灼熱の夏の余韻がそろそろ変化してきました。太陽の光と熱は穏やかになり、日陰に入れば、カラダをすり抜ける風が心地よい晩夏の匂いを運んできます。
<彼岸の中日>という暦の伝える季節の声は、気候変動といわれる中でも
私たちの日常に時の鐘を鳴らしてくれるようです。でも、風流とか静寂とか、<日本人の心>が観る美しい季節の変わり目の風景は、だんだんと刹那の一服になりつつあるようです。
世界中が異常なまでの自然災害に見舞われていることと、地球が生態系の循環を守ろうとしていることが、なにか同時に行われているという印象を感じています。それは、人間の世界が大きく変わる物理的な現象であって、また私たち自身の心の持ち方、これまでの<常識>が通用しなくなるという現実を見せられているような気もします。
風のような意思をもって、全体的な秩序を俯瞰する
新たな時代とは、どんな風景なのでしょう。人それぞれに見たい未来がある。そして、生き方を選択する時代になるという過程では、この世界、この社会の混乱の中で溢れるたくさんの情報の中から、自分の心に響くものを受け取ることでその人の人生の羅針盤が大きく振れたとき、頑なに守ってきた何かが溶けて消えてゆく感情が湧くかもしれません。
それは、整地された囲いのある安全な居場所が最良の人生を保障するというこれまでの価値観が反転するキッカケでもあります。その囲いは自分自身が作り上げたものですから、そこから出ることは容易ではありませんね。
でも時代は、<地>という平面的な制限のあるすべての環境から、<風>という広い空間を自由に滑空できる<解放>の鍵をわたしたち全人類に渡してくれています。それは、心の窓を開く<鍵>です。心の窓を開放してあげると、生きているステージの全体が見えてくるのです。ではその<鍵>は、どのように使えばよいのでしょうか。
吾唯足知(われただたるをしる)
この言葉は、禅語として釈尊の教えのひとつ。この漢語はそのままの意味です。
「足ることを知る人は心穏やかであり、足ることを知らない人は、いつも心が乱れている」といいます。心の悩みや問題は、そのほとんどが<欲>。誰かとの比較や競争心、承認欲求、自分自身とかけ離れた社会的成功者への嫉妬、羨望。この感情の中に、自分自身への敬意や信頼、感謝は置き去りにされています。
<吾唯足知>の解釈には、たくさんの示唆があり、ただ足ることを知って、欲をなくしなさい。という閉鎖的なものではなく、真意は逆です。あなた自身をよく見て、満たされているものを見つけてみる。今現在生きている人ならば、すべて人に共通なのは、「心臓が動いている」という事実でしょう。
<生きる>とは、この鼓動であり、呼吸がすべて。どんな境遇であっても、命あるものに公平に持たされている<いのちの鍵>です。そして、この鼓動は、わたしたちのカラダの隅々まで縦横無尽にネットワークされ、すでにもっているものの完全な平和と安全を保障するものです。
「あなたが満足していることを知ると、あなたの心に平和がもたらされる」
無いもの見るのではなく、すでに持っているものを観ると、その価値がより高いものに思える。<心の楽園>とは、感謝に満ちた世界に生きること。きっとそこから新しい時代への道が真っすぐに伸びていくと思うのです。