卿がごく自然に美味しそうに飲んでいて、とても感じがいいですよ(笑)。全然宣伝っぽくない。製薬会社の社内のテニス大会なんかにしても、それから工場とか仕事場の描写なども、全然宣伝っぽくない。楽しく、面白くて、自然に流れているように思います。それから姉役の張清清は歌うシーンもいいけど、歌わないシーンでもとてもいいですね。もともと歌手なんですか? あるいは林摶秋が俳優養成学校で育てた女優ですか?

―― 張清清は17歳で邵羅輝(16㎜による初の台湾語映画を監督した)の天祥影業公司に入ってすぐにデビューし、この映画で妹役を演じた陳雲卿と同様に、1960-70年代の台湾語映画界で次々に主役を演じた人気俳優だったそうです。台湾語映画でも大活躍でしたが、後には北京語映画界に転じて、『片腕必殺剣(原題:獨臂刀)』(張徹監督、1967年)の女性版と思われる『女獨臂刀』(金聖恩監督、1972年)などの武侠映画の出演作も多いようです。

山田 たしかに、武侠映画の美しい闘うヒロインも似合いそうですね。身体も動きそうだし。台湾ではキン・フー監督の傑作『俠女』(1970-1971年)も撮られていますが、ヒロインはキン・フー監督自身が育てた徐楓(シー・フン)でしたからね。

―― はい、ブームの火付け役はなんといってもキン・フー作品です。キン・フー作品に刺激されて、台湾語映画でも女性を主人公にした武侠映画がたくさん撮られているんですが、残っているものが少なくて本当に残念です。2015年に修復版DVDの出た『三鳳震武林 (英語題名:Vengeance of the Phoenix Sisters)』(陳洪民監督、1968年)なんかはテンポの良い三姉妹の復讐もので、武侠映画の楽しさ満載でした。お決まりのストーリーなんですけど、三姉妹の掛け合いが楽しく魅力的で……。たぶん、大量に作られた台湾語武侠映画のなかには隠れた傑作なんかもあったんじゃないかなと想像が膨らみます。もっとも、『五月十三傷心夜』の張清清は武侠アクションとは無縁の楚々とした風情ですけれども(笑)。

山田 役柄ですからね。なんでもできる女優なんでしょうね。しなやかで。『五月十三傷心夜』では、いかがわしい夜の世界に生きる汚れなき女の役で、それも亡くなった母との約束を守って妹に献身的な愛を注ぐという。逆に(というか、だからこそ、というか)、恋人役の張藩陽は与太者たち(雇われ暴力団)に襲われるところなど、『丈夫的秘密』の弱々しく優柔不断な夫役を演じた時とはうってかわって、やさ男なのにけっこうタフな、喧嘩も強い男でね(笑)。彼は林摶秋の俳優養成所育ちのスターですね。

―― そうですね。『丈夫的秘密』のイメージからすると意外な展開でしたよね、見た目は同じやさ男なので(笑)。

山田 『丘は花ざかり』(千葉泰樹監督、1952年)という石坂洋次郎の小説を映画化した作品に出てくる名場面を思い出しました。女たらしのやさしい色男の上原謙(加山雄三のお父さんです)が人妻の木暮実千代を誘惑してデートしている最中に与太者たちに難癖をつけられると、紳士的に「ご婦人の前ですから、ちょっと裏のほうへ……」とか言って、ビルの裏のほうへ屈強な男どもを誘って、5、6人をあっと言う間にやっつける。心配していた木暮実千代が驚いて、「大丈夫でしたか?」とたずねると、上原謙はキザに上着のほこりなどを手で払いながら、「ご心配なく。むかし学生時代にちょいとボクシング部で鳴らしていたものですから」などとすまして答え、不倫の人妻はすっかり惚れこんでしまうのです(笑)。

『五月十三傷心夜』撮影中の様子。岩に座っているのが張清清と張藩陽。所蔵:林嘉義、デジタルデータ所蔵:國家電影及視聽文化中心(CC BY-NC-ND 3.0 TW)、公開:臺灣影視聽數位博物館。

――うわー、聞くだけでシビれる場面ですね! これまた、いまは失われた、かつての映画の雰囲気といいますか。現実にはありえないキザなやさ男、いいですねえ(笑)。

山田 監督は千葉泰樹でしたね、たしか。張美瑤の出た『バンコックの夜』(1966年)も千葉泰樹監督作品ですね。その頃は千葉泰樹のことを私は知らなくて見そこなって。『丘は花ざかり』の頃は、スターで映画を追いかけていて、特にねっとりした艶っぽい人妻役が多かった木暮実千代のファンだったので(笑)。

―― あっ、そういえば……千葉泰樹監督は、植民地期の台湾で映画を撮った数少ない監督の一人でもありました! 『義人呉鳳』(1932年)は日本人の俳優(秋田伸一、湊明子など)を使って台湾出身の安藤太郎と共同監督(出資者は鄭錫明など台湾人)していて、『怪紳士』(1933年)のほうは役者も台湾人で製作しています。フィルモグラフィーを見ると、日本人職工と在日朝鮮人との交流を描いた『煉瓦女工』(1940年製作、1946年公開)という「問題作」も撮っているみたいで。植民地のことに関心を持っていた監督なのかな、と気になります。

山田 千葉泰樹は長いキャリアと多彩な作品を誇る監督で、もしかしたら最も知られざる日本の映画監督かもしれませんね。『生きている画像』(1948年)、『鬼火』(1956年)、『大番』(1957年)……、手堅い職人監督であることはたしかですが。

―― 千葉泰樹の監督作品ではないのですが、張美瑤が主演した東宝と台湾電影製片廠の合作映画『香港の白い薔薇』(福田純監督、1965年)には、アート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズが実際に演奏する場面があるそうですよ。

山田 その頃、私はパリ在住で見そこなって、残念だったなあ(笑)。『五月十三傷心夜』の見どころにもっと注目してみましょう(笑)。

―― はい。すみません、脱線してしまいました(笑)。

『五月十三傷心夜』(1965年、林摶秋監督)スチル写真印刷物。祖母の家を訪ね、張清清を紹介する場面。所蔵:國家電影及視聽文化中心(CC BY-NC-SA 3.0 TW)、公開:臺灣影視聽數位博物館。

山田 張藩陽が張清清を誘って人里離れた山の中の祖母の家を訪ねるところもいいシーンですね。祖父の墓参りも兼ねてね。墓地も屋敷のすぐ近くにあるんでしょうね。祖母は祖父の死後もずっと一人で、たぶん通いのお手伝いさんの助けを借りて、愛した祖父の思い出だけで生きている。昔、一目惚れで「スピード結婚」した祖父の思い出とともにね。歯が欠けてヨボヨボのお婆さんだけど、孫の張藩陽が祖父のお墓参りに来てくれて(それも恋人といっしょに)すっかり元気になって、うれしそうに昔のことを思い出して、若いカップルを祝福しながら張清清に「孫はいい子だから早く結婚しなさいよ」という意味のことをほのめかしたりしてね。レオ・マッケリーの『邂逅』(1939年)の名場面、アイリーン・ダンがシャンソンの名曲「愛の喜び」を歌うシーンなどを思い出しました。張清清はここで歌うわけではないのですが……。彼女はキャバレーの歌手で、キャバレーでしか歌わない、「クレイジー・ラブ」とか。

―― 林摶秋の手稿(おそらく最初のシナリオ)には、「バギオ(キャバレー)のシャンソン歌手、ミス麗娜……」「曲はメサリームームチョ」(と読めるけれども、たぶん「べサメ・ムーチョ」)とあります。冒頭の歌は「べサメ・ムーチョ」のアレンジ曲なんでしょうか? 

山田 「べサメ・ムーチョ」? トリオ・ロス・パンチョスが歌って大ヒットしたラテン・ナンバーですね。張清清の歌う「クレイジー・ラブ」の元歌になっているのかもしれませんね。いや、似てるけど、何か別の曲も思い出しますね。何だろう……思い出せない。「キサス、キサス」だったかな。しかし、いずれにせよ、張清清が歌ってヒットした曲かと思っていました。ほかにもいろいろな歌が印象的に使われていますよね。

-- そうですね。張清清が歌手「麗娜」として歌う場面、デートの最中に張藩陽が「夕焼け小焼け」を歌う場面、演歌のような歌謡曲のような主題歌がバックに流れる場面と、実にさまざまな歌が使われていますね。

山田 歌の使い方は手慣れた感じで、うまいですよね。それからキャメラ・ワーク。張藩陽のお婆さんが庭に面した縁側で揺り椅子に腰かけて孫の恋人である張清清に愛や結婚などの話をするシーンに続いて、二人の姿を庭のこちら側から立木をぬってとらえ、キャメラが縁側の外を回る移動撮影。キャメラが家の中に入ることはない。ここはすっかり林摶秋のタッチになっているけど、マキノ調ですね。奥から若いお手伝いさんが「お茶をどうぞ」と言うので、縁側の二人が立ち上がって奥のテーブルのほうへ行くところで、キャメラは庭の木々や縁側の柱を手前に映し込みながら移動していくと、家屋の構造が見えてくる。家のなかの造作や装飾は最低限に必要なものだけ。らしく見せるだけの「マキノ調」節約映画作法ですね(笑)。

-- 映画は「らしさ」の表現であり、それが節約作法にもなる、と(笑)。

山田 余計なものというのは、つまりキャメラに入らないものは排除して(笑)。キャメラで描写すべきものだけがあるというか。それも撮影のリズムといい、堂に入っていて、完全に一つのスタイルになっていますね。昔は日本家屋もそうでしたが、窓際には必ず部屋を取り巻くように縁側があってね、各階にね。そんな旧家に一泊することになって、二階の縁側で、男と女がパジャマ姿というか、夜着のまま、さりげなく礼儀正しく語り合うところも、遠く夜空に「まあるいお月さま」が浮かんでいて、前半の「夕焼け小焼け」のメロディとともい海面に映る月影を眺め語り合うシーンにつながるいいシーンですよね。こらえきれずに胸をはだけて抱き合ってキスしてしまうとかいったあられもない(笑)風情もなく、静かにやさしく、お互いに気遣い、思いやりのある言葉と仕草だけで、とてもいいシーンだと思います。月影だけのライティング(照明)も素晴らしく、キャメラも外の庭からのさりげなく移動する視点で一挙に長回しでとらえてね。大好きなシーンです。五月十三日の悲しみの夜がもうすぐやってくることを二人はまだ知らないけど、私たち観客は知っているので、いっそう美しく、せつないシーンでね……。

-- 昼間は洋装だったのが、夜の場面では入浴後なのか張清清は濡れ髪をブラシで梳いたりして、二人とも台湾式の家庭的な、リラックスした夜着になっていて。温かく親密な空気が漂っていましたね。そこに、様子を見にきたお婆さんが暗い部屋の中で椅子につまずいて音を立て、三人が照れ臭い笑いに包まれるというオチもついていて(笑)。このあたりの緊張と弛緩のバランスの良さは軽演劇で鳴らした「ムーランルージュ新宿座」仕込みなのかもしれませんね。
(第四回に続く)

構成:三澤真美恵、監修:山田宏一


イラスト:英 恵

山田宏一(やまだ こういち)プロフィール:1938年、ジャカルタ生まれ。東京外国語大学フランス語科卒業。映画評論家。『トリュフォー ある映画的人生』(平凡社ライブラリー 2002)、『美女と犯罪―― 映画的なあまりに映画的な』増補版(ワイズ出版、2001)、『映画的な、あまりに映画的な――日本映画について私が学んだ二、三の事柄(Ⅰ・Ⅱ)』(ワイズ出版、2015)『ヒッチコック 映画読本』(平凡社、2016)、『ハワード・ホークス 映画読本』(国書刊行会、2016)など、著書多数。

※ 本研究はJSPS科研費 JP20K12330の助成を受けた成果の一部である。


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