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自分を変えるということ

何か辛い経験をしてメンタル疾患になったとき、ときには自分の考え方や環境を変える必要があることもある。

そんなとき「私は悪くないのに、なんで私が変わらないといけないの?」という拒絶反応が、ふつふつと湧き上がるのは、別に変な事じゃない。

ただ、その拒絶反応に身を委ねて何もしないのは、少し問題かもしれない。

例えば、泥棒に侵入されて、お金を盗まれたとする。

本来であれば、泥棒が心を改めて、考え方を変えなければならない。それが道義的には正しい。しかし、馬の耳に念仏というように、泥棒に道徳感を解いたとしても、高い確率で泥棒は変わらない。

そういった現実に直面し、さて、どうするか、と考えたとき、部屋の鍵をより高性能なものに変えたり、犯罪の少ない地域に引っ越すことができれば、きっと泥棒に侵入される可能性は減る。

もちろん、そのためには鍵の交換代や、引越し代がかかってしまうかもしれない。一時的には損かもしれないが、泥棒に請求なんか現実的に不可能なんだから、勉強代として考えるしかない。ときには不条理なことが起こるのが人生なんだと、30年ちょっと生きてきて思う。

この例えのように、自分が悪くなくても、何かの被害に遭って、精神的に傷付くこともある。そんなとき、「自分で変えられない物事」と「自分で変えられる物事」があって、後者に集中しない限りは、現状の問題は解決されない。

それにもかかわらず、「私は被害者だから何も変えたくない!」と対処しなければ、先の例だと、また同じように泥棒に侵入されて、お金を盗まれてしまうだろう。それは果たして自分の人生にとってプラスなのだろうか。

自分の考え方や環境を変えることは、かなり時間や労力がいるし、理不尽な思いをすることもある。損のように感じると思う。しかし、それが長い目で見てプラスなのであれば、それは損ではなくて投資だ。きっと、泥棒のように他人を傷つけて幸せになろうとする人間よりも、たくさんの資産を手に入れることができるはずだ。

私自身、転職先で典型的なお局にパワハラをされたり、母親からの長年の愚痴などが耐えきれず適応障害になった。それが悪化し双極性障害と診断され、2年ほど会社を休職した。罰として衝動的に頭を丸刈りにしたり、睡眠薬を大量に飲んで警察が来るなど、それなりに苦しんだし、妻に迷惑をかけた。昨年復帰したが、月一で通院していて、たまに鬱に襲われている。

はじめの数年間は、パワハラをしてきたお局に復讐することばかり考えていたし、母親に対しても罵詈雑言が頭に浮かんでいた。そうでもしないと、辛い記憶が頭に浮かんで、文字通り死んでしまいそうだった。後に精神科で認知行動療法を学んだり、色んな本を読んだりしたところ、自分の考え方が極端だったり、アダルトチルドレン特有の考え方をしていることがわかった。

それ以来、地道に地道に、考え方を修正したり、その経緯をnoteにまとめて整理したりして、必死に自分を変えて、なんとか生き抜いてきた。それこそ何年もかかった。自分の考え方を変えるとき、それが自己否定のように感じられ、かなり辛かった。なぜなら、脳みそに刺さっていた何本もの釘を自分で抜くようなものだからだ。(HUNTER×HUNTER好きなら分かるけど、キメラアント編のキルアがイメージに近いかもしれない。)

しかし、そのおかげで、今はだいぶ生きるのが楽になった。もちろん、今でもたまに死にたくなるし、落ち込む時は落ち込む。そりゃ双極性障害だし。でも、結果的に今でも生きているし、その頻度も昔より減った。具体的には年間で365日死にたかったのが、80日くらいには減った。大きな進歩だ。

自分を変えるというと、なんだかブートキャンプのような辛いイメージが湧くかもしれない。でも、実際は、セキュリティを強化したり、部屋を模様替えして陽当たりをよくすることに似ている気がする。大変なことには変わりないけど、その目的は、自分の人生をより幸せにすること。そのための努力は、決して損のままでは終わらない。

ただ、一つ問題があって、自分を変えてしまうと、誰にも心配してもらえなくなる、そんな苦しみが生まれる。

例えば、怪我をして包帯を巻いていれば、他人に心配してもらえるメリットがある。学生の時にも、怪我が治ってるのに、いつまでも包帯を巻いている同級生がいた。その本人からすれば、怪我は他人に心配をされるツールのようになっているから、本音では治したいなんて思っていない。そういうタイプの人間に、どんな高等な最先端の医療を施しても、絶対に治らない。なぜなら、治したいという意思がないから。

私の母親もそういうタイプだった。私が物心ついた時には、母親は「死にたい」「お父さんと同じ墓には入れないで」など、愚痴や泣き言を私に言ってきた。そんな私自身、転校先で友達ができなくて悩んでいて、ひたすら本ばかり読んでいた。瀬戸内寂聴さんの本を読んで、何とか死なないように生きつないできた。そんな子どもに対して、ずっと嘆きごとを言ってきた割には、全く自分を変えようともせず、そのまま何十年も一言一句同じことを私に言ってきた。

その後、会社のお局にパワハラをされて精神がギリギリのときに、母親は同じように不貞腐れて夫の悪口を言ってきたので、「なんか改善しようとしてみたの?」と聞いたところ、「あんたはずいぶん冷たいこと言うんだね、もういいです、わかりました」とびっくりするほどの冷たい声で言い放ってきた。その瞬間、プツッと心の中で張り詰めていた糸が切れた音が聞こえたのを今でも覚えている。

おそらく母親は、自分の人生に対する不満、夫に対する不満をあえて解決しないことで、自分が被害者であることを周りにアピールし、チヤホヤしてもらいたがってたのかもしれない。承認欲求が高いと、つい被害者ポジションに自分を置いて、周囲から優しさや慰めを貰おうとしてしまう。その気持ち自体は理解できるが、そんな人間を親に持つのは、正直しんどかった。

ただ、先ほども言ったように、他人は変えられない。母親や会社のお局と同じような人間はたくさんいるだろう。だから、部屋のセキュリティを強化するのと同じように、メンタルが病みにくい考え方や行動習慣を身につけるしかないし、そう言った類の「変化」は、前向きに取り組んだ方が、人生は好転する。

そんなことを思った。

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