やっぱり京都の街が好きだと思わせてくれる日のこと │ 祇園祭 前祭 山鉾巡行
7月17日、今日は祇園祭 前祭の山鉾巡行の日である。京都の街がいちばん浮足立つ日といってもいいかもしれない。残念ながら夜行われる神幸祭には行けないので、今年は巡行に合わせて朝早くに四条に向かう。
祇園祭の交通規制の影響で私が乗っていたバスが四条まで行けず、だいぶ手前で降ろされた。改めて京都の人たちはそういった面倒事も受け入れてこの祇園祭の期間を乗り切っているのか、と感心する。
朝8時、山鉾巡行がスタートする少し前に四条を訪れる。巡行前の山鉾を間近で見られるからだ。昨日までの宵山では提灯が飾られているから、なかなか細部まで見られない、かつ巡行中は動いているから一瞬で目の前を通り過ぎてしまう。その点、巡行前であれば止まっている山鉾をすぐ近くで見られる。1時間くらいぐるぐると見て回って、その美しさを肌で感じる。
そして、前祭の山鉾巡行がスタート。ゆっくりゆっくり進んでいく山鉾たち。「動く美術館」と言われる由縁がよく分かる、本当に美しい装飾ばかりだ。毎年、この装飾を眺めるのが私の山鉾巡行の楽しみのひとつでもある。
前懸と呼ばれる前面の懸物、見送りと呼ばれる後面の懸物。どれもうっとりするような世界観の絵ばかりで、見惚れているうちに通り過ぎてしまう。まさに美術館を訪れ自分で絵を鑑賞して歩くのではなく、鑑賞物が動いて目の前に現れてくるみたいだ。
そして、今回の巡行では巡行が中止になるトラブルも。鶏鉾を動かす車輪が故障して、動かなくなってしまったのだ。ずっと巡行が止まっていてどうしたものかと思っていて、Xで検索したら「故障で動けない」という情報が出てきて。この1年、今日のために準備をしてきた人たちのことを思うととても心が痛む。
その後、動けなくなった鶏鉾を、その後ろを巡行する山鉾たちが通り抜けるシーンが見られた。大きな鉾が、すれすれの状態ですれ違い、追い抜かしていく。グラグラと揺れながら、屋根方同士が声を掛け合って、少しずつ少しずつ進んでいく。こんな事態想像もしていなかっただろうから、きっと自然発生的にこの流れになったのだと思うと、なんだかよく分からないけれど、優しい一体感に泣きそうになった。
鶏鉾の関係者たちはきっと自分たちの鉾を巡行させることができなくて悔しい気持ちや、巡行を止めてしまった申し訳なかった気持ちがあったはず。それなのに、すぐに脇に鉾を寄せて、ほかの山鉾が通り過ぎるのを見守っていて。京都の街すべてが一体化したかのような光景を、ただ茫然と眺めるよりほかはなかったのだ。
すべての山鉾が通り過ぎた後、鶏鉾は保存会の場所へゆっくりと戻っていく。最後の曲がり角でやはり何度もやり直しながら、少しずつ角度を変えて進んでいって。大勢で押したり引っ張ったりしながら掛け声を合わせ、そして見ている人たちは、そんな姿を見守って。角を曲がり切り、ゆっくりと戻っていく姿に、自然と拍手が沸き起こる。
街が一丸となって祭の熱気に吸い込まれて、包まれて、そんな姿が愛おしくて。やっぱり京都の街を好きで居られて、こんな気持ちにさせてくれる祇園祭を今年も近くで眺めることができて、とても幸せだなぁと実感する。
巡行が過ぎ去った場所から、街はすぐに日常に戻っていく。信号を戻したり、交通規制が解除されたり。さっきまであんなにも、現代とはかけ離れた歴史と伝統を感じられる場所だったのに!30分後には何事もなかったかのように、いつもの京都の街へと戻る。この切り替えの早さに毎年のように驚き、そして長い歴史を受け入れている京都らしいなぁとも思うのだ。
あーー、祇園祭が好きだなぁ、とつくづく思う。私は京都に移住してまだ2年も経っていないし、歴史にだって詳しいわけではないけれど。この街の、この時期にしか感じられない空気を、できるだけ近くで長く感じていたい。
京都の街が好きだ、と改めて思わせてくれる7月の祇園祭。好きだと心から思える街で、日常を送る幸せ。好きな街に暮らせる幸福を噛みしめて。日常と祭が混ざり合う、7月の京都の街をまだまだ生きていたい。