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ギフトエコノミー、やってみる?~2020年の締めくくりに~
この一年(ほとんど正確に丸一年だと思います)をかけて、guesthouse Nafshaの開業準備をしてきました。お風呂・トイレ・洗面所のリノベーションに始まり、キッチン・リビング・和室・廊下、そして年末に差し掛かった今、ウッドデッキや庭のエクステリアに取りかかっています。
本当であれば今年の初夏くらいにはオープンさせる予定でしたが、コロナの流れもあり、そんなに急いでもしょうがないねという気分が私たち夫婦の間でも生まれ、結果、まるっと一年をかけてじっくり進めることとなりました。
(改装前のNafshaのリビングルーム)
この一年を通して感じていること。
それは、物事は「すぐには成らない」ということです。
スケジュールを決めてその通りに進めることは、社会人であれば基本的なマナーだと捉えられています。でも事が大きくなればなるほど、思うとおりには進まなくなるものです。まあそのために猶更、目安となるスケジュールが必要だということにもなるのでしょうが。
だけどここでひとつ、発想を変えてみたいと思います。
「決め過ぎない」という態度を取ってみる、ということです。
スケジュール、予算、プラン…一旦の目安を決めたら、その後は手を動かしながら調整していく。この進め方は一見準備不足のように見えて、結局は一番いいところに着地できる可能性を秘めていると思うのです。
私たちのゲストハウスも、途中からこの方法を意識してつくってきました。
まずはひとつ、つくってみる。それができたら次に必要なものが見えてくる、それが出来たら次…という具合に、ひとつひとつ、じっくりと向き合う方が、始めから全部決め打ちしてしまうよりも、ずっと良いものができるという実感があります。
オープンを迎え、泊まっていただく方の支払い方法でさえも、この「決め過ぎない」メソッドを採用しようかと思っているほどです。
(無垢の国産クルミ材で仕上げてもらったリビングの床)
“ギフトエコノミー”、聞いたことがある人もいるかもしれません。
「贈与経済」とも訳されるこの仕組みは、 あらかじめ提示された値段を「支払う」という現状の資本主義のシステムとは異なり、サービスを提供する側の “見返りを求めない” という姿勢が基本となっています。まさに与える、「贈与」ですね。
ギフトエコノミーを実践している事例はいくつかあるようですが、Nafshaでの解釈は、実際に私たち夫婦の体験に基づいて実施していく予定です。
12月19日に『宇宙を歩く』として、宇宙138億年の歴史を歩きながら感じよう、というワークショップをNafshaで開いてくれた近藤瞳さん。彼女もまさにギフトエコノミーを採用していて、実際にワークショップを受けた後、自分が気持ちいいと思える金額(もしくはモノ・コト)をお返しする、という方法を取っていました。これはつまり「このワークショップの価値はあなた自身で考えてね」というメッセージです。今まで相手に “値段” という価値基準をもって「提示」されることに慣れきっていた私たち消費者にとっては、新鮮すぎて戸惑いすら感じるかもしれません。でも、そこがこのギフトエコノミーの大切なところでもあります。
見返りを求めないので、瞳さん自身、0円でもいいと思ってワークショップを開いていると言います。ここだけ切り取ってしまうと、彼女が聖人君主で欲のない、出来た人間だからだと思ってしまう人もいるかもしれません。瞳さんが素敵な人だというのは間違いないにしても、このギフトエコノミーは、個々人の捨て身やボランティア精神で成り立つものではないという私の仮定を、ここにはっきり示しておきたいと思います。
見返りを求めずやってみる。というマインドを持ったとき、人はどのように振る舞うでしょうか。少し想像してみると面白いかもしれません。すでに自営をされている方はイメージしやすいかもしれませんが、サラリーをもらって働いている人はまず、「自分で価値を提供する」というところからのイメージになるかもしれませんね。どちらが良い、悪いではなく、想像してもらいたいのは、その状況下で自分が「どう感じるか」です。
「原価がこれだけかかってるのに、いくら回収できるか分からないのはしんどいなぁ」
「見返りがないなんてそもそもやる気が出ない」
「お金のことを考えないと、意外と自由な気分でできそうだな」etc.
おそらくそれぞれの立場、経験、業種によって感じ方は様々でしょう。
Nafshaに置き換えて考えたとき出てきたのは、「おもしろそう」という感情でした。不思議なことに、 “見返りを求めない” と割り切ってしまった時のほうが、あれもこれももっと真剣に、丁寧に、心を込めて提供したい、という気持が湧き上がってきたのです。
(2020年12月19日に開かれた『宇宙138憶年を歩くワークショップ』)
仮に一泊一人当たり5,000円の宿泊費を設定したとしましょう。Nafshaは一日一組限定、最大で大人3名のキャパシティなので、値段を設定した時点でどうやったって売上の限界が見えてしまいます。
こうなると「いかにもっと効率よく稼げるか」という方向に人の思考はシフトしがちです。だから巷の宿も飲食店も「回転率」という発想が出てくる。その結果、お客様一人あたりにかけられる時間は削られ、それに比例してサービスの満足度も低下していくことは否定できないのではないでしょうか。
そう。つまらないんです。
来てくれた人に心地いい体験と時間をお土産にもって帰ってもらいたい、そう思って始めたはずのビジネスが、いつの間にか「どうやったら単価を上げれるか」に変わってしまう危険性をはらんでいる。終いには「これだけの工数かけた割には合わないな」なんて、労働力と稼ぎの費用対効果という思考回路に陥ってしまうかもしれない。誰のための、何のための仕事か分からなくなってしまうなら、やる意味なんてあるのだろうか。これは私自身の仕事に対するスタンスでもあります。
実際に、「0円でもいいからやる」と腹を括っている瞳さんのワークショップは、素晴らしいものでした。お金のためにやっている訳ではないので、その情熱は “内容” の方に一心に向けられています。想いのこもった言葉は、受けている多くの人の心に届きます。結果、瞳さんという人に魅力を感じて、自分も何か役に立ちたいと思う。だからお礼としての “ギフト” を贈る。
細々とした検証は必要かもしれませんが、近しい関係性あるいは小さなコミュニティほど、「お金、いらなくない?」と思えてしまうのが今回のワークショップを通しての率直な感想でした。
(ワークショップのお礼としてピアノ演奏をしてくださった様子)
ギフトエコノミーが近しい関係性において有効ということは、逆を言うと、「貨幣」という存在が顔の見えない関係性において有効だ、ということになるかもしません。
どこの誰か・何かが分からないから、共通の記号としての「価値」を与える、そのための貨幣です。これは大きな市場を動かす時には効く気がしますよね。たくさんつくって、たくさん流通させて、遠くへ運んで、より多く消費させる。そういった経済が必要なシーンもあると思います。だけど身近な関係性を見回したとき、はたしてそんなまどろっこしい、「お金」を介在させたやり取りが必要なのか。どうでしょう。
これは決して、貨幣経済・資本主義がダメだからやめよう、という主張ではありません。
何事も「得意な点と苦手な点」があるように、現在の経済活動でも有効な点と現状にマッチしていない点があるということです。じゃあ、その苦手な点を補える方法ってないのかな?ギフトエコノミー?これは身近な経済なら実践できるかも。そんな「選択肢の多様性」のお話として、書かせていただいています。
物事はすぐには成らない。
Nafshaももしかすると、始めのうちは値段設定をしてスタートするかもしれません。
やってみて、いけそうだったら取り入れて、改善して、ダメそうだったらまた変えます。
ふわふわと不安定に見えるかもしれませんが、いつでも形を変えられる水のようにありたい。そう思いながらこの2020年と言う激変の一年の締めくくりといたします。
みなさん、今年一年、本当にお疲れ様でした。
来年はますますいい年になりますよ。
愛を込めて。
2020年12月25日
*guesthouse Nafsha オーナー Misato*