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2022年暮らした街の回顧録:茨城・大洗
1年間家を持たずに旅するように暮らしてきた私が、2022年に暮らした街を振り返る回顧録エッセイです。当時書いた日記やnoteを読み直し、さらに「今感じること」を付け加えたようなもの。多拠点生活の中で、奇跡のように出会った街に感謝の想いを込めて。じっくりと丁寧に書いていきます。
2021年の暮らした街を振り返ったnoteはこちら。
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4月の下旬ごろから、あまり馴染みのない北関東~東北へと旅に出た。旅行に行くとなると西日本や四国に行くことが多くて、東京よりも北へはほとんど行ったことがなかった。なぜ東北へと旅をしようかと思ったのかは、好きなバンドの故郷が仙台で、多拠点生活をしているしせっかくだからと仙台に向かおうとしたから。
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東京から仙台に向かう途中にたまたま位置していた茨城県の大洗町に立ち寄った。たまたま滞在した場所だったけれど、なぜだか居心地がよくて最終的には15日間くらいを大洗で過ごした。
この街の居心地のよさもまた、うまく言葉にできる自信がない。だって「なんだかよく分からないけれど肌に合う」んだから。街の景色や街並み、そこに住む人たちの暮らしが溶けこんで「なんとなく居心地がいい」空気を作っているのだと思う。そうだとしたら、やっぱり「空気感」なんてうまく言葉で表現できなくて当然なんじゃないか、とも思うのだ。
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とはいえ、大洗でのお気に入りをたくさん見つけられたのは事実だ。居心地がいい、と当時は大洗についてこんなnoteを書いていた。
まず大洗に来て感動したのが、海の果てしなさ。荒々しい岩に波打つ青い青い海。すごくありきたりな表現ではあるけれど、広大な海に飲み込まれそうなほど、自分自身が小さく感じられた。ときに波の強さと荒々しさに恐怖すら抱いてしまうほどだけど。
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なんといっても、海のある街のあの味わいは、海のある街にしか醸し出せないように思う。遠くからでもふわっと漂う潮の香り、海鮮のお店や市場が連なる、建物がなくなり視界が開ける感じ。海が近い予感がする、まさにその「予感」をワクワクしながら味わえるのは、海の街ならではだと思うのだ。
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あと大洗に来て驚いたのは、夕焼けの圧倒的なきれいさ。本当に息をのむような美しさで、ついつい仕事の手を止めて、家の外の開けた田んぼ道まで走って向かってしまうほど。なんでこんなにも焼けるのだろう。オレンジ色の世界に瞬く間に変わっていく様子を、ずっとずっと眺めていた。
「夕焼けがきれい」なのはもちろん大洗だから、というわけではないだろう。けれど、旅先でこうやって「夕日をわざわざ見に行く時間」を作れる気持ちの余裕さや、ビルや建物がほとんどない開けた場所に日が沈むこととか、空の広さとか。そんなものが重なって、あのとき「夕日がきれいだ」なんて思えたのだと、今になって振り返る。
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普段住んでいる街でも、毎日当たり前のように日が沈んでいる。だけど、わざわざ仕事を中断してまで見に行くことはないし、そもそも都会では夕日が沈むのを最後まで見届けられるほど広い視界の場所がない。旅先で「美しいものを見つけたい」と前のめりでいる私自身の心持ちと、心震えるような美しい景色が広がるロケーション。それがマッチして、感じたことなんだな、とふと思い知る。
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なにも「有名な観光スポット」に行ったわけではない。絶景と呼ばれる場所に立ち寄ったわけでもない。そこに暮らす人たちにとっては当たり前かもしれないオレンジの世界を見ながら、「私は旅をする暮らしを選んでよかったな」と濁りのない気持ちで思えたのだ。
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きっと私が旅をしながら暮らしたいと思ったのは、「旅先で有名な場所に行きたい、絶景を見たい」からではなくて、「どんな景色を見て、私自身の心が震えるかを知りたい」からだったのだ。どんな街の空気が居心地いいのか、どんな瞬間に私が「いい」と思えるのか。なるべく多くの観光地に足を運ぶのではなくて、一瞬一瞬の「私の気持ち」に出会えること。それがきっと旅をしながら暮らす中でのモチベーションになっていた、と今振り返ると痛感する。
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大洗での15日間は、特別何をしたわけではないけれど。それでも歩ける距離に海があって、田んぼがあって、神社があって、商店街があって、夕日がとってもきれいに見える場所があって。こうやって言葉を並べていると、すごく豊かな場所だなあ、改めて思う。
「どんなスポットに行ったか」ではなくて、「どんな景色を見てどう心が震えたか」を常に観察できるような旅をいつまでもしていたい。歩いて街の空気をじっくりと味わう時間とか、夕日が少しずつ沈んでいく様子をじっと眺める時間とか。人生に直接必要がなさそうなことにこそ、「私の心が動く瞬間」が詰まっていると思うから。
そんな時間をいつまでも大切にできる自分でありたいな、と大洗での時間を振り返って改めて感じられた。明日はどんな景色に出会って、どんな感情に出会えるのだろうか。それだけを楽しみに、日々の暮らしを楽しみたい。
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2022年、暮らした街の回顧録エッセイをまとめたマガジンです。出会ったすべての街と人に愛をこめて。
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