私の「理想の家庭料理」とは なすの炊き込みご飯を食べながら考えた
「りょーりする!」
3歳の息子が目を輝かせた。
きゅうりを切る、トマトを切る、なすを切る。それだけで息子はニマニマが止まらない。むふむふ、うふふふと息子の口から笑いが漏れる。
「りょーり、たのしいっ」
息子が手伝うたびに笑う。
あぁ、忘れるところだった。私はこの笑顔のために、おいしいごはんを作りたいのだ。息子の笑顔を見守りながら、私の理想の「家庭料理」とはなんなのか考えた。
秋なすは故郷のばあちゃんの味
「ばーちゃん、これとってよかと?」
「よかよか」
5歳ぐらいのとき、ぷりっぷりの秋なすを祖母と収穫した。腰が曲がった祖母は、器用に鍬を杖代わりにしてスルスルと段々畑の坂道をのぼる。
段々畑の下に広がる長崎の街を見下ろしながら、パチンパチンとなすを切り落とした。
もう二度と会えない祖母の思い出は、もはやカケラしか記憶に残っていない。けれど、焼いてとろりと口の中でとろけた祖母の焼きなすのおいしさは、畑の思い出と共にずっと記憶に残っている。
もちろん、あの美しい段々畑も、もうどこにもない。
皮に切り込みをいれて、蒸す。菜箸でギュッと押して、水分が染み出て「じゅわっ」となればOK。おろし生姜をたっぷりのせて、お醤油を垂らす。
とろっととろけて、生姜がピリリ。私は蒸しなすにして皮ごと食べるけど、昔、母が幼い私に焼きなすの皮を剥きながら「内緒ね」と、ひと口食べさせてくれたのを思い出す。
母は笑った。長崎のお醤油は甘い。すでに甘いお醤油に、さらに砂糖をどばどば入れる文化だ。そんな思い出までひっくるめて、家庭料理はこんなのが美味しい。
娘と目配せして笑い合ったなす
1歳の娘はなすを食べない。ピーマンやししとうをぽりぽり生のままかじるくせに、なすは食べない。
口に入れてみる。ペッと出される。小さくして入れてみる。ペッと出される。甘辛醤油ダレもダメ。お味噌汁もダメ。味噌炒めもダメ。しゃーなしのマヨ味も、ダメ。
今日は、お野菜が少ないからさ。ほんとごめん、ちょっとだけ食べてくれたら嬉しいなぁ。
最後は口を硬くとじた。けれど、娘の目と口元がもうニヤッと笑っている。もう一度だけ、なすを入れようとしてみる。口が開かない。
ぽとん、となすが落ちた。
負けた!先に吹き出したのは私だった。笑いをこらえていた娘も大爆笑。
私は、娘に「なすを食べなかったけど、2人で大笑いした思い出」を貰った。上手くなんかいかないことの方が多い。だけど、笑ってしまえばイヤイヤ期が輝きだす。
子どもは本能で生きている
幼い子どもは、苦い、酸っぱい、えぐい、くさい、そんな違和感は吐き出す。小さいながら「これは食べちゃだめ!腐ってる!毒だ!」と本能的に認識して危険を回避するのだとか。
味覚がまだ敏感だからなのだろうか。まだ頭で判断ができない幼子に、はるか昔のご先祖様が残してくれた能力なのかもしれない。いや、この能力がある子どもだけが、生き残ってきたのかもしれない。
だから、私はイヤイヤ拒否をされたら
「あ、この子は本能的に自分に合わない食べ物を区別できるんだな」
「えらい、えらい、生き残れるぞ〜長生きするぞ〜」
と肯定的に思うことにした。
そう思うと、イヤイヤ期の幼い子どもが食べなくたって気が楽になるのだ。食べないときは食べない。元気だからまいっか、だ。
私の家庭料理 なすの丸ごと炊き込みご飯
毎年、秋なすでつくる「丸ごとなすの炊き込みご飯」が好きだ。秋のなすは、皮が硬くなるが味が濃い。
「おいしくなって動物に食べて貰って、種を運んでもらう目的もあるよね」と。農家さんにそう教えて貰った。私はこの話が好きだ。
作り方は、いたって簡単。
切り込み、さらす、のせる、炊く。
【材料】
お米 2合
なす 2本 (千両なす)
お醤油 大さじ2
【作り方】
①なすに格子状に切り込みを入れる。
失敗してもなんでもいい。最後は、とろとろにして混ぜ込んでしまうから。
②なすを水にさらす。10分ぐらいかな。
③炊飯器(土鍋)に研いだお米、お醤油をいれてから水を加える。その上に、なすをどぼん。
なすから水分が出るので、水加減は硬めに炊きあがるつもりで調整するといい。
④炊き上がったら、しゃもじでほろほろ混ぜて完成。生姜、ねぎ、山椒…秋なすは薬味をのせてどうぞ。
私がこれをおすすめする理由は3つ
①子どもと作れるぐらい、簡単
②蓋を開けるとき、子どもたちが喜ぶ
③誰かに作り方を伝えやすい(覚えやすい)
これぐらいがいい。
「ぼくがつくったんだよ!」
って言える料理がいい。
結局こういう簡単な料理が、ずっと子どもの記憶に残るから。
私の理想の家庭料理は簡単、おいしい、たのしいの記憶
家庭料理っていうのは、むずかしい料理なんかじゃなくていい。
「おいしさ」というのは、味だけではない。思い出と、笑い声と、「あーおもしろかった!」なんて記憶まで、みんなひっくるめたもの。
いつか子どもたちが大人になって、ひとりでご飯を食べる日が来たとき、料理ひとつひとつに家族の思い出がくっついていたら最高だと思う。それが、私が目指す家庭料理だから。
明日も、おいしくたのしく食べよう。
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