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私たちはよく「私は傷ついた」と表現します。

実際には心が物理的に「傷つく」わけではなく、
「心が痛み」を感じ、
それを表現している言葉のようです。

この心の痛みは、脳が物理的な痛みと
同じ領域を活性化させることからも明らかです。

ただの感情的な反応以上のものであり、
それは私たちが生きる上で

大切な「つながり」や「愛」に
深く関わるものを守るための
シグナルだと考えられます。


この記事では、日常生活の中で

「傷つく心」は、ほんとうは自分の内側から

「自分を傷つけている」という「メッセージ」である
という可能性について書いていきます。

※少し厳しい見方や表現が含まれているため、深く傷ついて悩んでおられる方にはおすすめしません。専門的な相談が必要な場合は、医師などの専門家にご相談ください。


「バカ」と言われて傷つくのは、自分が「バカ」を持っているから?


誰かに「バカ」と言われたとき、
多くの人は「あの人にバカと言われた」と
傷つくのではないでしょうか。

しかし、
例えばガリガリに痩せている人が
「デブ」と言われた場合はどうでしょうか。

おそらく、「え?自分のこと??」と、
その言葉は本人に届きません。


つまり、言われた側の心の中に、
その言葉が「傷つく原因」となる
要素が存在しない限り、

傷つくことはないと言えそうです。

ここで、
「そういう思いを自分も持っている」
と気づけた人は、
一歩抜け出せるのではないでしょうか。


普段から「どうせ自分はバカだ」といったような
「自分を卑下する思考」。

その「内側の思い」が相手の言葉によって
「傷」として感じられるのではないでしょうか。


心が現実を投影している

前回の記事で「私たちの心が現実を投影している」という話をしました。もしよければ、こちらの記事も合わせてご覧ください。

自分の中にあるものしか、起こらない。
そして自分の中にある言葉しか、響かないのです。


自分の中に「どうせ〇〇だ」という口ぐせや思い込みはありませんか?

思考で作られるセルフイメージは、すべて「ニセモノの自分」です。
つまり、自分自身の「認知」を誤っているのです。


本当の自分は「ありのまま」で素晴らしい

いまはすぐに受け入れられないかもしれませんが、
ほんとうは「ありのまま」に
それぞれの個性があって素晴らしいのです。

「見た目で相手を判断する」という
「思い込み」も、
きっとこの社会で創り上げられた幻想だと思います。


日本人は自尊心が極めて低いと言われています。
この自尊心の低さが、日本の「幸福度」の低さに繋がっているのかもしれません。

厳しい言い方になりますが、
「自分が被害者になることで、相手を加害者にしてしまう」
ことがあります。

本当は、相手を責める前に
・自分の内側を見直し
・自分に問いかけ
してみる必要があるのではないでしょうか。

自分の内側に「その言葉」が見つかることに気づけるかもしれません。


見方を変えることが自分を知るきっかけになる

問題の原因を相手にしている限り、
何も変わりません。

「そうか、自分の問題だったのか!」と
気づいた人から変わることができます。

この記事を読んで、
「・・・とは言ったって」
「そんなに簡単な問題ではない」
などというような反論が
浮かぶ気持ちもわかります。

わたし自身もかつてそうでした…。

しかし、何事にも矢を相手に向けている間は、
「相手を攻撃して自分を守っている」という
防衛反応であることにも気づいてほしいのです。

「自分は弱いからこそ、相手を攻撃して自分を守ろうとしている」
と気づけるかもしれません。

正義感が相手を「悪人」にしてしまうように、
被害者意識は相手を「加害者」にしてしまいます。

自尊心を育てる習慣


「バカ」と言われたら
「バカじゃないし」。


「ブサイク」と言われたら
そんな言葉を言うキミよりは「かわいいし、かっこいいし」。

「そもそも、誰かと比べたり、人を見た目でしか判断できない(人を傷つけようとしている)あなたがかわいそう…」って

こんなふうに、傷つくというだけの被害者意識ではなくて…
日本人それぞれが「自尊心」を種から育てていきませんか。

これからの子ども達の「自尊心」を高めてあげられるのも、わたし達大人であり、わたし達大人が「被害者意識」という思考を手放し、自尊心を育てていく(取り戻す)責務があるのではないでしょうか。

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