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見上げればいつも四角い青空#24 まあるい月の下で想う

2024年9月17日の火曜日の東京は、旧暦8月15日だった。よく晴れた宵が訪れ、夜にかけても雲が少なく月を見上げるにはまたとない日だった。

広辞苑(第二版補訂版)によれば、陰暦8月15日のことを「中秋」といい、この日に見る月のことを「名月」というとされている。“中秋の名月”とは、この時期の月がキレイに見えることを慣習的にその名で呼ぶのかと思っていたが、まさに陰暦8月15日に見る月の名称であることを知る。

帰宅するとおくさまが「今日は白玉粉が売り切れてなかったからお団子だよー!」と串に刺さったお団子を供してくれた。添えられるのは、四ツ谷の“たい焼きわかば”のちょっとだけ塩味の効いたあんこだ。

バルコニーに出て月を見上げると、煌々と白い光が明るく空を照らす。

現代に生きるボクたちにとっては単に明るいという感想だけど、“中秋の名月“を愛でる風習が広まったとされる平安時代にはどれほどの光と感じられたのだろうと想像してみる。

現代では夜でも街灯の灯が行き先を明るく照らす。安心・安全だけど、逆にいえば見えるはずのいろんな星を見えなくしている。ただし、こんなにも明るい“中秋の名月“の夜には、当時も星は見えなかっただろうけれど…

夕暮れから黎明までの時間帯はほぼ闇の世界であったろう、特に近世以前の世界では、月の光は夜を明るく照らす標であったであろうことは想像に難くない。

そんなことを思いながらおくさまが作ってくれた美味しいお団子をいただいた。

ボクが生まれ育った地域では“中秋の名月“を“十五夜さま“と呼び、子どもたちが近所を回って、月見のお団子や蒸した里芋をもらう習慣があった。
この季節はいもの収穫期と重なることから、“中秋の名月“は“芋名月“とも呼ばれ、地域の豊穣を祝うものだったことを知る。

自ら“名月“と武張った中秋の月は、この季節の里芋は指先で摘まんで皮をつるんと剥いて塩で食べるのが美味しいことを知っているだろうか。

最後まで読んでいただきありがとうございます。同じようでいて同じではない日々の生活の中で、感じたことや考えたことをスケッチしています。よかったらまた立ち寄ってください。

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