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『八犬伝』─馬琴の巧妙な「引用曼荼羅」

映画『八犬伝』が上映中ということで、せっかくなので便乗してみようと思います。

私はまだ見に行っていないのですが、役所広司さんと内野聖陽さんのお芝居なんて泣いちゃうに決まってるので、なかなか見に行く覚悟が決まりません……。

■曲亭馬琴と中国文学

映画の題材となっているのは、曲亭(滝沢)馬琴と、彼の代表作『南総里見八犬伝』(以下、『八犬伝』)です。

馬琴は武家に生まれましたが、身内の不幸やらなんやらもあり、武家奉公も長く続かず、ふらふらしていた時期が長かったようです。

幼い頃から文学を好んでいた彼は、24歳のとき、蔦屋重三郎つたやじゅうざぶろうとも懇意だった作家・山東京伝さんとうきょうでんのもとを訪れ、創作活動を開始します。

その中で、創作のヒントとなる新たな趣向を求めて、中国文学を読みまくったそうです。


なお、『八犬伝』は中国の小説水滸伝すいこでんをもとにつくられたとされていますが、そのことは当時から知られていました。

馬琴より56歳年下の勝海舟は、馬琴と『八犬伝』についてこのように話しています。

彼奴の趣向は、いつも変化がうまい。(中略)『八犬伝』は『水滸伝』を丸抜にしたのだけれど、おれが十七、八の時に、あれが初めて出版せられた頃には、非常な評判で、いはゆる堂々たる大儒者も、これに及ばなかった。実に絶世の才子だった。

『氷川清話』より


そもそも『水滸伝』は、現在の日本での知名度はイマイチですが、江戸時代には庶民の間でかなりの人気がありました。

先ほどの、馬琴のパイセン山東京伝も、忠臣蔵×水滸伝という斬新な作品を『八犬伝』より前に世に出していますし、歌川国芳や葛飾北斎らによって描かれた浮世絵なども大人気だったようです。

学生時代に太田記念美術館にて購入した
『水滸伝』ポストカード。歌川国芳作の張順です。

■“町人の文学”『水滸伝』

『水滸伝』は、『三国志演義』『西遊記』と並び「中国三大奇書」と呼ばれています。

『三国志演義』と『西遊記』は今も日本で人気ですよね。なので、日本人は『水滸伝』にもハマるにきまってるんです。

『水滸伝』は、中国の宋~元代にかけての民間の「語り物」を母胎とし、『三国志演義』とほぼ同時期の、明代の初め頃に小説として成立したとされています。

なお、『西遊記』もその少し後に現れますが、これらの長編小説について、中国文学の権威・吉川幸次郎先生は、中国文学史の流れの中でこのように評価します。

これまでの詩や散文の文学が、教養あり知識ある知識人の文学として、繊細で高雅な、心理と生活、それらを写すのを使命として来ましたのとは、ころっとうって変わり、これらの小説は、いかにも町人の文学たるにふさわしく、知識も教養もない、しかしそれだけに、率直で一本な人物、そうした人物の描きだす心理なり行動のおもしろさを、縦横に写します。

吉川幸次郎『中国文学入門』より

安心してください。誉め言葉です(笑)

ちなみに『水滸伝』は、真面目な大学生だった私の価値観を派手にひん曲げた問題作でもあります。(これも誉め言葉です。)

特別な思い入れのある作品なので、ここで書くとあまりに長くなってしまいますので、詳しくは後日改めて投稿したいと思っています。どうぞ楽しみに待っていてください。


…で、『八犬伝』が『水滸伝』の何をヒントにしたのかといいますと、まず物語の大筋の設定です。

『水滸伝』の物語は、伏魔殿ふくまでんに封じ込められた108人の妖魔を解き放つところから始まり、やがてそれが108人の豪傑たちとなって梁山泊りょうざんぱく結集、権力の手先である官軍とのアツい戦いを繰り広げていきます。

そして『八犬伝』は、伏姫の死とともに8つの珠が飛散するところから始まり、それらが八犬士となって結集、こちらもアツい戦いを繰り広げていきます。


ちなみに吉川先生は、このように影響を受けた日本の作品を、中国の作品と比較してこう述べています。

日本の小説のほうがより理想的であるのに反し、中国の小説のほうがより多く現実的な方向にありますのは、両国文学の性格の差異を、一つの面で示すものでありましょう。

吉川幸次郎『中国文学入門』より

これには私も激しく共感します。「現実的」というのは、私が中国の物語作品にハマった理由の一つとして、ずっと感じていた特徴だからです。

■巧妙な「引用曼荼羅」

さらに吉川先生の高弟・井波律子先生は、馬琴は『水滸伝』どころか、『論語』『史記』『三国志演義』など、あらゆる中国の古典や小説からの引用を緻密に張りめぐらせているとして、こう評しています。

連想が連想をよぶべく巧緻に仕掛けられた馬琴の引用の美学は、表層的なペダンティズムの域を超えて、『八犬伝』の物語世界・物語構造を支える一つの基柱になっていると思われる。

井波律子『ラスト・ワルツ 胸躍る中国文学とともに』より

そして、そんな『八犬伝』の物語世界を、「引用曼荼羅まんだらと表現しました。

引用曼荼羅─。
この表現があまりにも見事で強烈に印象に残っていた私は、映画『八犬伝』が上映されると知って、この言葉をまっさきに思い出しました。

正直、今回の投稿もすべてこの言葉を書きたかったがためのものです。
前置きが長くなってしまいましたが、やっと書けました(笑)



映画『八犬伝』を見て、馬琴が、そして江戸時代の人々が愛した『水滸伝』にも興味を持つ方が増えると嬉しいです。

そして私もとっとと映画見に行ってきます。

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