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習慣化を病みつきにしたい
習慣化。だいたい21日続けば物事は習慣化されると言われている。今日で毎日noteをはじめてちょうど21日目。予約投稿をすることなく、本当に「毎日」noteに向かってこうやって言葉を綴っている。
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この21日の中で2回旅行に行った。旅行先の宿で眠気と戦いながらnoteを綴ったり、お酒を飲んだ後の回らない頭でかいていたりもした。ここまできたら習慣化というよりもむしろ、意地かもしれない。
そう、noteを書いていた昨日のことは、まさに習慣化がなせる意地そのものだった。23時57分、その日のギリギリに書いたたった600字ほどのnote。
昨日は旅行から帰ってきて、疲れた身体にビールを流し込んだからか、本当に沼に引きずり込まれるかのように眠たくなって。21時半には布団に入っていたはず。「あー毎日noteも20日で終わりか~」なんて頭の片隅にはあったけれど、まあ無理して続ける必要はないからな、と眠気に襲われた状態で正当化しながらそのまま眠ってしまった。
だけど、である。パトカーやら救急車やらのけたたましいサイレンの音で23時45分頃に目が覚めた。そういえば、ビールを飲んだのに水を飲むのすら忘れていた、と思って冷蔵庫まで歩いて時間を確認。あれ、まだ今日だ。
note15分あれば書けるじゃん、という思考になり、ぽちぽちと真っ暗な部屋の中でnoteを書いた。それが昨日のnote。内容が全くないじゃん、というのは置いといて、23時45分に起きたというタイミングと、その寝ぼけた頭のどこかで「noteを書こう」と思って実際に更新をしたこと。
こういうのが習慣化、知らない間にやってしまうということなのかなあ、と思った。昨日、寝ぼけながら頭をよぎったのは「このまま毎日更新が途絶えてしまうのは、なんだか気持ちが悪い」ということだった。やらないと気持ちが悪い。その感情こそが習慣化になり始めたタイミングの1つの目安なのかもしれない。
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こうやって、一つひとつの行動を日常に取り込ませていくのが、私は好きだ。だから、平日だろうが休日だろうが私は7時に起きるし、夜はだいたい23時には寝る。コロナ禍にやることがなくて始めた散歩が、いまでは24時間のうち2時間を占める大きな習慣になっている。勉強だって日記を書くことだってそう。
コツコツ着実に続けるからこそ、日々に馴染んで、いつのまにか手放せない大切なものになっている。28年も生きてきたから、そりゃ新しいことを始めるにはエネルギーが必要になるし、日々に馴染むまでは辛い思いをする。
けれど、スッと日常に入り込んでくれさえすれば、あとはもう大切にするだけだ。ある日突然、そっと日常に溶け込んでくる。今までなかったものが、必要だと認識する暇もない程当たり前のように日々に根付いていく。
そんな感覚を味わえるから、私は習慣化が好きなのかもしれない。習慣化することを習慣化する。日々のルーティンの中でささやかな幸せを感じられれば、私は案外いい状態でいられるのかもしれない。そう思って今日も机に向かっている。
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