浅草で出会った、韓国家庭料理の知恵と参鶏湯
浅草は、韓国籍の人々が多く暮らしている。ちょっと路地裏に入ると、隣り合う家同士のわずかな隙間にハングルの書かれた段ボールがぎっしり積まれていたりして、一瞬ここはどこだっけと迷い込んだ気持ちになる。
そんな浅草の一角で、30年前から営まれている「韓国家庭料理 なると」のお母さんヨンアさんに、料理を教わりに訪れた。
看板を確かめてお店に入ると、親に連れられて来店した子どもが座敷を駆けまわり、カウンターの向こうでは店のヨンア母さんがニコニコ笑ってみている。「家庭料理を出されているんだよ」という知人の紹介で訪れたのだが、本当にまるで家のような雰囲気だ。
すべては"タレ"から始まる
事前に話してあったから、カウンターの席を空けておいてくれた。カウンターの向こうに目をやると、厨房の真ん中に食器棚が置かれ、その周りにまな板スペースやガス台が配置され、石焼き鍋もスタンバイし、狭い空間であらゆる調理ができるよう工夫されている。ヨンアさんはその高度に改造された厨房に立ち、「教えるほどのものなんてないよぉ」と困った顔をする。
家庭の料理人は、大抵みんな同じことを言う。店の料理人と違って、家では自分の個性とかウリとかを意識することがないから。
「そんなことないでしょ。こんなにたくさんメニューあるんだから!」と言うと、
「ほとんど事前に仕込んであって、"タレ”とあわせるだけなのよ」と返す。
冷蔵庫から、次々と容器を出して見せてくれた。赤、茶色、赤茶色...ちょっとずつ色みの違うさまざまな"タレ"だ。
「こっちはトッポギ用、こっちはチャプチェ用。ピピン麺用はまた別で...」とバリエーションがある。
「注文を受けてから慌てなくていいように、つくっておくの」と教えてくれた。私にわかるように”タレ"と言ってくれていたけれど、韓国語で言うところのヤンニョム(薬念)だ。ヤンニョムは、薬味や香辛料の総称とか陰陽五行説に基づくとか、物々しい解説をされることがあるけれど、そんなことはさておきまるで焼き肉のたれのように「すぐ料理を提供できるように」の知恵として居酒屋で活かされているのが、なんとも味わい深い。
「魚は韓国人も食べるよ。だっておいしいでしょ?」
ふと壁に貼られたメニューを見ると、韓国料理にまじって、「甘鯛一夜干し」「太刀魚塩焼き」など和食居酒屋のようなものもある。
「どうして日本料理も出すの?」
「日本料理?何のこと?」
「焼き魚」
「ああ、魚は韓国でも食べるよ。だっておいしいでしょ?特に私たちの出身の済州島は魚がおいしいから、取り寄せているんだ」
誇らしげにそう言って、目を細める。焼き魚は、彼らの生まれ育った土地の味なのだ。
こんなにシンプルなものを、どうして私は日本料理と思い込んでいたのか。韓国とは海を共有している。おいしいものの前に、日本も韓国もない。
あえて選んだ「一番大事な料理」
さて、料理を教わりたい。ヨンアさんにとって一番大事な料理は何?と聞くと、また困った顔をする。
「どれか一つとか、代表料理とか、ないんだよ。韓国の食卓には一品じゃなく何品も並ぶものだから、どの料理も大事なの。葬式なんかは、人も多いし山ほどの品数になるよ。」
私も留学中に、同じ質問で困った覚えがある。メインが決まっているヨーロッパと比べて、日本の食卓は品数が多いのだ。韓国もそのようだ。しかし「それでもあえて一番大事なのを選ぶとしたら?」と食い下がると、
「サムゲタンかな」
と教えてくれた。
サムゲタン(参鶏湯)は、丸鶏にナツメや高麗人参などの漢方食材を詰め、塩味で煮込むやさしい味のスープだ。辛いものの多い韓国料理の中でまったく辛味のない料理で、大切な客人が来たときや元気をつけたい時に食べるのだという。
参鶏湯にまつわる人が集まる思い出話を聞くうち、教わらずにはいられなくなった。仕込む日に合わせて再訪した。
手間とお金がかかるが、シンプル
約束の時間に少し遅れて着くと、ヨンアさんはすでにカウンターに全ての材料を並べて用意し、待っていてくれた。高麗人参、生栗、南瓜の種、なつめ、にんにく(青森産にこだわる)、緑豆、餅米... 一つ一つの効能はわからないけれど、とにかく体が元気になりそうだ。
丸鶏にまず大粒のにんにくを入れ、餅米をスプーン2杯。次に高麗人参を少し飛び出すように入れ、銀杏、南瓜の種、なつめと銀杏を2粒ずつ、緑豆スプーン2杯、そして最後は鶏の皮に切り込みを入れて脚をクロスさせて差し込み、留める。これを10個ほど作って鍋に入れ、塩味で煮る。「店ではゲンコツスープがあるから使うけど、家で作る時は塩だけ。具を詰めることもしないで、お粥みたいにして煮ることもあるんだよ」と。
作り方も味付けもシンプルで、具材の下ごしらえは手がかかりそうだが難しくはない。こういう、飾り気はないけれど必要な手間がしっかり施された料理は、何というかせこせこしていた気持ちがすっと落ち着く。
小ぶりな丸鶏一つが、一人分だという。スープも含めると、結構なボリュームだ。
「参鶏湯の日は参鶏湯だけ食べるの。冷麺の日は冷麺だけ。あれこれ食べないし、お店も参鶏湯専門店とか特化してるの。でも、日本はいろいろ食べるでしょ?うちの店のお客さんも、参鶏湯にチヂミに色々頼んでくれるから、たいへん」と笑う。
韓国料理といえば、キムチやあえものなどたくさんの小皿が並ぶイメージがある。最初にお店に来た時も「お通し」と言ってたくさんの小皿を出してくれたのだが、ミッパンチャンと言われ、あれはいちどきにたくさん作っておいたものを"出すだけ"なのでノーカウントらしい。たれ(薬念)も、ミッパンチャンも、ヨンア母さんは食事時に慌てない工夫をたくさん持っている。考えてみれば、日本の漬物も同じだ。暮らしに馴染んだ料理というのは、そういうものなのだろう。
「最初のうちは注文が覚えきれなくてヒヤヒヤしてばっかりで、夢にまで出てきたよ!」
そんな追われるような日々で、料理が嫌いにならないのだろうか。聞いてみると、首を横に振る。
「料理は好き。飽きないし、常に新しいものを考えてる。夢でメニューを教わって、それを作ってお店で出したりもするんだよ」
うれしそうに、爽快に笑う。寝ても覚めても、料理のこととお店のこと。そうして三十数年間、冷や汗をかいたり喜んだりして暮らしてきたのだろう。今は時短営業でお客さんも減ったが、早く家に帰って晩酌をゆっくり楽しんでいるのだそうだ。
やさしく染み渡る満足感
ヨンアさんは丸鶏を器にとって胡椒をひと振り、ハサミで切って出してくれた。先程詰めた具材が、待ってましたとばかりにあふれ出る。
参鶏湯はやさしい味で、食べ進むと体が熱くなってきた。辛いものは何一つ入っていないのに。風邪も飛んでいってしまいそうだ。ヨンアさんは「一晩ねかせて翌日以降の方がもっとおいしいんだけどね」と言いながら、キムチも出してくれた。
たれ(薬念)を使った料理の数々、作り置くミッパンチャン、そしてシンプルに煮込む参鶏湯。いずれも必要な手数はかかるものだけれど、手間をいちどきに集中させることによって、その都度慌てなくていいようになっている。家庭の台所に流れる "賢く効率化する知恵" が、海を超えて息づいていることを感じ、その動じぬ有り様に心から安心するのだった。
なると、お店はこちら。