行きたい場所を繋いでいく自転車旅。
私が京都を好きな理由のひとつに、自転車でどこにでも行ける、というものがある。京都の街はコンパクトにぎゅっとまとめられていて、道は碁盤の目状に広がっているので、道に迷うこともなく、北へ南へすいすいと進める。鴨川を走り抜けば、信号もなく快適に風を感じられる。自転車で走るには実に快適な街だ。
春の訪れをひそかに感じる日々。実際はまだ寒いけれど、冷たい空気のなか太陽に照らされて揺らめく木陰や澄んだ青空を見ていると、外に出たくてたまらなくて、いつのまにか新しい場所へと足を運んでいる。
昨日は、そんなうずうずとした気持ちを抑えきれなくて、自転車で往復24キロメートルの旅に出た。京都市の端から端、対角線上をのらりくらりと進む旅。大好きな街を颯爽と駆け抜けるのは、たまらなく飽きがこなくて。疲れたとも辛いとも思わずに、ただただ走り抜けてしまえるから不思議だ。
久しぶりの平安蚤の市。春のような心地よい陽気のなかで、アンティークな小物を見て回る時間。なんとも形容しがたい幸せが目の前に在る感覚で、ゆっくりと時間が流れる。あ、これがいい。これもいい、なんてことを考えながらふらふらと彷徨う。
自転車でふらっと行きたい場所に立ち寄り、十分に満足したら次の目的地に向かう。電車やバスの路線に縛られずに、ただ行きたい場所と場所をルートとしてつなげるから、自転車の旅が好きだ。結局、平安神宮からさらに3キロ北にある一乗寺まで足を運ぶことになった。
帰り道には大好きなカフェに寄ることもできた。自転車だからこそできること。バスや電車は追加で運賃がかかってしまうから、ただそこに行きたいというだけで途中下車をするのはもったいなく感じてしまう。けれど自転車であれば、途中の目的地をルートに入れ込めばいとも簡単に立ち寄れてしまう。この気軽さが、自転車の愛すべきところだ。
結局、カフェに寄った後は、帰り道にある温泉に行って自転車で冷えた身体をほかほかにし、家の近くの居酒屋でビールを飲んで帰宅した。
1つ1つクリアしていくゲームのように、その時々の行きたい場所へとコマを進めていく。行きたい場所と行きたい場所をつないで、その先へ進む。自分の選択だけで最高の1日を作り上げてしまえるのは、とても幸福なことだ。気づいたらクタクタに疲れ切っていた身体をベッドに預けると、気絶するかのように眠りに落ちていた。少し時間が経過してからじんわりと響く筋肉痛ですら、恋しい、そんな自転車旅。