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ベトナム寺院の代替肉は"肉への未練"ではなく、僧からの贈り物

てりってりのチャーシュー。甘辛い香りが立ち上る。鍋をゆすると五香粉の香りがふわっと香り、食欲をそそる。かぶりついたらじゅわっと滲み出るだろうか。肉汁とタレが絡んだ味を想像するだけで、もう白飯がほしくなってきてしまう。

ところが、これ。100%植物性のお肉だ。ベトナムの尼さんがお寺で作った精進料理なのだ。
肉を食べない僧が、どうしてわざわざ「肉のようなもの」を作るのだろうか。
・・・

ベトナムの尼寺に、10日ほど滞在した。仏教のもとに生まれた成立したヴィーガンと代替肉について、理解したかったからだ。

最近、東京のスーパーに行っても、本物と見分けがつかないようなプラントベースの代替食品が目につくようになった。どうしてこのような精巧なもどき品がうまれるのだろうと疑問で仕方なかったし、人類の歴史上初めての異様な変化が起こっているような気がして、ちょっとこわかった。

一方で、歴史を振り返ると、東アジアの仏教国では昔から「もどき料理」が行われてきた。大豆や小麦タンパクを使って、鴨のローストや魚の姿煮のもどきを作ったり。その技術が文化として発展してきた。これらプラントベース先進国に行けば、現在の代替肉が一体何者で、人類の食はどう変わっていくのか、ヒントが得られるのではないだろうか。そんな気がして、ベトナムに飛んだ。

ベトナム精進料理:ヴィーガン焼豚の作り方

このチャーシューの話の発端は、私がホーチミンの街で食べたヴィーガン・バインミー。中に入っていた豚バラ肉が、あまりに本物っぽくて驚いた。お店の人に「これ本当に肉じゃない??」と念押しで聞いてもそうだと言われるし、口に入れても、赤身部分の繊維感といい噛みごたえと言い、肉にしか思えない。強いて言えば、脂身部分の口溶けがやや悪いかなと思うけれど、言われなければわからない程度。

精進バインミー。ニョクマム(魚醤)もマヨネーズもすべて植物性。

お寺に着いてから、尼さんに写真を見せながら「これどうやってつくるの?」と聞いたら、「作ろうか」と言ってくれて焼豚づくりが始まった。正確には、よく寺に来て料理をしてくれる仏教徒の女性たちが教えてくれた。

尼さんと、寺に通う女性たち。Google Assistantに話しかけては、色々教えてくれた。

まず、二つのボウルにそれぞれ米粉とタピオカ粉を入れ、ココナッツミルクを加える。「味付けは、塩と砂糖と味の素。少々ね」と言いながら、けっこう思い切り良く入れる。よーくまぜる。

ふと横を見ると、もうひとりのおばちゃんがバゲットをつぶしている。え?どうしたの??
バインミーにするあのパンを、両手を使って、ぺったんこにつぶしている。そしてアジの開きのようにニ枚に開いている。どうしちゃったんだ。
動揺している私をよそにおばちゃんは、バットにビニールを敷いて、そこにバゲットの開きをぺろんと広げた。

次に、「ポークリブ」という名前がついた湯葉のような大豆製品を出してきて、米粉液に浸してバゲットの上に並べる。そして蒸し器へ。数分して固まったら、タピオカ粉の液を流し入れて再び蒸し器へ。湯葉ポークリブ層とタピオカ層をもう一回ずつ。

そして最後にバゲットの半身をのせて、上からぎゅーっと押しつける。おばちゃんは全身の体重をかけて押しつける。

替わってもらった私も、「もっとしっかり!」と言われながら押しつける。のだが、せっかく重ねた層が台無しになりそうでドキドキして、こっそり力をゆるめた。

あとは、冷めたら切って、揚げ焼きにして、タレを絡めたら焼豚だ。

切ったところまでは、「全体真っ白で全然肉っぽくないし、失敗したか?」と思っていた。
しかし揚げると湯葉ポークリブ層だけが茶色に色づき、みるみる三枚肉の趣になる。
タレは魔法。一気に肉らしくなる。

バゲット層のおかげで、表面パリッと。ココナッツミルクを含んだ脂肪層は、口溶けなめらかで脂肪っぽい。
なんてこった。肉を使わず、チャーシューが、できてしまった。

ベトナムのヴィーガン=精進料理

今更ながら、ここでベトナムの仏教とヴィーガン事情をみておきたい。ベトナムは仏教徒の多い国だ。おおむね8%くらいの人が仏教徒とされており、その多くの人は菜食者だ。日本以上に精進料理が日常に浸透している。しかし、多くの人は「常に肉を食べない」のではなく「月に2回の精進料理の日は肉を食べない」といった”ときどきヴィーガン"。一人の人の中に、肉食とヴィーガンの両方の生活が共存している。この辺りはまた改めて詳しく書く。

僧でも肉を食べたいの?肉への未練があるの?

話を、寺の焼豚作りに戻す。
精進チャーシューに目を丸くして、上から見たり下から見たりひっくり返して食べる私を、尼さんはずっと横で笑って見ていた。

私は、一口一口確かめるように食べた。一切れ。もう一切れ。しばし興奮が収まらず、落ち着いてから、作る間ずっと疑問に思っていたことを尼さんに聞いてみた。

「こんなに良くできた肉をつくるということは、やっぱり、時には、肉を食べたいの?」

尼さんは笑って答えた。

「違うよ。私たちは肉を食べたいと思わない。むしろ野菜を野菜として食べている方が心穏やかでいられるから。こういう肉みたいな精進料理をつくるのは、お寺に来る人のためだよ。」

はっとした。

月に二度の精進料理の日には、仏教徒の方々が寺に集って食事をする。そういう時に集うのは、普段は肉を食べるという人も多い。男性や子どもだって来たいかもしれない。そんな人たちにも抵抗なく食べてもらいやすいのが、肉を模したもどき料理なのだ。
野菜ばっかりは嫌という人でも、こういうのだったら食べてもいいかなって興味持ってもらえるでしょ?それで一歩菜食に踏み入って、もしもそれが合えば、だんだんピュアな菜食に進んでいくからね」と。なるほど。
実際、ヴィーガンや菜食に一切の興味を持っていなかった私も、よくできたもどき料理のせいで興味を持って海を越えて寺まで来てしまったのだから、思惑通りだったというわけだ。

今の代替肉も、ヴィーガン初心者向けなのは同じ?

僧自身は、肉のような味や見た目の精進料理としていない。
でも、動物を殺さずに生きる道を示したいから、興味のない人に興味のきっかけを与えたいから、肉食派が振り向くような料理を作りだす。もどき料理は、熟練のヴィーガンではなく、「ヴィーガン初心者」や「ときどきヴィーガン」のためのものだったのだ。

そこまで考えて、現代の代替肉も同じことなのではと、はっとした。焼肉だハンバーガーだと肉料理を楽しんできた現代人が、今、環境や動物のために頭で考えて菜食になろうとしている。しかし街を歩けばあいかわらず焼肉屋やハンバーガー屋はあり、肉の誘惑は多い。そこで、これまでの食べる楽しみを諦めずに、菜食に一歩踏み入れるための移行食が、代替肉と考えられないだろうか

「わざわざ肉のようなものを作るなんて不自然だ。肉を諦められないなら肉を食べたらいいじゃないか!」という論調もあるし、私も「豆腐や厚揚げでよくない…?」と思っていた。しかし、それは最初の一歩で諦めなければいけないことがあまりに多い。痛みを伴う。精進料理の代替肉は、僧から一般食事者へのやさしさの贈り物といえよう。


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岡根谷実里 | 世界の台所探検家
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