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#書評 今村夏子『父と私の桜尾通り商店街』

こちらあみ子』を読んでから大ファンの、今村夏子の新作短編集。
行と行の間に広がる空白が、ふつうの小説よりもはっきり感じる。ドキドキやウキウキではなく、でもその世界に没頭してしまう。登場人物に共感するわけではないけど、目が離せない。常に不穏な影を感じる、心地よい重苦しさ。
物語の手触り、質感がちゃんとある作品が減っている中で、小説の価値や楽しさを思い出させてくれる。ちゃんと一文字一文字読んでたまに反芻するような読書体験をもたらしてくれる貴重な一冊。

クリスマスイブに、恋人の姉の子供4人を教会に連れて行くことになった女性の1日を描いた『白いセーター』が一番好き。
主人公が遭遇する悪意やズルさ、ままならない感じにじりじりしてしまう。でもそれは同情ではなく、むしろ彼女にイライラしてしまうからだ。彼女を苦しめる人たちに自分の中に生まれた嗜虐心を重ね、余計にのめり込んでしまうよう。
要領よく、自分が損をしないように、合理的に生きることができない人々はこの世界では生きづらいなと感じる。その苦しさに惹かれてしまうのかもしれない。

次に気に入ったのが『せとのママの誕生日』。
昔働いていたスナックせとに、ママの誕生日を祝おうと集まったホステスたち。ママはホステスたちを利用し尽くすのに、彼女たちが使えなくなると切り捨てることを繰り返してきた。強欲で自分勝手なママなのだが、ある面では自分の価値を引き出し、存在する意味を与えてくれる人でもあったのだと思う。
この話は特に深く深く読み込める要素があると感じた。

ベトナム人の同僚に、ルルちゃんという人形を手に入れた日の話をする『ルルちゃん』。
ものすごく太ったなるみ先輩の中に七福神が入る『ひょうたんの精』。
『モグラハウスの扉』は工事現場で働く男に恋をした学童保育の先生と子どもたちの物語。

表題作であり、最後に収録されている『父と私の桜尾通り商店街』は、だんだんと濃くなる主人公の狂気を感じる話。
閉店が決まったパン屋の主人とその娘は、材料がなくなるまでパンを焼き、売り続ける。
ある日訪れた女性客に執着していく娘。
桜の花びらが舞い散る夕暮れのような、優しく、穏やかな空気を感じるクライマックス。でもその結末の先に幸せな未来はないだろう。

どの物語にもずっと漂っている、破滅の予感。それに私はたまらなく惹きつけられているのかもしれない。

情報ではなくて、物語に沈むために本を手に取る喜びを忘れずにいたい。

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