負というイメージの癒着。
おはよう、こんにちは、こんばんは。
あやです。
今月は次男の発達検査でした。
「ああ、きっと片足突っ込んであろうな」と
思い始めてから約1年を経とうとしています。
やっと少しだけ。
前に進めるんだと思えた日でした。
【母親の勘】というものは、悪いことほど
的中するのが宿命なのかもしれません。
結果は来週辺りにわかる予定ですが、
母親の勘的には確定だろうな、と思っています。
発達障害には主に3種類。
ひとまとめにして【自閉症スペクトラム】と
名付けられていますが、私個人的には
“全てにおいて”少なからず作用しているんだな、
と日々の生活で痛感しています。
ASDも、LDも、ADHDも少しずつ
少なからず兼ね備えているんだと思って
接する様に意識しなきゃいけないな、と。
ふたり共々【自閉症スペクトラム】と
診断されていますが、まるで真逆な部分と
酷似している部分と2通りあります。
そして【スペクトラム】と
名付けられている通り“多様性”を感じます。
こだわりの強さはふたり共々ピカイチで
融通もきかないし、切り替えもできません。
“こだわりと切り替えの難しさ” と言う部分に
関しても日々格闘しています。
「ジュースはこれじゃないとダメ!」
「○○の後はお買い物に行く。」
という部分のみのスケジュール変更は
融通が効かない。etc...
日々の生活の微妙な位置づけの変化や
変動をその日の体調、気持ちの不調でも
すごく作用されます。
その【切り替えが出来ない】【心身不調】の
“タイミング”を予測しながら
日々生活を送らなければなりません。
これが正直本当にかなりの負荷がかかります。
心身共にのダメージが半端ない。
それでも日々家事を進行させつつ、
育児と向き合う方法を模索しています。
検査結果によっては、また自分自身との
心と向き合い、生活スタイルの変化と微調整を
繰り返す毎日であろうと思います。
それでも前を向いていたい。
子供のためにも自分のためにも。
ある日ふと生活する上で【発達障害】に対して
どうしてこう、“負のイメージ”がいつまでも
いつまでも払拭できないんだろうと一日中
考えていました。
するとあることに気づいたんです。
“障害”というワード自体が“負のイメージ”を
持ち合わせた表現だからなんじゃないか、と。
障害 = 不具合があった場合に使用される言葉
という【使用する部分】や【タイミング】の
イメージの癒着 がそうさせてしまってるんじゃ
ないのか、と思うのです。
発達障害は、“個性だ” “一種の才能だ” と
諭す割には 【イメージ】が
マイナスを癒着している。そう思います。
「ああ、だからずっとその障害というワードが
言葉に表現する、発する度に
マイナス要素に引っ張られるんだ。」
と、妙に納得しました。
イメージほど人の心に住みついて離れないものは
無いんだな、と。
人柄のイメージも。性格のイメージもそう。
【固定概念】の断片なのかもしれない、と
思うのです。
それは1度癒着してしまうとなかなか
剥がすことが出来ないものだから。
そういった部分から変化させていかなければ
いけないのかもしれません。
世の中としてのイメージの癒着から。
来月診断名が確定する予定です。
それと同時に私の身の振り方も仕事も
変わってくるだろうなと覚悟しています^^;
これはあくまでもマイナスではなく、
とてもプラスなこと。
私と次男との溝を埋めるチャンスなのだから。
敷いた人生レールを歩ませるのではなく、
一緒にレール作りから楽しもうと思います。
こうしたリアリティな部分も
自分のためにも、日々向き合うことに悩む
同じ境遇のお母さんお父さんのためにも
書き綴っていこうかな、と思っています。
では、また。