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『く〇ばばぁ』の条件

先日、我が子Aから「く〇ばばぁ!」って言われました。
言われた直後はカチンときたのですが、よく考えてみたら、それって、悪いことでもないような気がしてきました。
まず、そう呼ばれるためには、親子双方が健康でなければ言えません。
子が、親に向かって文句投げるほどの気力を持っていなければ、その言葉は出てこない。
進路問題で揺れ動くA。文句言っても手を出してくるわけではない。
私の作った夕飯を完食した。
まぁ、なら、いっか。元気でなにより。

同じ感じで、この前「毒親!!」とも言われました。
私にとっては「く〇ばばぁ!」より、何倍も痛い言葉。
ふるふる怒りに震えました。
「あんたに言われなくともわかってる!!」
と応戦しましたが、後に一人で考えると、

私は何に怒ったのか?

が、分からないことに気がつきました。

毒親育ちの私が、毒親になってしまったこと??
いや、それで腹は立たない。

今まで私は「毒親の被害者」であったのに、加害者になってしまっていること??
うーーん……それも無いとは言えないが、違う気がする。

私の母親と同じ毒親になってしまったこと??
あー……たぶんそれかもしれない。
お母さんみたいには絶対になりたくないって、変に肩肘張ってるからなぁ。
私自身が理想通りに生きられないもどかしさを、刺激されたんだな……。

けど、
けど、
けど、
なんか、わりと子育て成功してる気がする。
だって、我が子A、十代のその若さで、親に向かって「毒親!!」って言えてるじゃんね。
私、同じ年頃のとき、親に向かって言えなかったもん。
特にお母さんと話すときは、お母さんの気分を害さないように一言一句に注意を払って、声掛けするタイミングを図りに図って、相当気を使っていた。
我が子Aよ、あんたは言えるんだ? へーーーーーー(うらやましいぞ)

Aを産んだときに実は私は、私が母から、母は祖母から、祖母は曾祖母からと、世代間継承してきた「呪い」的なものの存在に気が付いていた。
だから、私の持つ毒や呪いといったものを子供に渡してしまうことは、避けられないだろうと考えていた。
ならせめて、『どこまで毒と呪いを薄めて渡せるか』が大事だ、と思って接してきた。

そして今。私の作ったご飯をもりもり食べ、話したいときに寄って来て、イライラしてるときは、「く〇ばばぁ」や「毒親」と元気なようす。

私の子育て作戦、今のところ、わりと、成功っぽい。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

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