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同じ景色を、季節を変えて眺め続ける、定点観測のススメ。

身の回りの景色が赤や黄色に染まる、今日この頃。絵具のようなくっきりとした空の青色を背景に、高く高くそびえるイチョウの木が美しい。真っ赤のモミジだけでなく、色づき始めのオレンジの葉やまだ色づいていない緑の葉のグラデーションが美しい。足元に広がる落ち葉の彩り豊かな模様に、より一層秋の気配を感じさせてくれる。

まるで合成画のような
木々のグラデーションを楽しむ

ただいつもと同じ景色を歩いているだけなのに、秋の街を歩くのはなんて楽しいことだろうか。そんなことを考えながら、大好きな京都の街を歩く。

いつも散歩がてら見ていた何気ない木々の景色に、「あっ」と驚くことがあった。桜の木でもない、モミジの木でもない、なんでもない木だと思っていたのに、実はイチョウの木だったのだ!

10月の景色@梅小路公園
11月の景色@梅小路公園

目に留まらないようなさりげなさすぎる景色が黄色や赤に染まる模様。有名な観光地に行かなくとも、いつもの散歩道ではっきりと秋の移ろいを感じられる。

定点観測を通して、景色の繊細な移ろいを感じる

新しいスポットに広く訪れるよりも、大好きな場所を深めていく方が好きだ。たとえば、同じ景色に、季節を変えて訪れてみる。同じ景色を1年間撮り続けてみる。大好きな場所の大好きのゆえんを言葉にしてみる。そんな行為を通して、もっとその場所が好きになってゆくものだ。

四季の移ろいが美しい智積院

秋の木漏れ日が美しい先日、私は大好きな智積院を訪れていた。大学生のころから、おそらく20回以上この場所を訪れている。

たとえば、ショッピングセンターや繁華街に行けば、10年間の間でお店が入れ替わったり、流行や好みによって購入するものは変わったりするだろう。けれど、京都のお庭は、いつ訪れても変わらない。ただそこに「在る」だけだから。

季節ごとに感じ取る景色が違うこと

なのになぜ何度も訪れたくなるのだろうか。何かを求めるように庭園を前にして心を緩める。きっと、「変わらない」と思っている景色は、実は季節や時間帯によって「移り変わる」ことを実感しているからだろうか。

変わらずにそこに「在る」だけなはずなのに。春夏秋冬、温度や時間帯によっても実は姿を変えていて、そこに気づくこと、気づける気持ちに嬉しさを感じるから。変わるはずのない景色が、日々移り変わっているという矛盾を含んでいることこそが、美しいことなのかもしれない。

変わらずに在り続ける景色

そう感じる私は、同じ景色を季節を変えて眺め続ける「定点観察」が趣味になった。とくに智積院は、季節の移り変わりをひしひしと感じられる絶好の場所。春には桜、5月にはツツジ、6月にはアジサイ、桜が散ってから夏の間は新緑、秋は紅葉、冬は雪景色。そこに在り続ける景色は、日々、ぐるぐると移り変わっている。その事実に私は魅了されるのだと思う。

5月
11月

こうやって同じ景色を季節を変えて眺め続けていると、何気ないたった1本の木でさえ愛おしく美しく感じられる。この木はこうやって赤くなるんだな、これは実はアジサイの木なんだな、と新しい発見ができる。当たり前のようだけれど、一つひとつの景色が、「この」景色を形作っているということ。その事実に圧倒される。

12月
5月
6月
9月
10月
11月

誰しもが気づかないかもしれない景色の繊細な移ろいを美しいと感じられる気持ちを、私は大切にしたい。一番美しいときだけじゃなくて、そうでない景色にも目を向けて観察していたい。

木漏れ日に揺らめく紅葉が一番好き

そんな偏屈なことを考えながら、私は今日も大好きな京都の街で、秋の断片を探し回っている。


*前に、「紅葉の名所は新緑の名所」というnoteを書いた。こうやって見頃の裏側の景色を追い求めるのも楽しい。

*去年の京都、紅葉巡りの記録


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misaki|散歩日和。
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