大好きだよ、ずっとずっと。
以前こんな記事で私の大好きな祖父のことを書いたことがある。
そんな愛して止まない祖父が昨年12月の半ばに
ついに天国へと旅立っていった。
病気にかかったわけでもなく、
怪我をして寝たきりになったわけでもなく、
ただただ眠るように旅立ったのだが、
祖父のことが大好きで大好きで
今でも時々この現実が不思議で、
まだこの世にいるんじゃないかと錯覚を起こしてしまう。
祖母がいなくなってからは
95歳になったその時まで1人で生活できるほど
まだまだ元気で、
ボケというボケもなく、
自分の歯でご飯を食べお酒を嗜み、
自分の足でしっかり歩く。
誰もが本当に100まで生きるんじゃないかと思っていた。
そんな時、
ふと、ご飯を食べれなくなり少し元気がなくなった。
その祖父を見たわたしは、
生きることが少し疲れしまったように見えたのだった。
今思えばあの時から、
祖父は自分の生命がもう長くないことを
悟っていたのかもしれない。
なぜなら、
孫である私たちが祖父の家に順番に泊まりに行ったその数週間後に入院し、
海外移住した祖父の娘が帰国することが分かったその数日後に、
息を引き取ったのだから。
元気がなくなってきたなと思ってから
ほんの1ヶ月の出来事だった。
95まで健康に生きて大往生だと、
みんなが声を揃えて言うけれど、
それは理解していたつもりでも、
あの時の私はほんの一瞬の出来事のようで、
祖父がついにいなくなってしまったという事実は
私には衝撃が大きすぎた。
祖父との最後の別れであるその日まで、
毎日毎日祖父を想い泣き続けた。
悲しいとか寂しいとかそんな会えないという事実よりも、
この世に大好きな私の祖父という存在が物理的に消えてしまった
その事実が恐怖でならなかった。
目を瞑れば祖父の笑顔が、仕草が、顔つきが、
鮮明に浮かび上がるのに、
目を開ければその姿は、もう、ない。
大切な人がいなくなっても
その人は残された私たちの心の中にいつまでも生き続けるとよく聞くものだが、
そう簡単には受け止めきれない。
それほどに私は、
その事実が怖くて怖くて
気づいた時には涙を流しているそんな日々を過ごしていた。
それほど、祖父の存在は大きすぎた。
最後のお別れの日
コロナで面会ができなかったから、
私はようやく祖父の顔を見ることができた。
この日が来ることを毎日恐れ、
祖父を見たら泣き崩れてしまうんじゃないかと思っていたが
不思議だった。
そこにいた祖父を見た私は、
祖父の生き様が走馬灯のように思い出され、
祖父に対しての
感謝の気持ち、愛、敬意、祖父への誇り、
そんな温かい想いだけが込み上げ、
辛くて怖くて悲しく泣き続けた
黒く悍ましい想いがすーっと浄化されるような
そんな思いにかられたのだ。
涙ではなく、自然と笑顔へと変わった。
祖父の我が人生が美しく幕を閉じたんだと
そう、私は思った。
祖父は祖父らしく祖父の人生を終えることが出来たんだと
そう、悟った。
きっとあの時、孫と過ごしたあの2日間、
祖父は、これで孫は満足、そう思ったのだろう。
海外移住した娘がやっと帰国でき、
会えはできなかったが声を聞くことができたあの日、
祖父はこれで満足、そう思ったのだろう。
最初から最後まで祖父の身の周りの手伝いをしていたもう1人の娘(私の母)が隣にいるだけで安心し、
祖父はこれでもう十分、そう思ったのだろう。
だから、別れを告げることを決心したのだろう。
我が人生、これで悔いなし。
わたしにはそう語りかけているように感じた最後だった。
私はこれからも祖父や祖母のことを想い、
祖父のように自分の人生を自分らしく生きる、
祖父のような我が人生を私も胸張って生きる、
それが残された私たちにできること、そう思う。
おじいちゃま、
本当に今まで
幸せな時間、素敵な時間、楽しい時間、
全ての大切な時間を私たちに与えてくれてありがとう。
大好きだよ、ずっとずっと。