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ベトナム仏教徒は"ときどきヴィーガン"。寺の台所のヴィーガン料理とは?
ベトナムには、肉そっくりのヴィーガン料理が多く存在する。まちの精進料理レストランに入ると、牛肉炒めや鴨のローストといったメニューが目につく。これがなかなか完成度が高い。
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尼さんに連れて行ってもらったおしゃれカフェで食べたBún riêu(蟹と豚のトマトスープ麺)は、精進ハムや野菜が具沢山。食べ進めるうち「カニの身が出てきた!」と思ったら、トマトスープの絡んだおぼろ豆腐だった。いちいち驚く私を見て尼さんたちはニヤニヤしている。見た目と味付けで案外その気になるもので、騙されるのが楽しくて仕方ない。
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そんな技巧を凝らした「肉もどきの精進料理(ヴィーガン料理)」に興味を持ち、作る過程を知りたくて寺の台所に滞在させてもらった …のだけれど、実は寺でこういった精進料理はほとんど作らないのだった。寺の精進料理は、もっとずっとシンプル。ヴィーガン鴨ローストなんて影もないし、気になっていたヴィーガン鶏ハムの作り方はYouTubeで教わった。わざわざ台所探検したのに。
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そんな勘違いは山ほどあって、「ヴィーガンでも肉食べるの?」というところから、私の寺生活は始まった。ベトナムの仏教ヴィーガンについて、綴りたい。
ベトナムのヴィーガン=精進料理
ベトナムは、宗教を信仰する人のなかでは仏教が最大を占める国で、おおむね8%くらいの人が仏教徒とされている。仏教徒の多くの人は、仏の教えに従った食事をする。その教えを、(怒られそうだが)私が理解した範囲でものすごく簡略化していうと、
「動物は人間と同じように、生きる権利を持つし、苦しみを感じる。だから動物を殺すと自分に跳ね返ってくる。だから殺すのはやめなさい」
というものだ。間違っていたらご指摘ください。
動物を殺さないための食事を選ぶと、結果的にヴィーガンになる。仏教に根ざす精進料理が、ベトナムのヴィーガンの原点なのだ。
精進料理の「技術」は、寺よりレストランにあり
フエの尼寺には十日ほど滞在したけれど、日常の料理で作ったのはほとんど、野菜炒めと野菜スープだった。この寺は尼二人だけの小さな寺で、普段の料理は若い方のディウさんが担当していた。私と同い年なのだけれど、しっかりしている。私が仏教や寺のルールがわからず、言葉も話せず、本当に何もできないので、姉のように世話してくれた。
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ディウさんは、冷蔵庫からその日ある野菜を出してきて、くんくん嗅いで確かめたりして、冷凍庫から小分けで保存してあるきのこも出してきて、昼食を作る。野菜を野菜として調理し、豆腐や大豆製品を多用する。味わいの異なる野菜や果物を複数あわせて煮込んだり、豆腐の大きさを変えて揚げたりと、技術は興味深いものがたくさんあった。けれど、もどき料理の技法や技巧という点では、レストランの方がはるかに超えている。
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考えてみれば、あたりまえだ。寺の僧は肉を欲していないし、自分のための料理で凝ったことはしないし、何よりも肉っぽいものから距離をとっていた方が心穏やかに暮らせる。「動物を殺すと自分に跳ね返ってくるぞ」とされているのだから。寺は精進料理の本場だけれど、技術的に最先端というわけではない。
食べていけないものの線引きは、地域や寺にもよる
仏教戒律に従った食生活を、便宜上ヴィーガンと書いているが、厳密に定義するとヴィーガンではない。というのも、欧米的定義のヴィーガンは乳製品を食べないが、上記の考えに則る僧や仏教徒は乳製品はOKなのだ。生乳をもらっても動物を殺すことにはならないからだ。ある日食後にバイクで出掛けて行った尼さんは、アイスミルクティー片手に帰ってきた。ベトナム名物の練乳コーヒーも然り。許している地域・寺は多い。現実的には、元々の食文化に乳製品はないため、寺で料理しても使うことは一度しかなかったけれど。
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無精卵ならばOK?
また、卵は生命となるものなのでNGだが、無精卵であればOKという地域・寺もあるという。最初聞いた時は、そんな理屈は冗談だろうと思ったのだが、尼さんに聞いたら大真面目に答えてくれた。古都フエの寺では無精卵も有精卵もダメだが、都会のホーチミンでは卵は全般OKだそう。見分け方は、「小ぶりで青っぽいのが有精卵、大きくて白っぽいのが無精卵」だそう。しかし加工品に使われていたら判断つかない。疑問が次々湧いてきて質問し続けたら、尼さんを疲れさせてしまった。ごめんなさい。
判断基準は、地域や程度によっても一様でないようだ。
「五葷抜き」は本当に5?
アジアの菜食でよく話題になるのが、五葷の話。にんにく・ねぎ(玉ねぎ)・にらのような臭気の強い5つの野菜を指し、欲情や怒りなどの感情を高ぶらせるから避けるべきとされる。日本の食品メーカーや外食産業でも五葷抜きに対応する試みがあるが、これがなかなか難しい。にんにくや玉ねぎは、料理を格段においしくするものだから、抜くと物足りなく感じてしまうのだ。モスバーガーが五葷抜きのヴィーガンバーガーを発売して話題になったが、味のインパクトが重視される外食において、インパクトのある食材を抜くのは、相当な工夫と勇気が必要だ。
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私が滞在した寺では、にんにくと玉ねぎを一切料理に使わなかった。「これが五葷抜きか」と思ったのだが、ところがネギやアサツキは本当によく使登場する。刻んだアサツキを低温の油に入れて香り出しするなど、まるでにんにくの代用そのものではないか。これらは「にんにくや玉ねぎほど臭いが強くないからOK」なのだという。
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さらに、ホーチミン近くの別の寺では、驚くことににんにくも「適量ならばOK」と言って使っていた。この地域ではにんにくもOK。むしろ適量ならば、体にいいという。
余談だが、コロナが流行して街がロックダウンしていた時分、生にんにくがコロナに効くという話が流れ、生にんにくをかじるのが流行った。その時は僧でも、にんにくを食べたそう。仏教のルールさえも変わったのだ。
ちなみに、五葷抜きは、僧だけの話。一般の仏教徒は食べてOKで、その理屈は修行をしていないから。他の仏教国の事情はわからないけれど、ひょっとして五葷抜き対応って、アジアの僧だけのためにやっているのだろうか。
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「私はヴィーガン」でも月に28日は肉食べる
仏教徒の多くはヴィーガンと書いたが、365日肉(および動物性食品)を食べないのではなく、実は月に2回の決まった日だけヴィーガンになるという人が多い。2回というのは、毎月1日と15日で、新月と満月の日にあたる。満月は特別な力があると考えられていて、その日くらいは行いを正すということなのだそうだ。
2回ではなく4回や10回になる人もいるけれど、とにかく1ヶ月の中で決まった日だけヴィーガンになる。私たちのイメージする「絶対に肉もチーズも食べない」という厳格なヴィーガンとはちょっとちがって、フレキシタリアン的かもしれない。
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肉と共存する「ときどきヴィーガン」のための精進料理
寺によくやってくる女性たちと話していると、「私は月に2回菜食の日を持とうとしているんだけれど、夫や子どもが肉を食べたがるからなかなか難しくて...」という話もしばしば聞いた。なるほど。日本と同じじゃないか。ものすごく想像がつく。
ベトナムは、ヴィーガンの店や商品やメニューも多く、ヴィーガンでも食べるのに困ることはない。しかし同時に、肉料理もあふれている。市場を歩けば、鶏の丸焼きや牛肉麺が目に飛び込んでくる。肉のことをまったく考えないのは、なかなか難しい。寺に滞在し尼さんと生活していた私は、手の届く範囲に肉があることも考えることもなかったけれど、街の暮らしはそう穏やかにはいかない。
そういうわけで、その人たちが「精進料理の日」に楽しめる食事として、肉のような精進料理が発展してきた。これだったら、肉を食べたい夫や子どもも一緒に食べられる。
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肉を食べる仏教徒のことを、寺の尼さんたちは「なんとも思っていないよ」と言う。「私は仏様の教えを伝えるけれど、決めるのは一人一人だからね」と適度に手放して付き合っている。でも、来る者は歓迎。月に二度の精進料理の日は、技巧的な料理も用意して、一緒に作って一緒に食べる。
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普段どんなに肉食人間でも、仏教徒ですらなくても、誰もが受け入れられる。そういう厳格に白黒つけない曖昧さが、ヴィーガン層の厚さを生み、これだけの技術や食文化が発展したのだ。曖昧って、素晴らしい。
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